Netflixで『マ・レイニーのブラックボトム』を観た。
Netflixの映画リストを見ていて気になる映画だったのだが、ちょっとどうかなと躊躇していた。たまたま今年のアカデミー賞のノミネート作品を調べていたら、この映画の主演二人が男優賞、女優賞にノミネートされていることを知り、観てみようかみたいなことになった。
しかしNetflixのような配信サイトが制作した映画がアカデミー賞の常連になる時代がやってきているようで、この映画以外でも『Mank/
この映画『マ・レイニーのブラックボトム』についてはウィキペディアや以下のサイトが詳しい。
マ・レイニーのブラックボトム (映画) - Wikipedia
間違いなしの神配信映画『マ・レイニーのブラックボトム』Netflix|シネマトゥデイ
アカデミー賞主演男優賞、女優賞にノミネートされているのは、マ・レイニー役のヴィオラ・デイヴィスとレヴィー役のチャドウィック・ボーズマン。特にチャドウィック・ボーズマンは鬼気迫るような演技で、途中で自ら白人から受けた迫害を告白するシーンでは5分近い一人語りをしている。ちょっと冗長かとも思えたが、その迫真の演技には圧倒されたのだが、この映画は彼の遺作だという。
ポーズマンは昨年の8月に大腸がんで亡くなっている。この映画の撮影時には化学治療を受けながら演技を続けていたという。もし受賞となれば1976年の映画『ネットワーク』でアカデミー男優賞賞を受賞したピーター・フィンチ以来となるのかもしれない。
実在のブルースシンガーであるマ・レイニー役を演じているのはヴィオラ・デイヴィス。彼女は演技派女優、性格俳優であり、すでにトニー賞、アカデミー助演女優賞などのキャリアがある。
ストーリーは1920年代、南部でブルースシンガーとして人気を誇ったマ・レイニーがシカゴでレコーディングにのぞむ。そのバンドには自らバンドを作り大衆受けする音楽を作ろうとする野心的な若いトランペッター、レビーがいる。マ・レイニーはその人気から白人マネージャーにも我儘し放題で、レコーディングには遅れてくる、吃音のある甥をレコーディング参加させるよう無理強いをする。
そのレコーディング風景を緊張感溢れる描写によって綴った映画なのだが、映画の後半でマ・レイニーは野心的で目立ちたがり屋のレビーを首にする。レビーは白人のレコードプロデューサーに取り入ろうとするが、けんもほろろに素気無くされ自暴自棄に陥れバンドのメンバーをナイフで殺傷する。
典型的な黒人映画なのだが、その差別を受け迫害される姿は一元的ではなくきわめて複層化されている。マ・レイニーにはその人気から白人に対しても傲慢であるが、同時にバンド・メンバーの黒人に対して優越的な態度で常にマウントをとろうとする。才気あふれるトランペッターのレビーもまた、子どもの頃から白人に様々な迫害を受けているが、自らの野心のため白人に迎合し媚びへつらう。それを仲間の黒人に揶揄されると激高してナイフを振り回す。
1982年に発表された舞台劇を元にした映画だということだが、それは一見してすぐにわかる。これってもろに舞台劇だなという感じだ。さらにいえば、映画的な工夫にいささか乏しい恨みがあり、これって別に映画じゃなくてもいいかもしれない思えてしまう部分がある。
ストーリーは録音スタジオとバンドメンバーが待機する地下室の二つの空間だけで進行する一種の密室劇の様相にある。ただし役者の演技、とくにチャドウィック・ボーズマンの熱のある演技が他を圧倒しており、それに対して尊大な態度で周囲を圧倒するヴィオラ・デイヴィスの演技はある種の動と静みたいな対立関係をもたらしている。とはいえボーズマンの演技がいささか暑苦しさを感じさせるような気がしないでもにあ。
全体として長丁場のモノローグが多用されるが、それって映画的にありかというと、自分などはやや否定的な印象もある。ほとんどワンカットで役者に長いモノローグを行わせる。演技力だけで引っ張ろうとしているのだろうが、実は映画としてはダレる要素もあるのではないか。映画は効果的なカットを繋ぐことで緩急を描き出すのが本筋のようにも思える。最近はステディカムを用いて長回しをする映画が増えているが、ワンシーンワンカットを成功させるのは動的なシーンを連続させるところにある。役者のアップやハーフショットで延々セリフを語らせるのを、ただカメラを据えてとるのは映画的じゃないとそんなことを思わせてしまう。
自分的にはこの『マ・レイニーのブラックボトム』はあまり好きな映画ではないかもしれない。アカデミー賞受賞はチャドウィック・ボーズマンの死を悼む意味での受賞はあるかもしれない。逆に女優賞をヴィオラ・デイヴィスがフランシス・マクドーマンドを押しのけて受賞するかどうか。いずれもちと微妙かもしれない。