バードマンを観る

 昨晩、ようやっとイニャリトウ監督の「バードマン」をDVDで観た。いい映画だとは思うし、演出、役者の演技、とにかく引き込まれる。アカデミー賞作品賞、監督賞を受賞した作品というのもうなずける。ダレることなく一気に観ることができた。
 ただしもう一度観たいかというと、多分ノーだと思う。ワンカット撮影はすぐに気づいたのだが、ステディカムカメラによるブレ映像は観ていてある種の酔いを感じさせた。なんとなく気持ちが悪くなってくるようなそんな面持ちだ。
 全編ワンカット映画というとヒチコックの「ロープ」を思い出す。野心的実験映画だが、あれ以来ヒチコックはこの手法取っていないから、多分あまり気に入ってなかったんだろうと想像する。やはり映画はカットを繋ぎ合わせて紡ぐ映像芸術であるべきだと思う。確かトリフォーによるインタビューの中でもそんなことを語っていたようにも思う。
 長回しの多様ではなく、ワンカット映画は映画監督なら一度は試してみたい欲求にかられるのかもしれない。特に舞台演出を行ったことのある監督ならなおさらかもしれない。しかしたいていの場合、監督が思い描いたような効果は得てしてえられない。カメラを据えてままワンカットで映画を撮るなら、芝居をそのままカメラに収めればいいだけじゃないか。繰り返すが映画芸術はカットの繋ぎ合わせによって成立しているのだ。そこには省略されたもの、カメラに写っていないもの、つまりは何を映し、何を映さなかったかを観客に想像させる。映画は想像力を喚起させるメディアであるべきなのだと。
 まあ大げさい諸々思ったりもするが、それはともかくとして「バードマン」って、多分コメディ映画だとは思う。しかしあんな風にカーヴァーを使うのはどうなんだろうという気もしないでもない。最もカーヴァーの作品もアメリカでは、もっと軽く受け止められていて、本人の作品朗読会は観客爆笑してたみたいだったとは、村上春樹が書いてた気がもする。