「笑いの大学」

笑の大学 スタンダード・エディション [DVD] これもDVDで観た。そしてこれもはっきり失敗作だと思う。評判を得た舞台劇の映画化なのだが、これは映画化する必然性がまったくないなと思う。芝居をそのまま映像化しても面白いかどうか。そこが問題なわけだ。
これまでにヒットした芝居を映画化したものは数多あるとは思う。映像化する以上、空間的な奥行きとか見せ方とかいろいろ工夫もされる。さらには役者さんの演技力とかも当然、芝居と映画で見比べられる。芝居には芝居の良さがあり、映画には映画の良さがという比較論もできる。そこで成功するものもあれば失敗するものもあるということだ。
私なんかが傑作だと思うのは例えば「奇跡の人」。芝居と同じ役者さんで芝居と同じ演出家による映像化でありながら、見事な映画作品になった。あれは極めて稀有な例なのかもしれない。
さてこの映画は、原作芝居同様ほとんど密室劇で検閲官役所広司と芝居の座付き作者稲垣吾郎の二人が取調室で演じ続ける。それが実に面白くない。だいたいにおいてギャグの類もちっとも笑えないし。堅物の役所がなぜこんなつまらないギャグで笑えるのかも不思議なのである。芝居を映画化することで飛躍的に空間が広がる、それが普通なのに、この映画ではちっともそれがない。平面的だし、二人が熱中して取調室を走り回ってもちっとも面白くもなんともないのだ。
これなら芝居をまんま観たほうがきっと面白いのではと思う。だいたいにおいてなぜ映画化するにあたって、設定をそのままにしてしまったのだろう。映画としての広がりをもたせるのなら、端から芝居から断絶して映画的世界に遊ぶべきだったのだはないかと思う。私ならまずこのお話設定を変える。時代設定は曖昧にしてしまう。そして検閲官と映画の脚本家あるいは映画監督という設定だ。取調官がいろいろとシナリオに注文をつけていく。それに対して脚本家はどんどんストーリーを変更していく。それがそのまま映像化されていく。ヘップバーンの「パリで一緒」とかその元ネタであるデュヴィヴィエの「アンリエッタの巴里祭」みたいな劇中劇満載の映画にしたてあげる。そういうのが映画的な処理っていうものでしょう。
こういうのを観ると同じように舞台劇を映画化した「パコと魔法の絵本」が、映画的な工夫に満ち溢れていたことを再認識させられてしまう。監督の力量なのか、制作費の違いなのか、あるいは映画への愛なのか、そんなことを考えさせてしまう。