遅まきながらアバターを観る


土曜日に「アバター」を家族で観た。それも1時半からというしごくまっとうな時間にだ。ウィークエンドの昼下がりのムービータイム、それも今や興行収入世界ナンバーワンのヒット作をである。幸福な小市民の王道をいっているような感じではないだろうか。
 さてと映画はどうだったか。面白かったよ、実に。映画とはスペクタクルであるという定義を前提にヒット作を作り続けてきているジェームズ・キャメロン監督が贈る素晴らしいエンターテイメントである。この場合のスペクタクルとは見世物と同義である。いや否定的にいっているのではない。ある意味ではすべての映画はエンターテイメントであり、スペクタクルである。そしてイコール見世物であるということだ。その点でいえば「アバター」は文字通り最良のスペクタクルだった。
物語に深みがない、芸術性がない。SF版「ダンス・ウィズ・ウルブズ」、「ポカホンタス」といった評がある。それはその通りだろう。でも元々映画に芸術性が付加されたのは、たぶんずっと後になってからのことではないか。そして映像芸術は別の芸術の模倣から始まったものだということも忘れてはならないだろう。たぶん映画は原初にあっては絵画や演劇から様々にインスパイアされているはずだ。そして総ての芸術が実は先行する芸術の模倣あるいは引用によって成立しているというテーゼだって、あながち嘘ではない。
話を戻そう映画「アバター」のことである。当然のごとながら3Dで観た。比較的してないから断言はできないのだけれど、あえて断言しよう。この映画は3Dで観るためだけに作られた映画だ。そして3Dとして楽しむためにだけ存在する映画だということ。162分という長い上映時間を飽きさせずにスクリーンに釘付けさせるものはなにか、演出か、ストーリー展開か、いやいやひとえに3Dによる映像効果である。おそらくそれが総てといっていい。我々はかってディズニーランドで楽しんだ「キャプテンEO」の世界を長々と3時間近くに渡って享受できるのである。これこそ僥倖といっていいのではないか。
ある意味で我々はこの映画を観ることによって映画の未来に触れることができたのかもしれない。映像芸術の転換点に立ち会ったのかもしれない。おそらくこれからの10年で映像芸術はこれまでとは異質なものとなっていくだろう。スクリーン=銀幕の世界はあくまで二次元的世界として観客の前にあり続けた。でも5年から10年の間に映画とはたぶん普通に3D的なもの、立体的な三次元世界へと変貌していくのだろう。たぶん20年くらい先になれば、映画とは普通に3D的なものになっているだろう。
今回この映画を観た小学生の私の娘はなんとなく違和感を覚えたのだろう、途中から3D用眼鏡をはずしたりつけたりを繰り返しながら観ていた。でも20年先にはきっと友人たちとこの日のことを思い出しながら、「初めて立体的な映画を観たのは確か「アバター」とかいう映画だったと思う。家族三人で観たんだよね」みたいなことを話すのではないだろうか。そう、ある意味娘は歴史の転換点に立ち会った一人になった。そう、今回「アバター」を観ている全世界の人々は映像芸術の歴史的転換点に立ち会ったということなんだと思う。
でもそういう大げさな意識や感想などはたぶんさらさら思ってはいないのだろうと思う。「アバター」という映画が面白かったかどうか、たぶんそれだけだろう。でもそういうものなのである。かって「ジャズ・シンガー*1を観た人々が、それが映画世界の大いなる転換点だったということに対して興味やら意識やらを持っていたかというと、たぶんそういうことはなかっただろう。
アバター」は名画かどうかというと、たぶん「ノー」ということになるだろう。でも映画史においてはおそらく一章を与えられるような重要な映画なんだと思う。この映画によって映画は2次元から3次元世界に移行することになった。映像芸術の可能性は飛躍的に広がった。その一里塚となった映画がこれだと。
さあ、これから技術の進歩と普遍化の問題だ。ようはダウンサイジングによりこの膨大なコストを要する映像技術がいかに低減化されていくかということ、それにつきることになるだろう。
 正直にいよう、今回「アバター」を観ていて思ったこと。ごくわずかではあるが、ある種の船酔いのような感覚があった。そういう言葉があるのかどうかわからないが所謂一つの<3D酔い>である。たかだか15分程度の「キャプテンEO」であればなんとかなるが、やはり3時間近くの間眼鏡をかけて立体スクリーンを目の当たりにしているのだ。ある種の違和感を感じても不思議はあるまい。でもこの経験が頻繁になればたぶん簡単に慣れていくのだろう。そしてその先にあるものは、映画とは立体的であるということを受け入れていくということだろう。
たぶんこれから10〜20年のところでは、こんな風に棲み分けが進むのかもしれない。映画=劇場版は3D、DVDあるいはブルー・レイ・ディスク=2次元バージョンみたいな感じか。しかしいずれ民生機も3Dが普及していくかもしれないだろう。我々はレコードがCDになる時、VHSビデオがDVDに移行する時を目撃してきている。それはある意味あっという間の出来事なのである。テクノロジー万歳!!
これが21世紀世界、未来世界ということなんだろうな。我々が子どもの頃に思い描いた、あるいは漫画とかで描かれた未来世界、そこでは自動車が空中を浮遊し、宇宙へも簡単に行くことができた。21世紀を迎えた時に我々が思ったことは、子どもの頃に思い描いた新世紀はこうではなかったというものだった。科学技術は我々の想像ほど進歩していなかったという軽い落胆。そういう気持ちを抱いた人々が多かったのではないか。
でも進歩はおそらく細部に宿りつつ、ドラスティックなものではなくじわじわと我々の世界を変えていくのだろう。それがVHSからDVDへの転換なのだ。我々は今や普通に生活の一部として利用しているけれど、携帯電話がこれほど一気に普及するなんて、20年前に想像できただろうか。インターネットで世界中と即座に繋がってしまうことをきちんと理解しえているだろうか。
我々はまちがいなく21世紀世界に生きているのである。そして21世紀型の映像ソフトがいよいよ我々の生活に身近なものとして現出してきたのである。それがこの映画「アバター」の意味なんだろう。
こういう面白いものがどんどんと現れてくる世界、それが新世紀ということなんだろう。五十路を過ぎた身にとっては、後何年この世界に生きていられるかと急に淋しい思いにとらわれることもある。でも思う、小さく小さく思う。長生きしたいね、生きていればこういう面白いものが体験できるのだから。

*1:初めてのトーキー映画。ジャズ・シンガー - Wikipedia