授業参観にでる

娘の授業参観の日。娘から来て欲しいと言われていたので出席することにした。会社から学校まで徒歩で10分かかるか、かからないかくらいなので仕事の合間に抜け出すことにした。こういうのも職住近接の利便性ということなわけだ。会社の近く越してきたのは、なにより安かったということもあるけど、基本妻を家に置いておくわけなので、近くだとなにかあってもすぐかけつけるという介護的な部分が大きかったとは思う。もう一つには娘のことも考えた部分ていうのもあるにはあった。
ふじみ野時代もけっこう授業参観とかには出ていたほうだったとは思う。妻が元気な時分でも交代性で学期の初めが私、学期の終わりが妻みたいにはしていたけど通算すると私のほうが回数多かったとは思う。会社から車で自宅まで戻って授業参観に出てとんぼ返りして会社の会議に出たなんてこともあった。
妻がこういうことになった以上、学校行事系もぜんぶ私がこなしていかなくてはならないわけだ。これからいろいろ面談とかじょじょに増えていくのだろう。仕事との両立を図っていかなくてはならないわけで、職住近接生活を考えた一つの側面でもあるのだ。
といってもこうやってちょっと学校行ってくると言って職場抜け出すのもあんまりいいことじゃないのだろうとは思うよ。うちの職場の場合、パートさんでも学校行事を理由に休むことも多いわけで、管理職の私が同じことをやっているのでは示しもつかないしという陰口も聞こえてきそうだ。
娘の授業は総合学習の一環で福祉についてのグループ発表だった。グループごとに手話についてとか聾学校、盲学校の歴史とかについての発表が続いた。娘のグループは車椅子についてだった。前に娘から車椅子を交代で押しながら学校から若葉の駅まで行ったという話しを聞いていたのだが、そのときの体験談や感想を交互に発表していた。
娘は日ごろから妻の乗った車椅子をけっこう押しなれているので、リーダー・シップをとっているのかとも思っていたのだが、どうもそうでもないらしい。母親のことはあまり友だちとかにも言っていないという。今回の授業参観のことでも、話を聞くと妻は真っ先に自分も出たいと言っていたのだが、娘はママにはきてほしくないときっぱり言っていた。妻にとってはショックだろうし、なんとかフォローしたい部分でもあるのだが、娘もだんだんと難しい年代に差し掛かってくるとことだから。
なんともはやという感じだ。もう少し大人になれば母親に対しても、もっと優しい態度で接することが出来るようになるのだろうとは思う。親ばかかもしれないが、基本的には心根の優しい娘だとは思っている。でも小学4年くらいから中学あがるくらいまではなかなか難しいのだろうなとは思う。
自分はどうだっただろうと大昔のことを思い出してみる。自分には母親がいなかった。母親代わりは祖母がしてくれていたけれど、例えば授業参観とかに祖母がくるのを低学年の頃は普通に喜んでいたけれど、10歳くらいからはけっこう嫌がっていたようにも思う。いろいろ世間の目とかが気になってくるのだろう。自分のところが他の子たちと違っているということが受け入れられない。特異性みたいなことに過敏になってしまうのだ。
思春期を過ぎてくればもっと分別もつくのだろうけれど、今はちょっと難しい。妻をフォローしたり、娘には母親をあまり傷つけるようなことを言ったり、態度で示したりしないようにやんわりと話したりする。ゆっくりゆっくり修正していく以外にはないのだろうね。