東京国際ブックフェアに行ってきた

昨年に引き続き東京国際ブックフェアに行ってきた。埼玉の辺境鶴ヶ島が2時間かけて東京ビッグサイトまで出かけたのだが、もう本当におのぼりさん状態である。出版社とかでも、私の見知った人たちというのは、たいてい定年しているか、雲の上の人になっているか、あるいはそもそもすでに業界にいなくて行方不明になっているかしているし、なんつうかもう浦島太郎状態でもあるわけ。
それでもいちおう新しい業界の潮流というのかな、いちおうアンテナ張っとく必要もさもありなんみたいな感覚で、いい年だというのに、いそいそ出かけてみているのだ。以下、断片的な感想を。
やはり昨年来からのトレンドというのか、電子出版の広がりはどうなっているのかが一番の興味でもあり、会場に着いて一番に足を運んだのが国際電子出版EXPOである。入り口入ってすぐにあるのが、大日本印刷凸版印刷の両巨頭。やっぱり日本の電子出版はこの二大印刷会社がリーディング・カンパニーよろしく引っ張っていくのだろうかと、ある意味象徴的な感じである。そして次にボイジャーモリサワパピレスと続く。
昨年に続いてボイジャーは元気が良い感じである。長くこの分野でフロントでやってきているという気概を感じさせる。まあ私がここの荻野社長みたくだったら、とっくにここ1年くらいで会社売っぱらってみたいな算段してたろうな。まあいいか。
そうやって見て行くと、あれれ去年一番客が寄り付いていた、あの会社のブースが見当たらないではないか。あのググるじゃなくて、そうGoogleがいない。そう思って入り口で配られていた出展地図や出展企業一覧で再確認してみるとやっぱりない。出展していないんだ。
昨年は電子出版元年と喧伝されていたし、国際ブックフェアもなにやら異様なほどの熱気に包まれていた感もあった。その中核にあったのがGoogleだったはずなのだが。そういえば当事、秋には本格的にサービスを開始するはずだったGoogleエディションはあれからどうなってしまったのだろう。確かGoogle eBooksとして本国アメリカではサービスが開始されたんじゃなかったっけ。
Google eBooks,米国で正式公開――日本での正式公開は2011年の予定:インフォメーション|gihyo.jp … 技術評論社
最近はどうなっているんだろうか。とんと聞かないのだが。田舎でひっそり商売している私のアンテナに引っかからないだけなんだろうか。
しかしGoogleもいない、もちろんアップルもない。さらにいえばアマゾンもいない。そんななかで電子出版といってもなんぼのもんじゃというのが、正直な感想である。
日本の電子出版の主流はここ数年ずっと携帯をデバイスにしたものばかりで、ライトノベル、コミック、エロの三種中心である。そのうちエロものが主流を占めているともいわれている。なんかインターネットの草創期を思わせるイメージだ。日本のインターネット普及は、それこそ電導エロ紙芝居としておっさん系を中心に広まったというのが私の見方なんだけど、それとほとんど同じに思える。
その携帯中心の電子出版が流れとしてはスマートフォンに移行する時期にあるというのが2011年の現在的位置なんじゃないかと思う。そうやって見てみると、どの出展社のコンテンツもそのへんを見越したものが多い感じだ。展示されているデバイスは昨年がiPad一色だったのに比べると今年はかなりの部分でスマートフォン、特にiPhonだけではなくアンドロイド端末が増えているようにも感じられた。
その象徴的なところが確か昨年はなかったようにも思うのだが、KDDIがかなり大きなブースによりLISMO Book Storeを紹介していた。これはまさしくLISMO Music Storeの書籍版である。しかもKDDIはこれを既存の携帯端末用としてではなく、スマートフォン用のサービスとして展開している。
なるほどなるほど、今年の電子出版のトレンドは、携帯からスマートフォンへとキャリアが代わる時期に合わせたサービスの発表会になっているということなんだろうか。そうやって見ると確かに昨年は出展していたはずのシャープも例のガラパゴスようなタブレットも見当たらない。電子出版のデバイスの多様性はどうなったのか。リーダースはどうしてしまったのだろうとか。
時代の波はスマートフォンである。携帯端末の普及により、出版物も携帯用のコンテンツになっていくと、つまりはそういう流れにあるということなのである。
でもね、それって出版の本流にはけっしてなりえないと思う。携帯端末で消費される出版物というのは、やっぱりその小型デバイスの形状的限界性からしても、コミックやガイド、文庫版によるライトノベル、もちろん従来型のエロものの類が中心だと思う。もう明確にいうけど、あっさり消費されてあっさり消去されてしまうものばかりだとおもう。
しかし出版物の本流はどこにあるか。読者の出版物への愛着、執着みたいな部分とか。ようは商品に対する恣意的な拘りに属する部分だ。それに遭わせて電子出版の可能性として小さなデバイスの中に蔵書を数千冊単位で保存して、自由に検索し、自由にいつでもどこでも読むことができることをうたっているものが多い。そういう部分の中でスマートフォンが電子出版の主流的デバイスになることができるか、私は難しいと思う。だってあれってせいぜいもって1日でしょ、バッテリーが。
毎日帰っちゃ、充電して、みたいな感じでさあ、外では電話や手帳代わりとして使っておまけに読書もして、さてあともう少し読みたいのだけど、電池切れでみたいなことって、たぶん読書家は許さないと思うわけ。おまけに画面小さいから、まあ文庫代わりとしてならいいのだろうけど、図版とかを見るにはあの画面ではとも思う。
そういう点では私は、iPadも実は電子出版のデバイスとしては圧倒的に不十分だと思っている。あれも連続使用時間は確か10時間程度だろう。それって読書家の読書時間としてはどうよ、と思うわけ。あれは様々な可能性をイメージさせる電動オモチャだと実は私なんぞは思っている。あれが電子出版の中で生きていくのは、例えば商品カタログとか雑誌類のように、容易にマルチメディア化していく場合に限ってのことだと思う。
そういう意味では、読書家の通常利用に耐え得る仕様をもっているのはやっぱりアマゾンのキンドルだけなんではないかとも思う。通信接続使用でも2〜5日程度、ネット接続なしでは一週間程度充電しなくても使用できる。そのくらいでなくてはやっぱり使えないと思う。キンドルの日本語版はなかなかでない。アマゾン的には満を持して的に時期をみているのだろうが、とにかく日本語のコンテンツの質、量がまだまだということが一番の理由なんだろう。
やれコミックを中心に数万冊ダウンロード可能などとディストリビューターは増えているけれど、まだまだそれでは本当の出版物のコアの読者に理解されるところではないと、たぶんアマゾンあたりは考えているのかもしれない。
まあ私なんかも、たとえば人文会、大学出版協会、自然科学書協会などの専門書とか、岩波、筑摩、平凡社、中公、早川あたりの主だったところの既刊書がたいてい入手可能となったら、それがキンドルやリーダースくらいの手頃なデバイスで閲覧できれば、本格的に電子出版に手を伸ばしてもいいかと思ったりもする。そうあからさまではないにしろ、そんなことを漠然と考えている読書家は多いのではないかと思ったりもしているわけだ。
というわけで、今年のなんとなくスマートフォンにふったような電子出版にはなんともあまり興味を覚えることもなしというのが漠然とした感想でした。
その他では、普通に出版物のブースでは、やっぱりここのところたいへん元気なディスカバートゥエンティワンとかは、なかなか立派で大きなスペース使って活気があっていいなとも思った。専門書ではなぜかここんところ威勢がいいミネルヴァ書房もそこそこ大きなブース使っていてけっこう魅力的だったかな。おまけで配っているのがあぶらとり紙というのが、さすが京都の出版社ということで、これも大変よろしいかなと思ったりした。
まあえらそうにのたまっているけど、一番長くいたのが実は洋書バーゲンとソースネクストだったりして。洋書バーゲンでは輸入クラシックCDのなんか叩き売りみたいなことやっていて、10枚セットが1000円とかで売っていた。もう夢中であれもこれもみたいにしていたら、知り合いに見つかって、後ろから「お客さん、それはお買い得でっせ」と声かけられて、お互い苦笑してしまった。まあ荷物になるから、ラベルのセットと若い頃のカラヤンもの、さらにオーマンディのものなんかを物色。
さらにソースネクストでは超字幕という映画を使った英語学習ソフトがこれも一つ1000円で売っていたので、「ローマの休日」とか娘用に「ハリポタ」とかを購入した。なんかこういう物欲心をくすぐるものがあると、けっこう病みつきになりそうでこわい。