18日の月曜日にふじみ野のある不動産屋の営業からいきなり電話があり、家の仲介をぜひさせてもらいたいという。話を聞いていると自分のお客でふじみ野の家の購入希望を持っている方がいるので案内をしたいのだという。一般でも契約を結べば売り買いでそれぞれから3%の手数料がとれるということなのだろう、熱意というか一生懸命ぶりが電話を通しても伝わってくる。こちらももう少し不動産屋を増やそうかと思っていた矢先だったので契約してもかまわないと言うと夜の8時過ぎに若い営業がやってきた。
熱心そうにいろいろと話をしていったのだが、彼の言うお客というのはふじみ野の家の近所にある賃貸マンションに住んでいる方で、東原小学校の周囲で家を探しているという。年齢も40代前半で自己資金もそこそこあるという。土曜日に内見の予定を組みますという。
そのとおりなると言いのだがと思いながら一日過ごしていた。夕方くらいに家族三人で若葉ウォークまで買い物に行った。その頃には連絡もないので内見うまくいかなかったのかななどと妻と話していた。若葉ウォークで娘のハイソックスや洋服などを数点買い、それから本屋をぶらりぶらりしていた。その頃には内見のことなどすっかり忘れていたのだが、そろそろ帰ろうかと思っていた時に携帯が鳴ったので出てみると件の不動産屋が暗い声でぼそぼそっと話し出した。その暗い声にこれは駄目だったかな〜と思っていると、彼はいきなり
「今日内見されたお客様が購入したいということなんですが、ついてはあと100万値引きをしていただければということなのですが、どうでしょうか」
値引きのラインは80万と考えていたのでちょっと厳しいかなとも思った。それで「ちょっと待って」と言ってから妻に説明すると、妻も100万にはかなり抵抗があるようだった。ただマンションのときもけっこう値引きした経験もあるし、今回の家を購入した時も売主が200万下げの価格を出した後でも最後の最後にさらに80万値引きさせた。その時の言い分が、「高い買い物をするのだから、背中を押すもう一声みたいなものが欲しい」というものだった。今度はこちらが背中を押してやらなくてはならないわけだ。
「わかりました。100下げでけっこうですので進めてください」
それからは翌日午前中に売買契約を行うためふじみ野にある不動産屋まで行くことなどのだんどりを順々に決めていった。電話を終えてからはなんとなくほっとして、家族三人で駅前の安いラーメン屋に入って夕食をとった。私は生ビール二杯と紹興酒コップ一杯で軽く祝杯をあげた。当初の価格からすれば相当な値下げになったけれど、とにもかくにも家が売れたわけだ。後少しでローン地獄からも解放される。安堵感は相当なものだったのだろう、コップ一杯の紹興酒がやけにうまく感じた。
家に帰って新聞を読もうとすると封書が一通新聞の下にあった。どこからだろうと見てみると社会保険庁から。急いで開封すると年金証書が入っていた。妻の障害年金の支給が決まったのだ。昨年暮れに国リハの診断書をとり社会保険事務所に申請したのがようやっと裁定されたということだ。これで妻には最低限の定収入ができた。妻が働いていた頃の収入とは比べようがないものだけれど、それでも暮らしの助けにはなる。妻にとっても自分自身の年金収入になるわけで、精神的な自立という部分でも下支えというのだろうか、ようは自信にもなるのではとも思う。
とはいえ妻の障害は医師の診断でもそうであったが、身内の我々が回復への期待とともにややもすれば軽いものとつい思いたくなってしまうのだけれど、現実的には相当に重度なものなのだ。今は若さと基礎体力みたいな部分で短い距離を杖歩行したり階段の昇降とかもある程度こなしたりしてはいるけれど、妻の障害の状態からするとかなり無理をしている、させている部分もあるのではとはつくづく感じてしまった。医師の診断書にある右脳の三分の二、さらに前頭葉、頭頂葉に及ぶ梗塞巣。その結果としての左上肢、左下肢の機能全廃。この現実を障害年金証書は再確認させてくれもした。
ヘルパーのいう料理の手助けだけではなく見守りだってそういうことなのだ。階段の昇降だってきちんと見守りしていなくては、いつ転げ落ちるかわからない。そういう危険性と背中合わせの毎日を送っているということなのだ。
家の売買だってまだまだ安心はできない。ローンがおりずに契約が反故になることだってある。現に以前マンション売ったときにもそういうことがあって、収入印紙15000円也をどぶに捨てた。障害年金だって裁定はおりて証書が届いたとはいえ、実際の支給は50日くらい後になるということらしい。まだまだ安堵してどうのということではないのだ。そうはいってもずっとしんどい日々を続けている我が家にも、なんとなく春の兆しが現れてきたのかなとも思うわけだ。鶴ヶ島の毎日はまだまだ寒さ厳しく、それこそ春はなのみぞてな感がないわけでもない。でも、小さい春がなんとなく、なんとなく。