とりあえず選挙についての短感

参院選自民惨敗民主躍進という結果に終わったようだ。選挙中の報道からもある程度は予想できたとはいえ、ここまで自民が落ち込むとは思わなかった。さらにいえば民主党のここまでの勝利も予想外だったかな。
自民党が敗北することについていえば、これはもう国民のバランス感覚の成せる業というところだろう。前回の衆院選、小泉自民党が大勝利を果たしたあの郵政選挙。あれで国民はいささか自民党勝たせすぎたかなと思ったのだろう。衆院で圧倒的多数である与党は多数であるにも関わらず、先の国会等でも強行採決を連発をした。ああいうのを見ると、少しお灸をすえるかみたいな感覚になるのだろう。そこに持ってきて政治と金をめぐる不祥事、閣僚の問題発言、さらには年金問題である。まあ自民党が負けることは判りきっていたとは思う。それにしても負け方、負け幅が大きすぎないか、という気もしないではないが。
衆院の小選挙制を含めて1人区中心の選挙では勝ち負けがきわめて大きく振幅していくことになる。これは二大政党制による政権交代がいよいよ可能になりつつあるのかもしれないという予感にも繋がる。とはいえそう簡単にはいかないのが日本という国だ。この国には政権交代を通じて穏やかに変化していく民主主義の伝統がまずない。政権交代がないということはある意味民主主義が定着し得ていないということなのだが、そこのところが民衆の意識にしろ、政治家の意識にしろはっきりと具現化されていないように思う。
だいたいにおいてだ、自民党という政党の存在意義というのは、この党が政権党であるということだけ、ただそれにつきるのだ。政権党であり続けることにより様々な利益誘導、利益の分配を可能にする、それだけなのだ。他に理念や党派的イデオロギーといったものなど一切ないと言い切っても間違いではないように思う。
例えばだ、もし次回の衆院選で今回の選挙のように敗北をきっしたとしよう。この党は確実に分裂する。そして分裂したグループは幾つかの小党派を連立し、最終的には政権党(この場合は民主党になるだろうか)に収斂される。ようは政権という求心力だけが支えになっている政党だということだ。このへんが淘汰されない限りは二大政党制などいつまでたっても絵に描いた餅ということになるのだろうなという予感。
もう一つ今回の選挙で感じたこと。反自民票のその総てが民主党に取り込まれたこと。自民と連立する公明党議席を減らした。本来反自民票、自民批判の受け皿であるべきはずだった社民党共産党も敗北した。民主党だけが一人勝ちしたという図式である。このへんがかっての宇野内閣時代の参院選、自民敗北との大きな違いだ。そしてそれが表すものはなにかというと、恐ろしいまでの日本社会の保守化傾向ということなんだろうなということだ。
民主党はその出自はというと小沢代表を中心とした自民脱党組、これに同じく自民脱党組の新党日本や魁、これに民社党社会党右派で構成されている。社会党右派はというとほとんど淘汰されつつあり、ある意味ではこの党もまた厳然たる保守政党なのだ。
日本にはヨーロッパ的な保守党と社民政党による政権交代、その結果としての高福祉型の社会というのは難しいのかもしれないという予感がある。ほとんど同じような保守二代政党による政権交代という意味ではこの国の二大政党制はアメリカのような形で現出するのかもしれないという気もする。とはいえ、それすらもまだまだ時間を要するのだろう。自民党の一党支配が崩れ去ってから、かれこれ15年になろうというのだがいまだに選挙による政権交代は実現していないのだから。
願わくば私が生きているうちに選挙による政権交代や二大政党制が確立されればとも思うが、なかなか難しいのだろうなとも正直思っている。
今回の自民敗北、民主躍進により、次の衆院選はまたまた国民のバランス感覚が働くのだろう。前回の郵政選挙で勝ちすぎた分を少々減らすにしろ、自民が参院に続いて大敗北をするということはまずないだろうと思う。まあ、そういうものなんだよ政治は。