担当者会議

妻がデイケアで通っている施設で妻の今後の介護計画についての担当者会議があった。ケアマネ、デイケア施設の担当者、理学療法士、週一で来てもらっているヘルパーが集まっての打ち合わせだ。うちは家族三人で出かけた。
内容は現在の介護内容を説明し、短い感想を話し合う程度のものだ。たぶん介護保険給付の関係で、ある部分ケアマネに義務付けられているものなのかもしれないとも思う。そういえばふじみ野でも一度か二度くらい、こういう打ち合わせをもったようにも思う。
利用する側としては、今の介護サービス内容にさほど不満もないので、社交辞令的に「いつもありがとうございます。とても助かっています」を繰り返すのみだった。
そういえば6月の終わりに行った介護保険面談の結果も出てはいた。介護度3は変わらずで、今後サービスを受ける上ではとりあえず影響はない。妻の身体部分だけの問題だと一つくらい下がる可能性もあるにはあると思っていた。でも面談の時にけっこう強く訴えた、高次脳機能障害の部分が合わせ技的に効いたのかなとも思わないでもない。
その時に担当者に話したことを今回の打ち合わせでも話してみた。妻の身体的な状況を表面的にみればかなり改善されている部分も多い。デイケアでの入浴でも一人でできることが増えてきているという。家でもヘルパーがいるいないに関わらざる夕食の支度とかはだいたい出来るようになってきている。でも、そのできるが常に留保付、あるいは括弧つきの<できる>であることを肝に銘じておきたいということだ。
医師からは大きな梗塞巣があり、基本は車椅子での移動になるといわれている。片麻痺は固定されているので、杖歩行は極めて短い距離の移動だけだし、階段の昇降などを一人で行うのは安全面では大いに問題があるともいわれている。そういう病状を日々の<できる>部分だけで判断し、本人も周囲もその<できる>に安心しきっていると、大きなポカや事故につながる部分もあるのではないかと、まあそういうことへの懸念を話してみたということだ。
なんでも<できる>から良くなっているのかというと、けっしてそうでもないという事実、あるいは実態があるという認識。それをゆめゆめ忘れてはいけないということなんだと思うわけなのだ。