コルトレーン ジャズの殉教者

岩波新書でジャズ・アーティストの評伝が出たのである。一昔前ならば、ある種のエポックメーキングだったかもしれない。広く教養一般をうたっている岩波新書でジャズがとりあげられる。それも例えば概説書としての「ジャズとはなにか」ではなく、いきなり評伝なのである。
思い出すままに岩波新書で音楽家の評伝はあったか。「J.S。バッハ」(辻壮一著)「グスタフ・マーラー―現代音楽への道」(柴田南雄著)思いつくのはそのくらいである。いずれも黄版だからたぶん品切だろう。格のうえではコルトレーンはいきなりバッハ、マーラーと肩を並べる存在になってしまったわけだ。若干揶揄的な言い方として、岩波的教養主義の立場にたてば、そういうことになるのだろう。
もはやジャズは場末の、飲み屋で供される音楽ではなく、芸術の高みに至り、その知識は教養主義的に語られることになったということか。
しかしパーカーでもエリントンでもなく、マイルスでもなく、なぜかいきなりコルトレーンなのである。このへんの選択が微妙である。もっともマイルスものは中山康樹氏とかが、講談社現代新書あたりでとっくにとりあげている。今さら岩波あたりがとりあげても二番煎じのそしりを受けるか。かといってパーカーあたりだと、少し品がないというかなんというか。
まあいい、とにかくコルトレーンなのである。ジャズの芸術性を追求し、フリーとの橋渡しをした重要なアーティストである。求道的な生き方も含めて、ある意味では岩波文化に即した題材なのかもしれない。
著者の藤岡靖洋氏は著名なコルトレーン研究家である。もっともここ20〜30年ジャズを聴いている者からは、呉服屋の若旦那のコルトレーン狂いと、親しみと共感、若干の嘲笑をこめて語られる秀逸な批評家である。ある意味その集大成ともいうべき作品なのであるのだが、いかんせん岩波新書は小冊子の部類である。240ページという器では、意余って足らずというか、どうにも著述が中途半端で終わっている部分が散見した。
コルトレーンに情熱を注いできた藤岡氏のことである。おそらくこの倍、あるいは三倍くらいの分量があれば、コルトレーンに関する思いのたけをすべて吐露することができたのではないかと、そんなことを思う部分もなきにしもである。
本書ではまず序章で最初にして最後となる1966年の来日公演についての記述から始まる。次にコルトレーンの生い立ちが続き、さらにコルトレーンに影響を与えた三人の友、マイルス、モンク、ロリンズとのからみ。さらにコルトレーンのブレイクしたアルバム、「ブルー・トレイン」「ソウルトレーン」「マイ・フェヴァリット・シングス」について触れる。さらにマンハッタンのジャズクラブとコルトレーンについて、そしてフリー、ワールド・ミュージックにウィングを広げた音楽的展開についての小論が続くと、そんな構成である。
ただし、どれもどことなく中途半端な印象がある。著者的にはあれも書きたい、これもいれたいという思いがあったのだろう。それを新書という器に取り込むにあたって、捨象していかなくてはならない。そのへんのところがうまいこといっていない印象である。
ただしこれは著者の問題というよりも、編集者の力量なのかもしれない。しょせん240頁という器である。膨らませる話は限られている。こと評伝という意味合いでいえば、序章の来日時のエピソードやマンハッタンのジャズクラブの部分は不必要だったのかもしれない。そのうえでコルトレーンが頭角を現した次代のジャズの潮流についての背景説明、例えばビーバップからハードバップへの移行期やマイルスのコンボでのコルトレーンの役割とか、そのへんを膨らませたほうが、読者にとってはより分かりやすかったかもしれない。
ようはである、コルトレーンって誰なのという、読者の疑問に答えるうえで、本書はきわめて不親切なんではないかというのが率直な感想なわけだ。前述したが岩波新書は教養書である。コアな読者(おそらくだいぶ年齢がいっているだろう)は、とりあえず岩波新書はすべて購入し読む。自分の興味の範疇でないものであっても読む。ある意味コルトレーンなどまったく知らない人たちが、岩波新書で刊行されたということだけで、手に取り読んでみようかと思うわけである。そうした読者にとってこの本は少しハードルが高い。ようは最後まで読んでも、ちっともコルトレーンってこういうやつという読後のイメージが形成しにくいのである。
それではジャズファンにとってはどうか。コルトレーンについての知識もあり、主要なアルバムはだいたい聴いているという人にとってはどうか。そうなると、本書の記述はというと、まあたいてい機知のことばかりで逆に新味な部分に欠けるといううらみもあったりもする。
薬中のコルトレーンがボクシングの心得があるマイルスに殴られて首になるのは有名な話だし。モンクの元で鍛えられたということも、たいていのジャズファンは知っている。出来ればもっとこのあたりは豊富なエピソードを盛り込んで膨らませてほしかったという気もする。マイルスコンボでコルトレーンが腕を磨いたの有名な話だし、彼の「マイフェバリッド・シングス」などでのモード奏法は、この時代のマイルスからの啓発だろうともいわれていたりもするのだから。
逆に面白かった部分。新書という器でコルトレーンの評伝という部分では余計なエピソードになってしまうのだろうが、マンハッタンのジャズクラブの話はとても面白かった。ハーフ・ノートのステージがバーのカウンターであり、その狭い空間でコルトレーンエルビン・ジョーンズが丁々発止バトルを繰り広げたなんて話はなんとも愉快である。
結論的にいえば、本書は新書という器の中では、ややもすれば中途半端な記述が多く、うまく纏め上げられていないという印象が強い。残念である。藤岡氏のコルトレーン研究の集大成という意味ではもっと器の大きな入れ物で思う存分書いてもらいたかったという気がしないでもない。
ジャズクラブとジャズ・ミュージシャン、これだけで様々なエピソードを満載で一冊の本ができるのではという気もしないでもない。「サンデー・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード」のエバンスの名演奏をそっちのけで酒飲んでいた御仁のこととか。その場に居合わせた人を見つけ出してインタビュー入れたりとか。なんかそういう本がアメリカあたりだったらありそうな気もしないでもない。
ややもすると本書に対して否定的な評価というか、駄目だししているのかもしれない。でもそこそこ面白かった。それこそ一気に読んでしまったし。この本を読みながら久々コルトレーンのアルバムを何枚も聴いたりもしたから。