小沢一郎動画サイトで語る

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101104/plc1011040004000-n1.htm
これ一応見るには見たけど、けっこう噴飯ものだったと思う。自分に近しい学者、ジャーナリストだけを並べて自分に都合のよい質問をさせ、自分の考えをほぼ一方的に語るだけの内容。これで自分はけっして逃げていない、国民への説明責任をきちんと果たしているとでも言うなら、物笑いの種でしかないだろう。しかし江川詔子とかもよく出るよな。
政治家の詭弁は世の常かもしれないが、ここまで小理屈を捻じ曲げるかという気もしないでもない。よく係争中なので、司法の場で明らかにする。だから国会での議論にはそぐわないといった言説が使われる。しかし小沢のこの展開はどうか。

「もうひとつは、政倫審も証人喚問も基本的に秘密会だ。裁判というのは全部公開だ。私は隠していることないから説明すること何もないんですけども、それを改めて『国民皆さんの公開の場でやりなさい』というが検察審査会の意見なもんですから、僕はそれに従って、もし、公判ということになればきちんと説明したいと思います。

政倫審も証人喚問も政治家の都合で秘密会にしたのだ。もともと証人喚問なんかは公開されていたし、テレビ放映もされていた。公開の場でというなら、自ら公開を前提にして証人喚問に望めばいいだけだろう。秘密会だから、それに対して裁判は公開だからという理屈は成り立たないだろう。
それ以前である。この男には政治家の倫理がより高いレベルで求められるということに対する認識がなさすぎる。司法の場で問われるのは、単に法律に抵触したかどうかということなのだ。
政治資金を使って不動産を買いまくる。政治団体は不動産登記の主体となれないので、便宜的に代表者である自分の名義にしただけだという。しかし政治団体が消滅したときに不動産はどうなるのか、例えば代表者として小澤一郎名義で登記された不動産は、小沢一郎が死んだ時に誰が相続するのか。いつのまにか政治団体の不動産は政治化個人の資産として処理されるのではないのか。
そもそも政治資金を使って換金化可能な不動産を所有することに問題がないのか。今回の小沢一郎の金をめぐる問題のキモはそういうところにある。そしてゼネコンとの関係や山形県内での公共事業との関連などなど。
法に触れなければなにをしてもいいということではそもそもないのである。まして民主党はかっての自民党の政治と金の問題に対峙する形で勢力を伸ばしてきたはずなのだから。

それが基本だが、このニコニコ動画、国会にも出ないでどうのこうのという批判があると聞いたが、結局非常に多くの人に(公開され)オープンで意見もいえるし、僕も反論できる。多くの方にわかってもらえるから、むしろ(国会より)いいんじゃないかなと。そう思って出演要請を快く受けたということ。

ネットはオープンである。公開されている場なので自由に意見がいえる、反論もできる。本当にそうだろうか、今回の小沢一郎はほとんど自分の言い分だけを勝手にしゃべっているだけだ。質問者として集められたジャーナリストや学者たちも小沢に都合の悪いことはけっして聞かない。小沢に都合の良い形での一方的な言い分、情報の垂れ流しなのである。
インターネットは無秩序、ある種のカオス的なメディアである。双方向性とはそういうものなのだが、その双方向性の一方を遮断してしまえば、きわめて単純な単一的というか、一方的な形での情報を流すためのメディアでしかない。技術的にもきわめて簡単に管理された情報を一方的に流すことが可能なのだ。
今回の小沢のニコニコ動画への出演しても、NGワードという形で、小沢に都合の悪そうなコメントはどんどんと削除されていったそうな。掲示板にもこんな書き込みもあった。
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52393503.html

まあいいだろう、いかにも民主的です、開かれたメディアでつつみ隠さず自分の立場を語っています的な形ではあるが、きわめて操作され、一方的な自分の意見、それもあんまり正当性、論理性のないことをまくしたてているとうだけなのだろう。
しかし小沢という男、つくづく大衆性ないな。彼のニコニコと笑う顔がアップになると、悪人面の上に無理やり作り笑いしているようで、かなり痛い。無理に笑わないほうがいいのじゃないかと思う。この人にきちんとしたスタイリストとか広告屋をつけてやったらどうかと思う。この人の笑顔は票につながらないぞ。
こうやって一方的にメディアを占有、あえて占有という言葉を使うと、大昔のある政治家のことを思い出してしまう。かって自民党の総裁を7期くらい続けて、それはイコールとして総理大臣を長期に続けた佐藤栄作という人物だ。この人は最後の最後、退陣の記者会見の時に、新聞社の記者をすべて退席させて、無人の記者会見場でテレビカメラにむかって自分の意をただただ語っていく。
「新聞は嫌いだ、勝手なことを書く。テレビは真実を伝える。テレビカメラはどこだ」この大政治家をそう言い放った。ギョロリとした大きな目をひん剥くようにして自分の話を一方的に述べていった。一度たりとも笑うことなく。大政治家としての凄みは申し分なく伝わった。でもテレビというメディアではきわめて一方的な形での情報垂れ流しが可能であることを証明した貴重な事件でもあったと思う。
今日の大物政治家は似合わない笑顔で、さも開かれた場で自由に意見を語り合うというポーズを見せながら、自分の勝手な言い分を話していく。こういうのを偽善的というのじゃないのか。
ネットというメディアのある意味での限界というか、きわめて古い体質によって利用されるとこうなるという形が提示されたのではないかとも思う。これはインターネットであってインターネットではない。正直そういう感想をもった。