パーシー・フェイス・オーケストラ〜『夏の日の恋』

<COLEZO!>パーシー・フェイス・オーケストラ 人生の中には譲ることができない嗜好性というものがある。私にとってパーシー・フェイスの「夏の日の恋」はそのようなものの一つだ。この曲がかかったら、とりあえずなにをしていても手を休めその音が流れ出した方向に耳を傾ける。青春映画のテーマ曲であったこの名曲には、若き日々への甘く、せつなく、ほんのりと苦い思い、そういうものの総体へのセンチメンタルな感傷が凝縮されている。それでいてそのほろ苦さも含めて、この曲とこの曲が連想させるそれぞれの若き日への思いは、なにかしら暖かく、なんとなく幸福な気分にさせるなにかがある。そういう一種の僥倖のような珠玉の名曲、「夏の日の恋」にはそんな定冠詞のようなものがある。まあ個人的にそう思っているだけだけど。
あの村上春樹もまたこの曲についてとても好意的に書いている。彼の最高傑作だと個人的に思っている「ねじまき鳥クロニカル」の中で、ムード・ミュージックを好んでBGMにしているクリーニング屋でのことを描いたところで、こんなことが書かれている。

彼はアイロンのスイッチを切ってアイロン台の上に立て、『夏の日の恋』をテープにあわせて口笛で吹きながら、奥の部屋の棚をごそごそと探していた。
僕はその映画を高校のときにガールフレンドと二人で見た。トロイ・ドナヒューとサンドラ・ディーの出ていた映画だ。リヴァイヴァルで、たしかコニー・フランシスの『ホーイ・ハント』と二本立てだった。『避暑地の出来事』、僕の記憶によればそれはあまりぱっとしない映画だった。でも十三年後にクリーニング店の店先でそのテーマ音楽を聴いていると、その頃のいいことしか思い出せなかった。映画を見たあとで、僕らは公園の中にあるカフェテリアに入ってコーヒーを飲み、ケーキを食べた。『避暑地の出来事」と『ホーイ・ハント』がリヴァイヴァルでかかっていたのだから、それは夏休みのことだったと思う。そこには蜂がいた。小さな蜂が二匹彼女のケーキにとまったのだ。僕はその微かな羽ばたきを思い出すことができた。
『ねじまき時クロニカル』〜「レモンドロップ中毒、飛べない鳥と涸れた井戸」

私はこのムード・ミュージック好きのクリーニング屋の描写が大好きだった。村上春樹はこのクリーニング屋を「幸福なクリーニング店」と称した。そこにはなにかしらの寓意やら物語性が想像できたし、村上春樹のある種の真骨頂の部分だったようにも思っている。

クリーニング屋の主人はやはり前と同じように大きな音でJVCのラジオ・カセットを聞いていた。今朝はアンディー・ウィリアムズのテープだった。僕がドアを開けたときにはちょうど『ハワイアン・ウェディング・ソング』が終わって、『カナディアン・サンセット』が始まったところだった。主人はボールペンでノートになにかをせっせと書き込みながら、そのメロディーにあわせて幸せそうに口笛を吹いていた。棚の上に積まれたカセットテープ・コレクションの中には<セルジオ・メンディス>とか<ベツロ・ケンプフェルト>とか<101ストリングス>といった名前が見えた。彼はおそらくイージーリスニング・ミュージックのマニアなのだ。アルバート・アイラードン・チェリーセシル・テイラーの熱烈な信奉者が駅前の商店街のクリーニング屋の主人になるというようなことは果たしてあるのだろうか、と僕はふと思った。あるかもしれない。しかし彼らはあまり幸せなクリーニング屋になれないだろう。
『ねじまき鳥クロニカル』〜「幸福なクリーニング店、そして加納クレタの登場」

私の父親は私が5歳くらいの頃まで横浜元町でクリーニング店を経営していた。かれこれ50年近く前のことである。本牧や山手の米軍相手の商売だったようで、けっこううまくいっていたという。しかし様々なことが重なって父の商売は失敗し店も手放すことになってしまった。
商売がうまくいっていた父は毎晩のように飲み歩き、バクチにもはまっていたという。その結果なのだろうか、父と母の間もうまくいかなくなり、二人は離婚した。離婚と商売の失敗、父の店は幸福なクリーニング店ではなかったということだ。別に父は前衛ジャズなど聴いてはいなかったけれど。
その頃の記憶など私にはほとんどないに等しい。でも私の中では横浜元町での生活、父と母と一緒の家族での生活は、失われてしまったもののある種の原風景みたいなものだ。私にとって幸福なクリーニング店という音の響きとそこに含意されるものには、とおの昔永遠に失われてしまった家族の幸福な生活とかそこから紡ぎだされたかもしれない父や母や兄や私の別の人生みたいなものがなんとなく重ねられている。
あこがれとともにけっして手に入れることができなかったもの、それが私の<幸福なクリーニング店>なのである。
「幸福なクリーニング店」についての記述を探そうと『ねじまき鳥』のページをくくっていると「トニー滝谷」という文字が目に入ってきた。私が持っているのは単行本の初版で29ページから30ページにかけてこんな記述がある。

「猫はいつもあのあたりを通るのよ」、娘は芝生の向こう側をさした。「あの滝谷さんの垣根のうしろに焼却炉が見えるでしょう?あそこのわきから出てきて、ずっと芝生をつっきって、木戸の下をくぐって、おむかいの庭に行くの。いつも同じコースよ。ねえ、滝谷さんって、有名なイラストレーターなのよ。トニー滝谷っていうの。知ってる?」
トニー滝谷?」
娘は僕にトニー滝谷の説明をしてくら。滝谷トニーというのが彼の本名であること。彼が非常に克明なメカニズムのイラストレーションを専門とする人物であり、先日交通事故で奥さんをなくして、一人でその大きな家に住んでいること。ほとんど家の外に出ないし、近所の誰とも付き合わないこと。

 
そのようにして作家の想像力は様々に絡み合いつつ連関しているのである。



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