三沢が死んだ

リング上でのアクシデントである。受身をとれずもろにバックドロップ喰らった上での事故だという。それほどの高速直下型バックドロップだったのだろうか。いや、違うな。三沢が受け損なったのが第一の要因だろう。そして第二はかけた相手の技術不足というところか。
プロレスというのはいかに凄そうに技を受けるか、いかに凄そうに技をかけるかを競い合うショーである。それが可能なのは日々鍛えられた肉体があるからだ。当然受身の技術ができていない選手は怪我をする。そして技をしかける側もきちんと技術が身についていないと相手を怪我させる。プロフェッショナルスポーツなのである。真のプロは凄みを感じさせつつも絶対相手に怪我をさせない確かな技術を持っている。そしてどんな技を受けても怪我をしない技術を身につけている。プロレスで致命的な事故にあうのはたいてい技術が身についていない若手や女子プロなんかだろう。

それにしてもベテランの三沢がなぜ。よほど体調が悪かったか。そこに持ってきて技をかけた選手に技術が不足していたか。まあ様々な要因が重なったうえでの不可抗力というか、これはたぶん完全な事故なんだろう。対戦した斉藤とかいう選手も精神的にやばいかもしれないな。もしこの選手が三沢殺しを売りにヒールでのし上がったりすれば、それはそれで極めてプロレス的な世界としては「あると思います」なんだが。リング上で相手を殺したなんていうのは、たとえ事故だとしても、けっこう高いセールスポイントだろう。不謹慎かもしれないけど、プロレス的世界とはそういうものなんだ。大成してもらいたいと思うよ、斉藤選手。
研ぎ澄まされた肉体と肉体による格闘ショーであるプロレスとはいえ、やっぱり人がやることである。様々なアクシデントがあると思う。今回の事故だってそうだ。大昔のことだけど、キラー・コワルスキーという選手がいた。ある時彼のニール・ドロップを相手がよけようとしてよけきれず耳に入った。結果として彼の膝が相手の片方の耳をそぎ落とすことになった。これも単なるアクシデントである。
それ以来コワルスキーは耳そぎを売りにするヒールとしてトップ・メインエベンターを続けた。さらに彼の伝説は、リング上に落ちている相手選手の耳を見たショックから、それ以来一切肉を食べれなくなってしまった。ベジタリアンで痩せこけ、頬もこそげた妖しい容貌の怪奇派レスラーということになった。それでいて元々正統派ストロング・レスラーで技術もしっかりしているから強い。ヒールとしては長く第一線で活躍した。
 三沢の死でなにがいいたいのか。ようはプロレスとはそういう世界なんだということだよ。ノアはせいぜい社長だった三沢の死を売り物にしなくてはいけないと思う。リングで人が死ぬほどの凄みのある格闘ショーなのである。ばりばり、いけいけのセメントプロレスが見れるのはノアだけみたいな、そういう方向でいけばいい。ノアが隆盛を極めれば経営者でもあった三沢にとっても本望とでもいうべきだろう。
しかし考えてみれば、また全日系ではないか。馬場が逝き、鶴田が逝き、そして三沢である。全日でトップをとった選手が鬼籍に入って行く。淋しいことである。新日系では誰かいたっけ。あっ、橋本がいたか。
かってはゆるいプロレスをやる全日に対して過激を売りにした新日だった。そうだ猪木はどうしている。相変わらず「元気ですか」と商売にせい出しているのだろうか。過激な新日のトップ・メインエベンターであった猪木である。本当ならとっくの昔にリング上で死んでいるはずだったんじゃないのか。猪木こそ、ホーガンのアックス・ボンバーまともに喰らって、そのままこの世をおさらばして、伝説になっていなくちゃいけなかったんじゃないのか。
なんか今さらながら思うけど、実はより過激なレスリング展開していたのは、実は全日だったんじゃないかと、そんな気もしないではないな。安心して観ていられる類のプロレスだったけど、実はそれを可能にするためには身体を思い切り酷使していたのかもしれない。だからこそ最終的にはボロボロになって馬場も、鶴田も逝ってしまったんだろう。そして三沢もその後に続いていったということか。
いや、こんな見方もできるかもしれない。実は、猪木の身体能力は他のレスラーに比べても半端じゃなく優れている。だからあの過激な新日のプロレスが可能だったと。さらにいえば、普通にプロレスしていても肉体は酷使される。みんなボロボロである。でも一人猪木だけは類まれな身体能力があるから、今も生きながらえているのだと。歴史を見てみろ、抜きん出たレスラーは実はみな長命ではないか。テーズもゴッチも。そして我々にはまだ猪木がいると、無理やりそんな見方もできないわけでもない。
話を戻そう。三沢はある意味で全日、いや日本プロレス時代からの牧歌的なプロレスの連綿とした流れの中でのスター・レスラーだった。古き良き時代のメインエベンターのたぶん最後の一人だったのかもしれない。バック・ドロップやスープレックスが見事にきまることに感動できた時代のプロレス、それが決まれば必ず相手をフォール勝ちできるという必殺技が存在した時代のプロレスである。
46歳。早すぎる死である。まさしくサドン・デスだ。冥福を祈る。