「時をかける少女」

前回に続いて内田樹センセイの『うほほいシネクラブ』からのネタです。映画「時をかける少女」です。アニメでも仲里衣沙のやつでもありません。1983年製作の角川映画原田知世のデビュー作にして代表作になった作品です。この映画はもう何度繰り返して観たかわかりません。私にとっては相米慎二監督作品「翔んだカップル」とともにマイ・フェヴァリット・シネマの一つです。
翔んだカップル」は薬師丸ひろ子鶴見辰吾尾美としのり石原真理子が出演した青春映画の傑作。今はみんな中堅どころの中年俳優になってしまったんだけど、みんな10代の可愛い高校生だった。この映画はそれこそ劇場でも10数回観たし、ビデオでもずいぶんと繰り返し観た。サントラ版のLPも持っていた。本当に好きだったんだな。1980年製作だから学生だったか、勤め始めた、そんな頃である。別に薬師丸ひろ子のおっかけやっていたわけでもない。その当時がおそらく映画を一番観た時期だったから、それなりの審美眼もあったんではないかとも思う。
たぶん22〜25くらいの頃は、ほぼ毎年100本以上、多い時には200本くらいの映画を観ていた。今ならTSUTAYAでDVD借りてきて週末まとめて観るなんてことも可能だから、このくらいの本数は簡単がもしれないが、当時はこれを全部劇場通ってだから、けっこうな労力、時間をつかったんだよな。映画館のハシゴなんてのもザラだったし、三番館あたりで3本立てなんていうのもよく観た。ひどいのは5本立てなんていうえらいプログラムもあったりした。朝一番から最終回までずっと映画館にいたなんていうのもあったな。もう映画漬けだから満足しまくりなんだが、尻が痛くなってしょうがなかったな。
さらにいえば学生時代の最後の年のどこかで2週間くらいだったか、擬似的なプータローしたこともあったぞ。あん時は一週間くらい夜はオールナイトで過ごしたんだったか。
1983年はそういう映画漬けの日々を送っていた時代だった。そこで出会った映画の一つが「時をかける少女」だった。つい最近も恐る恐るDVDを十年ぶりくらいで観てみた。かって感動した映画に全然反応できなくなったり、気恥ずかしさだけで途中で断念したりとか、まあある種の失望に陥ることも多いので、本当に恐る恐るだったのだが、意外とというか、けっこうきっちり観ることができた。そして原田知世の大人と子どもの中間の不思議な魅力を改めて認識したりもした。本当にいい映画だったと思った。「翔んだカップル」を今こんな風に幸福に観ることができるか、それがたいへん疑問なので今のところは封印している。
その齢五十代半ばにあっても、詩情あふれる青春映画の傑作「時をかける少女」を堪能できる私にとって、内田センセイはたいへん共感できるような短評を寄せている。それがとっても嬉しく思ったので、全文引用しちゃう。

時をかける少女』(監督:大林宣彦、出演:原田知世高柳良一尾美としのり
1983年の封切初日に見た。お目当ては薬師丸ひろ子松田優作共演の『探偵物語』であり、大林の映画は私にとっては「併映作品」だった。しかし、満員の映画館で、原田知世のアップがフェイドアウトしたとき、映画館には割れんばかりの拍手が鳴り響いたのである(『探偵物語』には誰も拍手しなかった。映画館で自然発生的な拍手がわきあがるのを聞いたのは、60年代末の東映やくざ映画黄金の高倉健以来である。
大林の新旧「尾道三部作」の中では、『転校生』と『時をかける少女』が群を抜いて素晴らしい。
DVDには「付録」で大林監督のインタビューもついていた。その中で、監督はわずか28日間しかなかったこの映画の撮影期間中に、スタッフ全員が原田知世という少女が大好きになって、「この少女のいちばん美しい瞬間をフィルムに収めよう」という情熱を共有したことが映画の成功の原因だろうと語っていた。映画は主演の少女女優が中学を卒業して、高校に入学するまでのひと月たらずの休暇のあいだに撮影された。忘れられやすいことだが、映画もまた演劇と同じく「一回的な出会い」の記録である。「もう子どもではなく、まだ大人ではない少女のほんの一瞬のきらめき」はいまフィルムに定着しなければ永遠に失われるだろうというある種の切迫感が、俳優たちにもスタッフたちにも共有されていた。その切迫眼が「いまの一瞬は、最初で最後の一瞬である」という「時の移ろい」という映画の主題そのものとみごとな重奏をなしとげたのである。
原田知世はこの初主演映画で女優として頂点をきわめ、それ以後二度とスクリ0ンの上でこのようなオーラを示すことがなかった。高柳良一は大学を出たあと俳優をやめて角川書店に入社し、いしかわじゅんの担当編集者になった。
私が映画館で感じたあの身を捩るような「切なさ」は、この少年少女たちの輝きがつかのまのものであることを観客たちは直感していたからだということが17年経ってから分かった。『うほほいシネクラブ』(文春新書)P328-329

まったくの同感である。原田知世の「いちばん美しい瞬間」をスクリーンに焼きつけるという大林監督を中心としたスタッフの狂気ともいうべき情熱がひしひしと伝わってくる。それは100%成功したといえるだろう。スクリーンの中の原田知世はこの世のどこにもいないような、<少女>の理想形として表出しているとさえ思える。などというと、なんだいオッサン、アホちゃうみたいな風かもしれない。でもこの映画の彼女はやっぱりただのアイドルとは違うような気もするのだ。
映画は「一回生」として記録である。その通りだと思う。そしてうまいこと成功した映画の中では、そこに写し取られた「生」は永遠に美しいまま残されるのである。「ザッツ・エンターテイメント」の中でライザ・ミネリが母ジュディ・ガーランドののことをこんな風に語っていたっけ。母の素晴らしさを説明するのに言葉はいりません。母の映画を観ればすべてがわかります。確かそんなことを熱く話していた。そうなのである、そして原田知世という少女がどんなに素敵だったかについていえば、それは『時をかける少女』を観ればいいと。しかしその不思議な魅力、美しさは実はスクリーンの中にだけしかないのである。私たちは『時をかける少女』を観ているときに、この少女の可憐な美しさがすぐに喪われていくもの、あるいはすでに喪われてしまったということが、内田センセイがいうようにまさしく直感的にわかってしまうのである。そのあらかじめ喪われてしまうものへの切ない憧憬、それがこの映画の魅力なんだと思う。