つづれおり/キャロル・キング

つづれおり

つづれおり

不覚ながら通して聴くのは初めてかもしれない。とはいえキャロル・キングのアルバムはベスト盤を持っていたこともあり、たいていの曲を知っている。いや愛聴してきたといえる。このアルバムに収められている曲もすべて知っている、いや何度も何度も聴いている。ただこのアルバムだけはなぜか持っていなかった、それだけのことだ。
とにかく大ヒットしたアルバムである。1971年に発売され全米アルバムチャート1位を15週続け、その後6年間チャートに居続けた。ほぼ総ての曲が今ではアメリカン・ポップスのスタンダードになっている、そういう名盤中の名盤である。
このアルバムについていえば、日本発売と同時にけっこう注目していた。収録曲で日本でも大ヒットした「IT'S TOO LATE」が好きだったせいもあるのだろう。
この曲を当時中学生だったが、アコギ一本でよく弾きながら歌ったものである。Em7 A6の単調なフレーズから転調してサビはFmaj7 Cmaj7へと続く。懐かしいな、どのくらい歌ったかというと、今でもこうやってCDを聴いていると、一緒にそらで歌える、歌詞が自然と出てくる

♪♪ stayed in bed all morinin' jst to pass the time♪♪
♪♪ And it's to late,baby,now it's too late,Though we really did try to make it. Somethin' in side has died and I can't hide and I just can't fake it.♪♪

「 もう遅すぎるのね。私たちいろいろ努力してきたけど、どっちかのなにかが失われてしまったんだわ。そしてもうそれを隠したり、取り繕ったりできなくなっちゃたの」
たぶんそんなような意味合いなんだろうかね。切ない典型的な色恋の別れ話の歌なんだろう。オマセなチュー坊の私は精一杯背伸びしてこの歌を歌っていたんだろうな。
「YOUNG GUITAR」という雑誌の1971年9月号をいまだ持っている。いっぱしのギター小僧だった私にとっては、当時「GUTSともに愛読していて、載っている譜面を見ながらコピーしたり、歌ったりと暗い青春を過ごしていた。この「YOUNG GUITAR」は確か父と一緒にいった伊豆旅行の時に、下田の本屋で買ってもらったものだったと記憶している。繰り返し繰り返し記事を読み、楽譜をコピーしてギターかき鳴らしたことを覚えている。たぶんこの雑誌はきっと棺おけの中にもいれてもらうように子どもに言付けることになるんだろうな。

なにやらヒッピー風な男の似顔絵みたいないたずら書きも当時ならではである。そしてまた 表4の広告がまた笑えるんだよな。JUNだよJUN。

そして私が何度も何度もギターの弾き語りしたのがこの譜面なんだよな。

いや〜、うれし恥ずかし的な懐かしさ。
そしてこの雑誌のレコードレビューの中で「つづれおり」はこんな風に紹介されている。

10年前から、作曲家として有名だった彼女が、今度はシンガー&ソングライターとして登場!なたにたアメリカの音楽界を一人じめしようとしている。
このLPには彼女が作曲家として認められた”Will You love me tomorrow"も入っており、又タイトルとなってい「Tapestory」で”私の人生は豊かで壮大な色合いのつづれおり・・・・”と言っているように、一針一針交差させて行くつづれおりに人生をたとえており、あじわい深いLPとなっている。
今年、もっとも期待出来るアーティストとして、彼女の名前をあげる事ができるだろう。

そんな風にして1971年、私はキャロル・キングを知っわけだ。その後、彼女は10代から売れっ子のソング・ライターであることを知ったし、あの「ロコ・モーション」も彼女の手になるとか、ローラ・ニーロが歌った「アップ・オン・ザ・ルーフ」も彼女の曲であるとか、いろいろなことを知った。
この「つづれおり」というアルバムはフォーク・ロックに若干のジャズ・テイストをふりかけたような、たぶん70年代にあってはとっても画期的なコンセプトにあふれたものだったと思う。どの曲もはずれなしみたいな佳作、名作揃いだ。激動の60年代を終わった後、喧騒の後の癒しの時を象徴するような、どこか静的な雰囲気にあふれている。このアルバムが大ヒットしたのは、たぶん時代的なものもあるのだろうなと思う。
彼女の成功によって女性ソロシンガーが続々と出現した。カーリー・サイモンとかリンダ・ロンシュタットなんかもフォロワーに連なるのだろう。また彼女の同時代の人でもあるジョニ・ミッチェルも、たぶんこのアルバムに影響された部分もあるのだろうと思う。このアルバムに収録された名曲「君の友だち」をジェームズ・テーラーがカバーしてヒットした。そのときにバック・コーラスでサポートしているのがジョニ・ミッチェルである。
ジョニもまた70年代にジャズテイストを自らの曲、演奏に取り入れた。彼女はジャズ・ミュージシャンをバックに新境地を開いていった。1975年から80年にかけてのことだ。「ヘジラ」「ミンガス」「シャドウズアンドライツ」などなど。ウェザー・リポートに参加していた中堅ジャズミュージシャン、ジャコ・パストリアスウェイン・ショーターラリー・カールトンパット・メセニーが嬉々としてジョニのバッキングしているのをDVDなどで何度も見ることができた。ジャズ好きからすれば、あのショーターが、ジャコがみたいな感じもしたが、そのくらいジョニはスターだったということになるんだろう。
70年代、女性ヴォーカルの躍進はある意味、キャロル・キングの「つづれおり」から始まる。このアルバムの成功が、女性シンガーソングライターというものを世界に認知させたということになるのだろう。だからこその歴史的名盤なのである。
ただしいていえばだけど、このアルバムは売れすぎたんだろうね。同じ1971年に発表されたブルージーかつソウルフルにあふれたローラ・ニーロの名盤「Gonna Take a Miracle 」はすっかり陰に隠れるようにして、あまり話題にならなかった。ブラック・ミュージックの勢いが増した1990年以降であれば、たぶん「つづれおり」よりも「Gonna Take a Miracle 」のほうが人々に受け入れられたかもしれない。ややもすればソリッドでアーシーであるかもしれないし、一般受けされる度合いは「つづれおり」のほうが勝っているかもしれない。でももう少しローラ・ニーロも売れていても良かったんじゃないかという気もしないではない。
「Gonna Take a Miracle 」が「つづれおり」ほどではないにしろ、そこそこにヒットしていれば、ローラ・ニーロは5年間の引退生活を送ることもなかったかもしれないし、もう少し違った音楽生活を続けることができたかもしれない。
総てはタラレバになってしまうのかもしれない。でもこの歴史的名盤をしばらくの間は、とにかくしみじみと繰り返し聴いてみようと思う。