ある車椅子の風景

日々、妻の車椅子を押して歩くことが普通になってくると、それまで目にはいってこなかったものが見えてくる。それは様々なバリアーであったりもする。それ以前に単純に、世の中にけっこう車椅子が氾濫しているのだなということ。同類だからというわけではないけど、車椅子を自走している方、車椅子に乗った家族を押して歩く人などに様々な場所で遭遇する。別に車椅子の人々が増えているわけでもなし、ようは今まで見えていなかったものが見えてきたに過ぎないのではあるのだが。
テーマパークなどに遊びに行っても、けっこう多いんだな車椅子と思うこともしばしばだ。TDLなんかに行っても、あちこちで同業者じゃない、同病者というのだろうか、車椅子の方々をお見かけする。電動車椅子やオーソドックスな手押し式、TDLから貸与されたやつとかいろいろだ。車椅子に乗っている方々も、小さなお子さんや、ローティーン、ハイティーンの若者から、20代、30代の方、また相当にお年を召したかたまで千差万別。病気については見た目だけではわからないことが多いけど、怪我による障害、妻と同じような病気、たぶん脳性麻痺とかそういう病気の方など本当に様々だ。それは妻が病気にならなければ、そして車椅子に乗った妻を押すことが日常とならなければ、たぶん私の目には映ってこない風景だったのかもしれないとも思う。
先日のUSJでも何人もの車椅子の方を目にした。その中で少しだけ印象的だった方のことを書いてみる。それはちょうど我々がシュレック4Dのゲストサポートパスを取っている時のことだった。劇場の前は歩道になっているのだが、歩道に隣接した道路に車椅子の婦人がいて、こちらに向かって誰か人の名前を呼んでいた。「ゆうき、ゆうき」とたぶん子どもの名前を呼んでいるらしいのだ。振り向いて見ると、小さな子どもが入り口の係の隣にいる。そこでそのご婦人のところ出向くと彼女は「子どもを連れてきて下さい」と頼んできた。ちょうどこちらはゲストサポートパスの予約をしたばかりで、妻を乗せた車椅子を道路に移動させようとしていたので、妻を置いてその小さなお子さんのところに行って「お母さんのところに行こう」と話しかけてから手を引いて連れていった。
車椅子の女性は私に「ありがとうございます」と礼を言った。ある意味それでこの話は終了である。妻の車椅子を押して、娘と3人でその場から離れた私は少しだけ後ろを振り向いた。すると車椅子の婦人は係の人を呼んで歩道に車椅子を上げてもらっていた。そして私たちがしたようにシュレック4Dのゲストサポートパスによる予約をしているようだった。ようするに道路から歩道にあがれないので、子どもに係の人を連れてきてもらうように言いつけたということなのだろう。でも子どもはきちんとそれを係の人に説明できずにいた。だから子どもを一度呼び戻そうとしていた。そういう状況だったようなのだ。
なんだそういうことなら、そう言ってくれればよかったのにとも思った。「子どもがいるところまで車椅子を押していってください」と言ってくれればいいのにと。でも見ず知らずの人にそこまで頼むのはなかなか難しい部分もあるのだろう。実際逆の立場でも私は知らない人の善意を頼ることができるかどうか。
さらにいえば、これはある意味USJが持っている構造的なバリアの問題でもある。いやUSJはけっこうバリアフリーを意識した設計が成されているとは思う。でも見過ごされた小さなバリアがいろいろあるのだと思う。件のシュレック4Dシアター前の歩道と道路の段差はきわめて小さいものだ。それでもその段差は車椅子の人間にはけっこうな障壁なのである。さらに歩道は道路に向かって緩やかに傾斜している。これがけっこう曲者なのだ。車椅子の前輪をなんとか持ち上げて歩道に上がろうとしてもさらに歩道に傾斜があるとそのまま登っていくのがなかなか難しいのだろう。段差を小さくしてもこういうところが盲点となっている様々なバリアは世の中に蔓延している。
そういう諸々のこともあるにはあるのだが、この時思ったのは全然別のことだった。小さな子どもは帽子をかぶっていて男の子か女の子かわからなかった。ゆうきと呼ばれていた。見た感じでは小学校にあがる前、たぶん年長さんくらいだろうと思った。と私が見ている時にその子が帽子を取った。けっこう長い髪の毛。女の子だったんだ。
車椅子のお母さんは年齢的に30代くらいに見えた。とすると小さな子どもと二人?他の家族はどうしたのだろう。変な詮索かもしれないが、もし二人でUSJに遊びに来たのだとすれば、けっこう勇気のある方、いやバイタリティのある方だなと思った。USJはたぶん関西では子どもたちにも一番人気のテーマパークだろう。子どもが行きたいと言ったのだろうか、あるいは子どもと二人で楽しみたいと思ったのだろうか。もしそうだとすれば、なんかとてもすごいことのようにも思える。普通にちょっと心を動かされるような感じになる。
もちろん車椅子の母親と未就学児童の二人でテーマパークにやってくるのだ、様々な本当に様々な障壁があるだろう。それでもこのお母さんは母親として子どもを楽しませようと努力している。いやそんなことではなく、母と子で楽しい一日を送るべく頑張っているのだ。もしそうだとすれば本当に素晴らしいことではないか。
ただ小さな子どもにとってはどこかで小さなストレスを感じているかもしれない。自分のお母さんは他のお母さんとは違う。車椅子に乗っている。だからいろいろと自分は我慢したり、お手伝いをさせられたりもする。そんな気持ちもあるかもしれない。でもね、私は思う。それは君にとって、とても掛け替えのない体験でもあるのだ。君は車椅子のお母さんと日々生活することで、これから君がきっと出会うことになる人たちに対して優しく接することができるようになる。たぶんそれが普通にできるはずだから。
私の娘も小学二年生の時に母親が病気になった。車椅子以前に入院中に始終涎を垂らしている、パジャマの前をすぐにはだけてしまう、そんな母親も目にしている。それでもある部分、病気になった母親を普通に受け入れている。怠け者で食いしん坊、車椅子を押せとかいうとブーブー文句言ったりもするけど、きちんと介護少女をけっこうしてくれたりもする。親馬鹿かもしれないが、いろいろあった割りにはまあまともに育っているんじゃないかとも思っている。少なくとも娘は障害者に対して偏見をもつことはないだろうとは自信をもっていえる。
USJで見かけた車椅子のお母さんと小さな女の子。私が手を引いてお母さんのところに連れて行った時にもほとんど言葉を発しなかった女の子。たぶん内気な子なんだろう。でも私にはこの子はきっと素敵な子になるだろう、きっと素敵な女の子になるんだろうなとそんな予感、いや実感としてそう思えた。