一日まったりとマイルスを聴く

三月に入ってからいちだんと春めいてきた。暖冬の影響で厳しい寒さということがほとんどないまま春突入みたいな雰囲気だ。今日も穏やかな日和で、散歩でもいい、ちょっとした買い物でもいい、とにかく外出するにはうってつけの陽気だったのだが、ほぼ一日部屋に閉じこもっていた。もちろん朝食だってきちんと作ったし、昼食もインスタントじゃない味噌ラーメンとか作った。娘の体操着だの、給食係の割烹着とか三角頭巾とかもきちんと洗濯した。まあ当たり前のように家事はした。でもそれ以外は自室にこもっていた。例のヤフオクで購入したコンポでずっとCD聴きまくっていた。
で、なにを聴いていたか。もうひたすらマイルス。なぜかマイルス・デイヴィスばっかり聴いてました。こんなに続けてマイルス聴いたのって、おそらく数十年ぶりじゃないかってくらい。といってもマイルスで持っているものはけっこう限られている。’60年代以降のものはあんまりもっていないし、所謂電化マイルスになると「Jack Johnson」「「Bitches Brew」「On the Corner」くらいしか持っていない。なんとなくだけど、私の中では昔からマイルスといえば’50年代で完結してしまっている部分もなきにしもなのだ。
で、「Walkin'」「Cookin'」「Relaxin'」「Kind of Blue」「'Round about Midnight」「Milestones」「Somethin' eles」などなど。まさしく定盤中の定盤チューンばっかり。で、改めてその名演奏ぶりに昼間から酔いしれた。でも若い時のように妙にかまえてマイルス聴くみたいな部分ももうなくなっているみたいで、普通にジャズの名盤として楽しめたような気がする。
昔からこのへんのマイルスにはハードバップの完成形みたいなイメージが個人的にはあった。でもこうやって改めて聴いてみるとだね、なんていうのだろう普通のジャズの演奏なんだよな。コルトレーンなんかはまだまだ荒削りみたいな感もする。硬質すぎて浮きかねない。そこをマイルスがきっちり抑えにかかっているみたいな。
ただしマイルスのジャズっていうのはやっぱりサウンド重視。バランスというか、やっぱりグループサウンズなんじゃないかなって思う。これでもかこれでもかというような早弾きプレイや、魂の根源からの発露みたいな熱狂プレイもない。きわめて理知的でバランスのとれた様式美みたいな感覚なんだろうな。
よくいわれたことだけど、マイルスはテクニック的にはガレスピー、ブラウンやモーガンよりも劣るみたいな言説あったよな。スタイル違いとかを無視したきわめて荒っぽい比較だけど、一面ではあたっている部分もあるにはあるのだとは思う。実際マイルスはあんな風にはけっして吹かないわけだし。
マイルスはジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアをパーカーのコンボから出発させている。パーカーやガレスピーから様々な影響を受けているはずだ。パーカーに近く接している間に、彼のような卓越したテクニックと驚異的なインプロビッゼーションとは異なる道を進むことを考えたんだろうとなんとなく想像してしまうわけだ。パーカーのような道を歩むには技量の点で追いついていかないだろう。豊かなインプロビゼーションを維持し続けるために文字通り命削っていかなくてはならない。天才的なプレイヤーではないマイルスはクリエイターとしての能力を研鑽していった。それが’50年代のマイルスコンボでの課程だったんじゃないかなどと、まあもっともらしく考えてみたわけだ。
おそらくマイルスのハードバップジャズは’60年代のコンボ、ショーターやウィリアムス、ハンコック等を要したコンボにあって、その完成形をみたということになるのだろうな。所謂メインストリームジャズっていうやつか。でも、実をいうとあんまりこの辺聞き込んでいないんだな。
まあこれから少しづつこの辺も聴いていけたらいいな。できれば’70年代以降のマイルスとかも。未だにレンタルとかでも「アガルタ」とか「ドゥー・バップ」とかって手にとることもできないからな。まあこういうのも老後の楽しみみたいなことになるんだろうか。
若い頃には、よくこういうものいいしてたよなとふと思い出す。たとえばドストエフスキートルストイは老後にとっておくみたいな。ブラームスモーツァルトもそう、ゾラもバルザックも、プルーストの「失われた時を求めて」やジョイスの「ユリシーズ」も。なんか引退した暁には有り余る時間があって、それを自由に使うことができるみたいな感じがしたものなんだよな。
でもさあ、そろそろそういう時期が現実味を帯びてくるお年頃になると、つくづく思うよ。老後なんかにはさあ、有り余る時間なんてありえね〜。もうゲームセットまでわずかな時間しか残されていないんだよな。結局のところ有り余る時間があったのは若い時だったはずなのに、あまりにも無為に過ごしてきてしまったつうことね。
時分のこれからの人生思い描くとなると、とりあえず健康であるという前提のうえでのイメージだけど、やっぱり子どもがまだ小さいのと、妻が障害者になってしまったということとか考えれば、とにかく働ける間は働く。もうそれ以外に道というか選択肢はないんだよな。改正高年齢者雇用安定法の成立でうまくすれば65歳くらいまでは働ける環境が整いつつある。転職繰り返してきたから、退職金などほとんど期待できない、ましては我々の世代には年金暮らしなど夢の夢なわけ。だからもう働けるうちはとにかく働くということが重要なわけだ。そうなると本当に健康であるということがとっても大切になってくるな〜。
なんかマイルスから果てしなく遠いところにきてしまった感じだ。でもとにかく明るい老後、一日中マイルス聴いたり、バルザックの人間喜劇やドストエフスキーカラマーゾフの意味を問うみたいな生活はありえないんだろうとは思う。そうなると生活の合間に今日みたいなちょこちょこ時間みつけて、パートタイムマイルスを楽しむことしかできないんだろうな。
今回聴いていて一番心地良かったのはというと、実は「Walkin」のラッキー・トンプソンのテナーだったりして。もちろんコルトレーンの硬質ギンギンのテナーも嫌いじゃないし、どちらかというと好きな部類ではあるのだが。それでもトンプソンの艶やかなホーキンスばりのサックスは歌心があって心地よかった。マイルスコンボにあっては少しばかり浮きかげんもありそうなのだが、そう感じさせないのは1954年という時代のなせるところなんだろうか。
WALKIN'Kind Of BlueCookin' With the Miles Davis Quintetマイルストーンズ+3