要介護状態区分変更通知書

市からの手紙、多分そろそろだろうと思っていたのだが、介護保険の要介護度の変更通知書。

認定結果
いままでの要介護状態区分 要介護2
これからの要介護状態区分 要介護3

とりあえずこれまでの経緯はダイアリーの記録から引用するとこんな感じか。
介護保険面談 - トムジィの日常雑記
介護保険介護状態区分の変更 - トムジィの日常雑記
介護保険再認定調査 - トムジィの日常雑記
こうやって見るとダイアリーは日録としてはけっこう有効なんだなと思わないわけでもない。
要介護度を下げられたのはふじみの時代を含めて2回目である。前回も区分変更を申し出て、再認定調査を行い元の介護度に戻った。今回も同様である。ようはきちんと手順を経て異議申し立てを行えば、かなりの確率で介護度が下がっても元に戻るということである。
日本の福祉施策のある種の深遠というべきか、キモみたいなものを感じる部分もある。この国にあって福祉の恩恵を得るための基本は常に申請主義である。役所は申請がない限りは救いの手を差し伸べることはない。
そして現に受けているサービス一つとっても、必ず役所はそのサービスを低減化させる方向で動いてくる。財政事情の問題等、さまざまに理由はあるにしろ、またそれ以外の事情があるにせよ。
福祉の利用者はただ黙っていると、自ずとサービスは低下されていくような仕組みがある。サービスが低減化されたときには、すぐに異議を申し立てないといけない。
この流れのロジックは、現に受けているサービスを維持するために、ただそれだけのためにいちいち異議を提示しなければならないということ。サービスをより手厚くするために
いろいろ要求してといくとか、そういうことではないのである。
今の福祉、高齢者や障害者のためのサービスを、国や市町村は財源その他を理由にして、とにかく切り詰めていく方向で動いているということなのである。
それでいて、もっと基本的な部分での行政の様々なサボタージュがあるのに。例えば最近話題になっていることだけど、100歳以上の行方不明、所在不明の老人が沢山いるという事実。これが世界に冠たる高齢者大国の現実なのである。これを100歳以上とかといった極端な部分ではなく、例えば70歳以上できちんと調べた場合に、いったいどれくらいの所在不明なお年寄りがいることか。
そしてそして、ひょっとしたらその多くに何らかなの形で年金その他が支払われている可能性も相当にあるのではないかと想像する。
お役人の側からのひそひそ声も聞こえてくるかもしれない。きちんと戸籍なり個々人の所在を調べるためには、どれだけの経費が必要になるか。財政難の折、まして現在のような超高齢化社会ではいたし方のない問題だ、うんぬん。
現に生存し、サービスを必要としている人間のそれを切り詰めるためには、きちんと精力使って仕事をするお役所が、自分たちが放置してきた仕事、業務の問題、無駄、その他もろもろになると、いきなり怠慢というか無神経になってしまうのはどういうことなんだろう。
話は脱線したけれど、とりあえず妻の介護度は従来に戻った。経験則ではたぶん1〜2年はこのままでいく。3年目あたりにまた下げてくる。そしてまた再認定の要望を出して・・・・。
何度もいうけれど、妻の病状は医学的には、障害は固定されている。今後加齢とともに体力が衰えていけば、可動範囲は少なくなっていく。脳の右部分及び前頭葉頭頂葉の三分の二を脳梗塞でやられている。CTやMRIの画像をみるとその部分は白っぽくなっている。この部分は死んだ脳細胞なのである。
医師に死んだ脳細胞はどうなるのかと随分前に聞いたことがある。確か、その部分はじょじょに収縮していくとか言われたような記憶がある。その後の影響はというと、それはわかりませんと確かな返答はなかった。
密かに恐れるのは、それだけ大きく損傷を受けた妻の脳は、現状のままでいつまでもいられるのかどうかということ。早い話、認知症アルツハイマーといったもの発症する可能性だ。高次脳機能障害の一つである注意障害を抱えているが、なんとか日常生活を送っている。それがいつまで続いていけるか。
悪くなることはあっても、けっして良くなることは医学的にはありえない妻の状態である。それなのにお役所のやることといったら、とにかくサービス低下につながる介護度を下げることくらいなのである。それもこっちが油断したころを見計らって、2〜3年に一度小出しにやってくる。一度でもそれを認めたら、また2〜3年後に同じことをやる。
異議申し立てなんて出来ればやりたくはない。基本ケアマネを通じてだとしても、仕事だの家事だのの合間に行うのである。けっこうなストレスを感じる。別にクレーマーでもモンスターなんとかになろうなんて気持ちはさらさらない。きちんと税金を払っている普通の市民の一人のつもりだ。
できれば自助努力でいろいろやっていきたい。実際そうやって生きてきたつもりだ。だからさあ、なんていうか少しだけ穏やかな気持ちで、障害者の妻と家族が生きていくための手助けを、公的なものにお願いしてと、そういう気持ちでいたいのである。異議申し立てみたいなとんがった行動はできればとりたくもない。でもそうしないとやっていけないという現実が一方ではあるのだと思う。