Herbie Hancock『洪水』

洪水 鶴ヶ島のジャズ焼き鳥屋(!?)江奈でマスターから借りてきたもの。かかっている時に「これ『バタフライ』でしょ。これ好きなんだよね〜」みたいなことをくっちゃべっていたら貸してくれた。だもんでここ一週間くらい断続的に聴いている。素晴らしいね。
電化ハービーの中でも一番美しく全曲通して聴いていられるアルバムだな。よくよく聴いてみるとこの演奏実際に聴いたことがあるのを思い出した。この演奏は1975年にヘッド・ハンターズとして来日した時のものだったはず。録音は中野サンプラザ渋谷公会堂らしいのだが、私が見たのは川崎の産業文化会館だった。たぶんジャパン・ツアーだったのだろう。
1975年というと浪人してた頃だったか。当時はジャズ聴き始めたばかりで、それこそ最初に買ったジャズのアルバムは高校生の時の『処女航海』。ハンコックは私にとってジャズの入口みたいな感じだった。とはいえまだまだジャズは敷居が高く、レコードも高かったから新しいものとかを耳にする機会あまりなかった。週一くらいでジャズ喫茶通っていたけど、そこでかかるのは50年代〜60年代の正統モダンジャズかそれ以前のバップやスィング系中心だった。だからハンコックのヘッドハンターズといわれても実はピンとこなかったような気がする。
兄貴からハンコックのチケット手に入ったから行くかといわれて、「行く行く」みたいな感じでついていった。民音からチケット購入したんだったかな。兄貴は当時創価学会に入っていたし、ハンコックも学会だからまあそういう流れでのチケットだったんだろうと思う。
ステージの最初はハンコックのアコースティックなピアノソロで、それに徐々にドラム、ベースが加わってみたいな感じだったから、「おー、ハンコックや」みたいに感動していたら、次曲からいきなり電化サウンドでファンキー一色になった。そのリズム・サウンドにはぶっとびだったな。ジャズ聴き始めとはいえ、もともとロック系もよく聴いていたし、CTIとかフュージョン系とかも聴いていたからヘッド・ハンターズの演奏は耳に心地よかった。
ライブの中で最も気にいったのが「バタフライ」。このややスローなナンバーのシンセは絶妙だった。気だるいエレピのフレーズからベニー・モウピンのバスクラが入ってくる。で、いきなり♪♪ジャン♪♪と音楽が止まって、また繰り返す。さらにハンコックのシンセがかぶさって。なんつうか静と動が繰り返されていくその導入部から次にハンコックのエレピのソロに流れてみたいなところ、33年も前のことなんだけど、目をつぶると鮮明にステージの様子とかが蘇ってもくるな。
まあ川崎で見たライブが1975年だったかどうか、へたすると記憶違いかもしれないけど、メンバーのベニー・モウピンやビル・サマーズ、マイク・クラークとかは間違いなく覚えている。実はこの時兄は楽屋まで行ってハンコックのサインをもらっている。そのプログラム、自分が譲り受けて保管しているのだが、多分グルニエのどこかかたすみのダンボールの中。穿り出せばおそらく出てくるのだろうけど、それ今やっちゃうと徹夜になりそうだからやめる。
このアルバムは美しき電化ジャズの名盤だと思う。ヘッドハンターズ自体がある意味では’70年代の伝説の一つとして数え上げられるとしたら、その貴重なライブ音源だとも思うわけだ。
 しかしハンコックも息の長いミュージシャンだと思う。1940年生まれだから今年68歳か。いつまでも長生きしてもらいたいとしみじみ思う。この人は二十年くらい前からジャズ・ジャイアントの一人であったはずなのだが、この人の感性は常に若々しく、いつもなんていうのだろう若手もしくは中堅みたいなイメージがあった。しかもやることがいつも新しいというか、ある意味筋金入りの前衛、フロントなんだよな。
だから『Future Shock』の『Rock it』聴いた時も別段驚きもせず、ハンコックえらい奴やと思ったもんだ。1983年にDJ=スクラッチですよ。しかもここまでやるかみたいな感じでDJ=ミキシングの方向性を決定づけもしたし、その可能性を広げたんじゃないかとも思う。まああんまりこのへんを聴きこんじゃいないから、もっともらしいこといえないけど。
でもね、ロックやプログレの可能性を広げたのが実はマイルスであるように、クラブ・ミュージックのそれを広げたのはハンコックだと私なんかは思っている。『Rock it』の前と後では世界は異なると、まあそのくらい過大に評価している。
ハービー・ハンコックは真性の創価学会員であることはつとに有名。私にとって崇拝できる唯一無二の学会員はこのひとだけかな。あっ、バッジョを忘れていた。そして俊輔はちょっと微妙っていうところかな。