ずっと変わらないもの

元町を歩いてみる。少しだけ妻に自律歩行してもらい、一人で歩いてみる。ここはある意味変わらない。昔の横浜の感覚をそのまま持ち合わせている。まず最初にここである。
喜久家

本当に変わらないね、この店は。階段下のテーブルに半日居座って、フェリスのお姉さんたちが行き来する時にスカートの中を覗く悪がきたちのことを書いたのは矢作俊彦だったか。
この店に私がよく通ったのは実は3〜5歳くらいの頃である。この店には横浜ではたぶんここにしかなかっただろうカラーテレビがあった。家にも一応白黒テレビがあったが、我が家はわざわざこの喫茶店にテレビを見に行った。隔週の金曜日、日テレがプロレスと隔週で放映していたディズニーランドを見に行ったのだ。カラーのテレビ放映はそれはそれは美しいものと子ども心に記憶されている。でもカラーでの放映は何回かに一度「素晴らしいカラーの世界より」と銘打って放送されたものらしい。だから喜久家に通ったという記憶も実は相当にあやふやである。ひょっとすると本当に数回のことだったのかもしれない。
信濃屋>

<ポピー>

 いつか信濃屋でコッパンやスーツを買い、ネクタイはブルックスブラザースかここポピーのもの。そういう大人になりたいとずっと願ってきたのだが、果たせぬまま五十路を回ってしまった。ある時期にはネクタイはほとんどブルックスブラザースばかりみたいなこともあったけど、ポピーは常に敷居が高かった。その気になれば別にバーゲンじゃなくても年に何回か行って少しずつ買いたすみたいなことだって出来た。でも駄目だった。ポピーの格調高い店の雰囲気にいつも気後れしてしまった。この店に似合う良き大人になるのが夢だった。経済的な問題ももちろんある。でもそれとは別の部分、ポピーにはある種の規範性とかモラルのようなものがあった。
昔、京浜東北線の中で酔ってどこの誰とも知らぬオヤジと喧嘩になったことがある。押したのどうのというしょうもない理由だった。お互い、絵に描いたようなトラッド系のかっこだったので、なんだかわからないがやれネクタイはどうの、ブレザーがどうのというおよそ訳のわからない口論になった。私が「ジジイ、ネクタイはポピーだろう」と捨て台詞をはくと、そのオッサン、ニヤっと笑って自分のしているネクタイの裏を見せる。「PUPPY」の文字が。
私はそれまでの非礼を詫びた。それからなぜか意気投合してしまい、オヤジが飲むかというのでついていくと、みなとみらい地区のホテルのバーで飲むことになった。たぶんロイヤルパークかインタコンチネンタルのどちらかだった。そのオヤジ、そのバーを行き付けにしているという。話は自慢話が中心なのだが、かなり怪しげで聞いていて面白かった。
最終的にはタクシーで一緒に帰り、そのオヤジは磯子のあたりで降りていった。車の中で最後に名刺交換をしたのだが、相手の肩書きは皇宮警察とあった。なるほど胡散臭いはずだと車中一人で妙に納得した。けっこう印象的な出来事だったから、かれこれ20年も前のことなのだが、よく覚えている。トラッド、ファッション、「PUPPY」にまつわる奇妙な逸話の類だ。