ラ・ジュテ

マルケルが1962年に制作した、28分の短編サイエンス・フィクション映画であり、ほとんど全編が、動かない写真を並べることで構成されている。世界の週末を思わせる戦後のパリにおいて、少年時代にオルリー空港の送迎デッキで起こったある出来事の、ある女性についての鮮烈な記憶が原因で、1人の男が、時間旅行の科学的実験の被験者となうR。男は、はじめは過去に旅行し、その後、未来に旅行するが、徐々に、あの日デッキで起こったことの本当の意味を理解し始めるのである。個人そして世界の歴史という主題は、この映画の中心なっている記憶という主題とともに、マルケルの映画作品に頻繁に登場する。この映画は、いくつかの省を受賞し、すぐに批評家たちに評価されて、その新しい形式と指摘な前衛性が認められ、称賛された。あた、この作品は、その後の映画の着想源にもなり、たとえば、アメリカ出身の映画監督テリー・ギリアムの『12モンキーズ』(1995年)の脚本は、本作品を原案としている。
(ポンピドー・センター傑作展図録より)

ラ・ジュテ - Wikipedia
http://www.youtube.com/watch?v=fll_bJcZzuw
 この作品は所謂映像作品ではない。図録解説にもあるとおり、スチール写真を組み合わせたモンタージュによる、いってみれば紙芝居である。それでありながら、スリリングにしてミステリアス、そして溢れるような詩情を抱合した作品となっている。映画はモンタージュによって成立していると誰かが言ってなかったか。あるいは映画とはカット割りと編集による芸術だとはヒチコックあたりが言っていてもよさそうな気がする。しかしこの「ラ・ジュテ」を観ているとそんな思いを強くする。ワンカット・ワンーシーンだの長回しで、ブレブレの映像を斬新とかいうが、あれは映画としては邪道だと思う。イニャリトゥの「バードマン」や相米慎二の作品を攻撃するつもりは毛頭ないのだが、映画の神髄はカット割りだと激しく激しく思う。
 この映画「ラ・ジュテ」は美しいショットとカット構成、そこに美しい音楽がかぶさる。まさに総合芸術である。
 そしてさらにその総合芸術の、美しいショットによって切り取られ、永遠の美しさを保全されたのが本作一作だけの出演に終わったらしい女優リジア・ボロフチクだ。本当に美しい表情豊かな女優だ。