アメリカの良き黒人

すでに旧聞の部類になってしまうのだろうが、オバマが大統領になった。とりあえず彼が銃口によってどうにかならないことを心から祈る。とにもかくにも初の黒人大統領なのである。私の目が黒いうちにかの国アメリカ合衆国に黒人の大統領が誕生したのである。たかだか50年前、黒人は白人と一緒にレストランで食事をとることもできなかったり、それこそバスにも乗れなかったのである。ディープサウスの地では黒人へのリンチは日常茶飯事、ビリー・ホリディの歌ではないけどストレンジ・フルーツなんていうのもあった。これって確かにリンチで殺された黒人を木とかにぶら下げて見せしめにする。それをフルーツに例えたとか、まあそういうようなこと。
そういう国にあってついにというか、とうとう黒人大統領が誕生したのである。アメリカ社会がここ4〜50年でいかに変化したかということを示しているのだろう。そんなことを思いつつもずっと考えているのは、オバマは現在のアメリカ社会にあってどういう存在なのだろうということだ。アメリカ大統領は頂点に位置する絶対的な権力者であり、しかもアメリカ国民の最良的存在のはずだ。その位置に座ったオバマは本当にアメリカ市民にとって最良の存在なのだろうかということ。白人にとって彼は自らをも統合するアメリカーナの象徴的存在であると認識されているのか。なにかそういうようなことをずっと考え続けている。
黒人=アフリカ系アメリカ人は、ずっと被差別者であった。身体能力こそ優れているが愚鈍な人種。鞭でしつけないとまともに働かない労働資源。白人社会からすると、まあそういう存在であった。でも中には勤勉な黒人もいる。実直で、教育こそないが、生活の知恵みたいなものにたけた者もいる。アンクルトムみたいなイメージか。それからそれから、徐々にインテリジェンスをもった良き黒人も現れ始める。とくに北部の社会にあって。これは単に白人、あるいは白人社会からだんだんと認められてきたということなんだが、そうした勤勉で身体能力にも優れ、しかもそこそこインテリジェンスがある。そういう黒人、良い黒人の象徴的存在というのは誰だったのだろうと、そういうことを考えてみた。
一般的には黒人の中でそうした選良的存在はたぶんキング牧師ということになるのだろうか。芸術の分野では誰だろう、ボールドウィンとか。音楽、ジャズやブルースは黒人のものだったし、パーカーやマイルスは素晴らしい才能をもったアーティストだったけれど、たぶん万人に認められるような良き黒人じゃなかっただろう。
私はそういう存在はたぶん映画、ハリウッドの中にあるのだろうと思う。第二次世界大戦前後にあっても黒人俳優は多数存在した。「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラの黒人の侍女マミーを演じたハティ・マクダニエルは確か初めてオスカーの助演女優賞を受賞したはずだ。あのマミーは教育こそないが生活の知恵にたけた勤勉な黒人召使を体現していた。しかしもっと知的な黒人がスクリーンに現れたのはおそらく1950年代以降のことだ。
そうシドニー・ポワチエだ。シドニー・ポワチエ - Wikipedia
彼こそが誠実で教養に満ちて、それでいて身体能力も高い、最良のアメリカ黒人を演じ続けた。彼こそがアメリカ社会にあって、白人からも一目を置かれる存在だった。
「ニガーは無知な怠け者ばかりだけど、ポワチエだけは別だ」
「ニグロに公民権を与えるのは時期尚早だと思う。奴等がみんなポワチエのようになれば別だけど」
そんなことを白人たちが思っていたかもしれない。そのくらいスクリーンの中でのポワチエは寡黙で思慮深い類まれな黒人像を演じ続けた。彼が黒人俳優として初めてオスカー主演男優賞を受賞した「野のユリ」は忘れられない映画の一つだ。流れ者の黒人がアリゾナの荒野で苦闘する東独の尼僧を助けて教会を作るというメルヘンチックな映画だ。
野のユリ [DVD]
それ以降もポワチエは、「夜の大捜査線」「招かれざる客」といった問題作でインテリジェンス溢れる黒人役を演じた。私がもっとも好きな映画の一つである「いつも心に太陽を」もこの頃の作品だ。DVDでどんどん取って代わるようにしているので、縮小に次ぐ縮小にある我がビデオ・ライブラリーから探しだして久々に観てみた。
いつも心に太陽を (映画) - Wikipedia
イギリスロンドンの貧民街の高校に赴任したエンジニアを目指す知性溢れる黒人教師役をポワチエが好演した。小学生の時に父に連れられて偶然観た映画だが、ずっと記憶に残った。ルルが歌った主題歌も大好きになりシングル盤も買った。その後も何度か名画座でおいかけて観た。若くて貧しく、それでも自らの能力と可能性を信じる黒人教師が、その知性とユーモア、誠実な人柄で徐々に不良生徒たちの心をつかんでいく。ポワチエが演じたサッカレーという教師は私にとっての理想的な先生でもあった。そしてそれ以上に最良の黒人=ポワチエ、あるいはポワチエが演じた黒人像たちと認識させられた。

長きにあたってポワチエ一人が良きアメリカ黒人像を演じ続けた。おそらく90年代に入ってその役柄はたぶんデンゼル・ワシントンあたりがバトン・タッチしたのだろう。二人に共通する資質はインテリジェンスなのだと思う。
ハリウッドの俳優たちが演じてきた良きアメリカ黒人像を現実世界で体現する存在としてバラク・オバマは出現した。彼は白人社会にアプローチしてきた良き黒人としてではなく、白人と有色人種を融合させるべく、移民社会アメリカの大統領として出現したのである。彼のこれからの4年間、最長での8年間はどんな風になるのだろう。分裂社会であるアメリカが彼によって良き形で統合されていくのかどうか。あるいはより顕著に分裂されていくための起爆装置みたいになってしまうのか。良き黒人として現れた彼が、良きアメリカ市民の象徴となりえるのかどうか。
それにしても隔世の感があるな。ポワチエを頂点にした先人たちの礎のもとに現在のバラク・オバマがいる。そんなことを思いつつも今日は「野のユリ」を探してみたのだがまだ見つけられないでいる。確かテレビでやっていたのをダビングした奴があったはずなのだが。日本語吹き替えで確かポワチエの声は田中信夫がやっていたように記憶しているのだが。