小田実、がんで闘病中

6/5日付けの朝日朝刊26面文化欄に小田実ががんで闘病中であるという記事が写真入りで載っていた。末期の胃がんだという。asahi.comでも配信されているのでキャッシュで貼っておく。
http://72.14.235.104/search?q=cache:--3CLyiNKEMJ:www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706050153.html+%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%AE%9F%E3%80%80%E3%81%8C%E3%82%93&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
写真を見ると私が良く知っていたあの、不遜にして傲慢、エネルギッシュな行動派作家の面構えが、見るも無残に枯れ、やせ細ってしまったという印象だ。75歳という年齢、末期がんという病状、近い日にこの人の訃報に触れることになるのだろうか。
残念なことだけれど、結局のところ「そういうものだ」とつぶやくしかない。自分自身が初老の年代に入りつつある今、自分の父親の年代といってもけしておかしくないこの人が同様に老いていくのはいたし方ないのだろう。
小田実は自分にとっては、一にも二にも平和活動家、ベ平連の代表として存在だった。反体制としての理路整然たる議論の仕方、インテリでありながら関西弁を駆使したこの人の語りには、脆弱なものがまったくなかった。この人の政治的な評論も幾つも読んで、けっこう納得、感銘していたような気がする。ある意味では無党派市民活動家、反体制文化人のスターだったんだと思う。
さらにいえば、この人の最初のベストセラー『なんでも見てやろう』にもけっこう影響を受けたものだ。たぶん高校生くらいの頃だったから、それこそ将来の夢は大学院で政治学でも勉強してフルブライトアメリカに留学して・・・・、みたいなこと考えていた。噴飯ものではある。そして小説も幾つか読んだ。『わが人生の時』は感銘を受けた小説の一つだ。政治運動に手を染めた学生たちの群像、その生や悩み、そして転向。暗い、暗い小説だったが、当時の自分の気分に妙にシンクロしてしまったのだろう。ある時期の私にはベスト10に長く連ねるほど好きだった小説だった。
この小説を書いた時、小田実は高校生だったという。派手な市民運動のリーダーとは別の側面、早熟な天才、ナイーブな感性みたいなものに驚かされた、そんな印象だった。今もし読み返すとしたら、それは単なる習作に近いような作品、それもドストエフスキーあたりにインスパイアされたみたいなものなんだろうなとは思う。探せば本棚の片隅にありそうなのだが、多分手にとることすらなさそうな気がする。もうこういうものに動かされるような感性はおそらくどこにも残っていないだろうから。
近年になって彼や同じベ平連の事務局長をやっていた吉川勇一がKBGのエージェントだったという噂ないしスキャンダラスな言説が流れている。時代が時代だったから、反体制文化人たちにある種のそういう金、活動資金とかが流れた可能性はあるのかもしれないなと思うこともある。70年代のどこかで小田実北朝鮮を訪問し、ちょうどその頃所謂税金、国家が国民から徴収する税制度を廃止した北朝鮮を、「東欧のチェコにも似たこの美しい国は、国家の理想的なあり方を現出させようとしている」みたいな戯言、大絶賛を記事にしたルポを朝日ジャーナルに載せていたような記憶がある。これなんかはトンデモ言説の一つだと思うし、当時も違和感ありありではあった。多分朝鮮総連あたりの招待で北訪れて書いた提灯記事なんだろうとは思う。
まあこういうのも時代のなせる業だな。右的言説の持ち主たちはみんなほらみたことかなどと言いそうだけど、そんなこと言ったらだな、50〜60年代にアメリカ万歳、保守政権万歳、天皇万歳みたいなことくっちゃべっていた文化人たちだって、ひょっとすると大多数にはCIAの活動資金や内閣調査費だのから金流れていたんとちゃう、みたいなつっこみ入れたくなるよな。60年安保の時には、時の総理岸信介(安部ちゃんのおじいちゃんです)なんかは、右翼の児玉誉志夫を通じて右翼やヤクザに反安保運動をつぶすよう依頼とかしてたとかもあるらしいし、まあそういうのもひっくるめてそういう時代だったんだねということなんじゃないのだろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB#.E3.82.A2.E3.82.A4.E3.82.BC.E3.83.B3.E3.83.8F.E3.83.AF.E3.83.BC.E8.A8.AA.E6.97.A5.E3.81.A8.E5.8F.B3.E7.BF.BC.E3.83.BB.E3.83.A4.E3.82.AF.E3.82.B6.E9.80.A3.E5.90.88
もっとも小田実についていえば、その早熟な高校生あるいは東大学生時代からKGBとの接触があり、フルブライトでのアメリカ留学やバックパッカーとしての世界旅行、それに続くべ平連のリーダーとしての市民派活動家時代を通じて一貫してエージェントであったりしたらそれはそれですごいなとも思う。今、病の床にあって初めてそのすべてを語りだす・・・・。一時流行ったルカレの小説みたいなだな、ってなんかとても不謹慎なこと書いているかな。
でもね、私はいろんな意味で小田実という人に影響を受けてきた。彼にはまだまだ活躍してもらいたいと思っている。病状が好転することを祈りたい。そしてまだまだ思索、執筆を続けてもらいたい。