夜をさまよう「マクド難民」

今日の朝日朝刊一面の掲載記事である。

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201301120440.html:TITLE
大阪市の繁華街ミナミ。難波駅近くにあるマクドナルドは、午前0時になると店内の風景が一変した。サラリーマンや学生たちと入れ替わりに、くたびれた手提げ袋を抱えた男性たちが入ってくる。
 「マクドマクドナルド)難民」。大阪でそう呼ばれる人たちだ。
 30〜40代ぐらいだろうか。この夜もぼさぼさの髪に、黒や灰色のジャンパー姿の数人が、テーブルにうつぶせになったり、ソファに足を乗せたりして所在なげに過ごす。
 「金がないから、ネットカフェには泊まらない」。パナソニックの工場で請負の仕事をしていた男性(35)は言う。深夜営業の店を渡り歩く生活を始めて1年近くたつ。
 昼はパチンコ店内のソファなどで仮眠をとる。街を歩き始めるのは夕方からだ。スーパーで格安の総菜を買ってビルの片隅で食べた。コンビニエンスストアをはしごして暇をつぶし、最後はマクドナルドに入って休む。
 「まさかこんな生活をするようになるとは」
 パナソニックの工場では、自動販売機を組み立てる製造ラインで、4人チームのリーダーだった。ラインの調子が悪いと、夜でも頻繁に電話で呼び出された。睡眠不足とストレスがたまり、体を壊した。残業代は払われず、給料は手取り20万円ほどで「とても続けられなかった」という。
 この男性と同じようにマクドナルドで夜を過ごすオキタさん(通称、40)も、昨年3月までは三重県亀山市にあるシャープの液晶関連の工場で派遣社員として働いていた。シャープが韓国企業にシェアを奪われ、工場生産が落ち込んだために仕事を切られたという。
 電機関係の工場で働きたいと大阪に来たが、希望の職はなかった。ときどき土木の現金(日雇い)仕事で稼いで食いつないでいる。気持ちも落ち込みがちになり、最近、精神科の治療を受けた。マクドナルドで100円のハンバーガーを食べて夜明けを待つ日が増えた。
 就職氷河期で正社員につけず、非正規社員になった若者たちが次々と職を失っている。明日のみえない不安のなかで、つかの間の休息をとる。深夜のマクドナルドはそんな場所になっている。
 だがその静寂を切り裂くように、午前2時前、大音量の音楽が突然、鳴った。
 飲食スペースの「閉店」を知らせるアナウンスに、男性たちは重い足取りで店を出る。ぞろぞろと向かった先は50メートルほど離れた新古書店ブックオフだ。
 また夜がくるまで、街に埋もれて過ごす。そうすれば、マクドナルドの席があく。(中川仁樹)

衝撃的な記事である。朝日は暮にも大企業のリストラを点描した「追い出し部屋」の記事を一面掲載した。パナソニックやシャープの話だったから、あれも関西中心の記事だったように思う。朝日の大阪社会部は今、リストラ、格差社会を集中取材しているのかもしれないな。
「追い出し部屋」もなかなかインパクトが強かったけれど、今回の「マクド難民」もかなり衝撃的だ。リストラされた非正規労働者たちが住居もなく、その日のねぐらをネットカフェや漫画喫茶に求めることはこれまでにも多く取り上げられていた。しかしネットカフェは一晩1000円程度かかる。それすらも支払えない困窮者が一杯100円のコーヒーでなんとか凌いでいるという現実。なにかとんでもない状況が日本社会に現出している。
どうせなら朝日も「追い出し部屋」か今回の「マクド難民」を朝刊一面にもってくればよかったのにとも思う。そうすれば新年の明るい雰囲気など軽く吹っ飛んで、格差や貧困の増大が新年早々もっと取り上げられたかもしれない。
まあ自民党の支持者たちからすれば、この手は問題は全部民主党の失政とかに落とし込むのだろうかもしれないし、ネットとかではアカヒがまたやったぐらいの揶揄でかたずけようとするのかもしれない。
でも事態が、格差、貧困が増大しているのかというと、そもそも何も変わってはいないのではとも思う。湯浅誠等が「反貧困ネットワーク」を立ち上げて、「派遣切り」「年越し派遣村」「反貧困」が社会問題化されたのは2008年のことだったか。あのときもリストラ、派遣切りにより住む家を失った労働者がネットカフェや漫画喫茶で生活するという実態がよく報道された。
実はそのときから、深夜をマクドナルドで過ごす「マック難民」も話題には出ていた。実際、数百円で夜を過ごすことができるのであり、貧困層の最下層の人々がそこに流れ始めていたのだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/ajiemon/20070608/p1:TITLE
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/jfoods/1180060438/:TITLE
私も「マック難民」の話は当時も聞いたことがあった。以前都内に勤めていた頃は、都内で痛飲して最終電車を乗り過ごすとたいていの場合はタクシーとかを利用してはいた。翌日休みとなると、けっこうな頻度でどこかで夜を過ごし、始発電車で帰るということもあった。その場合の選択肢としては、そのまま飲み続ける、深夜映画に行く、カプセルホテルに行くなどなどだったと思う。深夜映画の場合は、最終上映が終わっても始発まで1時間以上時間があり、冬場などは仕方なくマクドナルドに行くこともあった。
そのわずかな経験値からいえば、10年以上前の深夜のマックといえば、だいたい私と同じように始発待機組みがほとんどで、一人組みは寝るか本でも読むかしている。複数組は飲みの続きのごとくバカ話をしているという風だった。
それが5年くらい前からはなんとなく風景が変わり始めた。もちろん始発待機組がメインではあるのだが、所々に毛色が異なる人々がい始めた。もちろん半径数メートル以内にはいられないような異臭を放つプータローはいない。でもなんとなく身なりが貧相で髪ボサボサ、紙袋やボストンバッグを横に置いて寝ている人たちだ。
その時にもなんとなく普通に、こうやって夜を過ごす連中が増えているのかと思った。そしてなんとなくマックで夜を過ごすのはヤバイかもと思った。ある種の俗物的な市民感情かもしれない。あのへんとは一線引いておかないとみたいな意識かもしれない。でも本当は、いつ自身もあっちに回るかもしれないという密かな恐れみたいなものもあったかもしれない。
だから「マック難民」という言葉にはさほどの違和感もない部分もあった。ある種今始まったことでもないだろうという意識である。さらにいえば、マクドナルドも彼らをあからさまに排除しようとはしていない部分もこれまではあったのではないかと思う。
マックは低価格ながら客層を一定に保つためにそれなりのことはやっている。特にプータローを徹底的に排除してきたはずだと思う。たぶん20年以上前のことだが、新宿だか渋谷のマックでプータローがハンバーガーだかポテトを買いに来たのを見たことがある。ボロボロの衣服で異臭を放っていたが、手には硬貨を握り締めていた。レジの兄ちゃんがちょっと困って対応していた。プータローのおっさんは、言葉も少し不自由な様子でなかなかなにが欲しいのかレジの兄ちゃんに伝えられない。周りにはキレイなかっこをした若い女の子たちが、ややひいた感じでかたまっている。
ちょっと困った状況だなと思っていた次の瞬間、カウンターの奥から体育会系の若い店員(おそらく店長かなにか)が出てきて、プータローのおっさんを店内に引きずり出して道路に突き飛ばした。店員は「二度と店先にくるんじゃない」とすごんだ。プータローは顔に擦り傷つくって出血しながらもヘラヘラとしながら立ち上がってそこから消えていった。
ある種、マックドナルドの黒い部分というか、凄みを見せつけられた思いだった。でも繁華街で一定の明るいイメージを、普通の客が普通に利用するためのイメージを維持するためには、あれは必要なのかもしれないとも思った。あれをやることでプータローのネットワーク的には、マックはヤバイから近づいてはいけないみたいなことにもなるのだろうから。
今回の「マクド難民」の記事でマクドナルドが、強権を打ち出して彼らを排除するなんてことがなければいいのだが。そしてまた現代の日本は相当深刻な問題、「貧困問題」を抱えているのだということを改めて認識した。