『黒い司法 0%からの軌跡』を観る

f:id:tomzt:20210213135331j:plain

 これもNetflixで観た。

https://www.netflix.com/title/80207506

黒い司法 0%からの奇跡 - Wikipedia

 これも実話を元にした社会派ドラマだ。しかしこのタイトルもちょっと酷い。タイトルから内容を想起するのも難しい。現代は「Just Mercy」、死刑囚の冤罪について長く取り組んでいる弁護士ブライアン・スティーブンスンの伝記を元にしたリーガル・ドラマである。

 1989年、ハーバード大学を卒業したばかりの若き弁護士ブライアンが、アラバマ州で冤罪により死刑囚となった黒人男性ウォルター・マクミリアンのために再審請求を求めて戦うストーリー。この事件は白人女性が殺害された事件で、マクミリアンが犯人とされたのは、すでに懲役刑を受けている囚人の証言だけで、それ以外の物的証拠は一切ないという。さらに証人となった囚人は司法取引で刑の軽減を得るために証言したというものである。

 物的証拠が一切なく、囚人の証言だけで死刑を言い渡されるのも、被害者が白人女性であり、容疑者が黒人だからという事情による。まさにディープサウスならではということだ。舞台となる場所はアラバマ州モンロービル。無実の黒人のために立ち向かう白人弁護士を描いたハーパー・リー原作、グレゴリー・ペックが主演した『アラバマ物語』の舞台となった所でもある。それもまたなんとも皮肉な巡り合わせでもある。

 様々な障害やいわれなき差別の中で、ブライアンの法廷闘争は困難を極めるが、最終的にはマクミリアンの冤罪は証明され彼は自由の身となるのだが、全体として黒人への差別と法の恣意的運用が続いてくを観ているうちに、これはいつの時代だという思いにとらわれる。60年代や70年代、映画的にいえば『招かれざる客』や『夜の大捜査線』を想起させるようなそんなシチュエーションだ。それが20世紀の後半、まもなく21世紀という時期にあってもアメリカ南部では、黒人への差別が常態化しているということに驚かざるを得ない。

 昨年アメリカで燎原の火のごとくに広がったブラック・ライブズ・マターの運動、白人警察官によって殺された黒人男性ジョージ・フロイドの事件から、一気に黒人差別の問題が明らかにされた。これはキング牧師公民権運動の時代のことではなく21世紀のアメリカでの出来事だ。しかし今回、この映画を観ることでなぜブラック・ライブズ・マターが広がったのかがよく理解できた。

 アメリカにおいて非白人系の人種に対する差別はまさに連綿と過去から続く現在進行形の問題なのである。そして問題を顕在化させ声を上げない限り、その差別構造はそのまま温存され続いていくのだろう。

 その差別する側、アメリカ中西部の白人文化を政治的に体現しているのが共和党であり、それは今先鋭的な形でドナルド・トランプを支持する人々として可視化されている。昨年の大統領選でアメリカは完全に二分化され、敗者とはなったがトランプは過去最高の得票を得ている。トランプに入れた多くの者が、差別する側として存在している。

 実録もののため、映画の最後に登場人物のその後が本人の写真とともに語られる。その中で冤罪捜査を行った保安官テイトがつい最近までその職に従事していたことが明らかにされる。アメリカの地方保安官は選挙によって選ばれる。テイトは事件の後もずっと住民から選ばれ続けていたのである。

 そのことがアメリカ中西部の病でもありトランプを生み出した温床なのかもしれない。アメリカ社会の闇は深い。この映画はハッピーエンドとして観る者にある種のカタルシスをもたさせる。しかし保安官テイトのその後はそれを一気に現実に引き戻す仕掛けとなっている。