さらばナッチャン


今朝の朝刊の社会面を開いて最初に飛び込んできた訃報記事になんとも呆然としてしまった。
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/TKY201010300274.html

映画俳優のアラン・ドロンらの吹き替えなどで知られる声優で俳優、演出家の野沢那智(のざわ・なち、本名野沢那智〈のざわ・やすとも〉)さんが30日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。72歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は長男で俳優の聡(そう)さん。
 東京都生まれ。劇団「七曜会」演出部などを経て劇団「薔薇(ばら)座」を結成。この間、60年代後半から15年間続けたTBSラジオ(当時は東京放送)の深夜番組「パックインミュージック」では、白石冬美さんとコンビを組み、軽妙な語り口で人気を得た。アル・パチーノブルース・ウィリスら洋画の二枚目の吹き替えなどでも活躍した。「薔薇座」は、ミュージカル「スイート・チャリティー」で88年度の芸術祭賞を受けた。

中学生の頃毎週木曜日の深夜、いや日の代わった金曜日の1時からの放送を暗い部屋で、寝床に入ってずっとナッチャコの金パを聴いていた。中2の後半から高2くらいまでの頃だったか。いわゆる深夜放送族の一人だったのだろう。
当時よく聴いていたのはナッチャコ、キンキンこと愛川欣也、北山修などなど。ほとんどがTBSのパック・イン・ミュージックだった。そしてさらに当て3時から5時まで放送していた第二部もよく聴いた。すでに鬼籍に入ったTBSアナウンサーだった林美男や馬場こずえ、滝良子などなど。
寝不足だったか、当然のごとくでそうで、学校では毎日ボーっとしていたのだろう。当時の生活習慣はというと、学校から帰ってくる。1〜2時間ギターを弾いたりして過ごす。早めに食事をとる。それからすぐに寝床につく。夜11時〜12時頃にもそもそと起き出す。少し勉強とかして1時になるのを待つ、そんな感じだったか。
高校生になるとこれにもう一つ加わり文化放送のラジオ大学受験ラジオ講座とかを聴くようにもなる。11時半くらいからの放送だったか。例のブラームスの大学祝典序曲がテーマソングだった。「チャチャチャチャ〜ン」のテーマにのって始まるあの放送をけっこう毎晩聴いていたんだな。眠い目こすりながらいちおう講義らしきものを聴いて、それから1時にTBSにチュージングしてみたいな。
その12時半から1時までのわずか30分の間になぜか寝入ってしまい聴き逃すことが続いてからは、念のため録音しながら聴いたりするようにもなったけ。いまでもその当時のカセットが10本くらいは残っているはずだ。たぶんグルニエのどこか奥のほうに眠っている。ひょっとしたらもはや再生不可能かもしれないな。なんたって40年も昔のものなのだから。
そんな時代にあって一番聴いていたのがナッチャコ・パックだった。聴視者から投稿された手紙をナッチャンが軽妙な語りで読んでいくお題拝借。抱腹絶倒もので寝床の中で笑いをかみ殺して聴いていた。なんだか知らないが、たった一人イヤホンを通して聴いている放送なのに、ラジオの視聴を通して、たぶん同じように聴いている見知らぬ自分と同じ同世代の誰かと通じ合っているような、そんな錯覚にとらわれたりもしたものだ。
やはりパック・イン・ミュージックのDJをしていたアナウンサーの桝井諭平は、当時「ぼくは深夜を解放する!」という1冊の本を出版した。それはサブタイトルに「続もう一つの別の広場」とうたっていた。出版していたのはブロンズ社という小さな出版社だ。その出版社は当時、サブカル的な出版物を多数出していて、そこそこ名の知れた出版社でもあった。
その出版ジャンルの一つが深夜放送モノで、「もう一つの別の広場」は、ナッチャコパックに投稿された手紙を再録したシリーズ、この出版社の売れ筋の一つだった。そう、そのタイトルをそのまま使わせてもらえば、確かに深夜放送を聴いている私は、深夜なんとなく<解放>されたような気がしていたし、深夜放送を媒体とした仮想的な空間は、ある種<もう一つの別の広場>的でさえあった。
今思えば、みんな単なる勘違いでしかないけど、そんな雰囲気に酔えそうな、まあそういう時代だった。二十代になってずっと映画を観ていた頃のこと。ルーカスの出世作である「アメリカン・グラフティ」を観ていて、こういうのを日本的な形で描くことはできないかなと夢想したことがあった。ああいう雰囲気を日本的な形でとなると、やっぱりフォークとかそういうものになるのかなとも思ったが、そうなると四畳半フォークとか、同棲とか、なんともしめっぽいものになってしまいそうだ。
あれこれ考えて最終的には深夜放送をネタにしたらどうかみたいなことを思った。舞台はどこか都市近郊の高校。そこでの高校生たちの一週間の生活。といっても彼らはみんな昼間はけっこうぼーっとしていて、夜中に深夜放送を聴いている。DJの語りに耳を傾ける。彼らのうちの誰かが投稿した話がそのまま映像化される。見知った者たち、あるいは関係性のない者たちがなんとなくすれ違ったり、けっこう関係しあったり、などなど。
すべてはラジオの放送を通じて・・・・。そして一週間で唐突に物語は終了するみたいな。大昔にシナリオ講座を受講しているときに、シノプシスみたいなものを作ったけれど、講師はあんまり評価してくれなかったな。ラジオ局のスタジオで間もなく放送が開始されようとする。マイクにカメラがよっていき、フェードアウト。そのまま暗い画面から、ちょうどラジオのスピーカーからそのまま出てきたような形でカメラがパンすると、どこかの少年の部屋となって。少年は机に向かって勉強しながらラジオに耳を傾けている。そこに音楽とDJの声がかぶさって。そんなオープニングだったんだけどな。
話は脱線。ブロンズ社はその後倒産する。新泉社の某社長がその取次との取引口座を管理していたのだが、それを買って新しく出版社を始めてというのが、今日も続いているブロンズ新社という出版社である。五味太郎の「らくがき絵本」とか「リサとガスパール」とかを出しているところだな。
とにかく一度つぶれた出版社を誰かが買い取って新しく始めた場合はこういう風に新社となる。古くは河出とかもそうだし、比較的最近では読売が買い取った中公とかもそうだな。新社となることで、取次はそのまま取引口座を継続させるのだが、以前とは異なる取引条件を設定する。潰れる出版社はけっこう老舗が多くて、取次との条件も比較的良かったりもするのだが、それが新社となると新規取り扱い出版社とほとんど同じ条件になるということ。まあどうでもいいネタだなこれは。
ある時期に実はブロンズ新社とつきあいとかもあったので、そこに残されていて処分される旧ブロンズ社の本を何冊かもらったことがあった。『脇役グラフティ』『女優グラフティ』とかは映画好きにはたまらない本だった。そして深夜放送関係の本も何冊かあった。それらは今でも残っていたりもする。冒頭にアップしたのもその1冊だけど、それを含めてこんな感じだ。

なんか話がいつものように脱線につぐ脱線で、ナッチャコの思い出がほとんど語っていない。まあいいか、いつかナッチャコへのノスタルジックな思いを別に書ければいい。さらばナッチャン。元気なときから、この人はいつか肺ガンになるのだろうなと想像していた。痩せていたし、かなりなヘビー・スモーカーだということも聞いていた。ラジオでの軽妙洒脱な語りとは異なり、こと芝居に関しては相当にソリッドな、今風にいえばエッジが利いた人だったらしい。ポートレイトをみているとそんな感じがけっこう伝わってきたな。
寂しいことだが、とにかく冥福を祈ります。