小田実死去

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http://72.14.235.104/search?q=cache:7lB-Jgpncx8J:www.asahi.com/national/update/0730/OSK200707300001.html%3Fref%3Drss+%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%AE%9F&hl=ja&ct=clnk&cd=6&gl=jp
やっぱり死んでしまったね。6月5日に朝日新聞で末期癌で闘病中の記事を読んだ。かってのバイタリティ溢れるタフガイの面影がほとんどないやつれ果てたベッドでの姿を見て、また記事中にある末期の胃癌という病状から、そう遠くないうちにこうした訃報に触れることになるだろうと思った。http://d.hatena.ne.jp/tomzt/20070607/p1
二ヶ月を経ずしてそれが現実となったということ。30日午前2時5分永眠されたという。おそらく自民党の敗北の事実も知ることなくこの世を去ったのだろうか。安保体制下、一貫して自民党による長期一党支配が続いていた50〜70年代を通じて反体制運動の担い手の一人であった人だ。時代の限界もあっただろうから、社会主義へのシンパシーを当然持っていただろう。北朝鮮訪問の際のかの国への賛美的なレポートの件は今でもこの人を批判する際によく引用されるところだ。
繰り返すけれど、時代の限界という部分でもある。当時の反体制派はみな温度差はあれ、社会主義マルクス・レーニン主義社会主義諸国に対してシンパシーを抱いている部分もあったわけだから。北朝鮮に対する情報もある意味ではきわめて限定されていた部分もある。
まあだからといって、すべてが免罪であるわけでもない。社会主義思想への傾倒や素朴なシンパシーも、ややもすれば稚拙な思考でしかなかったという部分いなめないだろう。私自身ですら、なぜ十代、二十代の頃にあんなにも盲目的に社会主義的なるものに幻想を抱くことができたのかと思う部分もなきにしもだ。
まあそれはそれとしてだ、小田実の行動する作家としての姿勢は、ひ弱なインテリとは一線を画すべきものがあった。タフな行動派にして、大阪弁からくりだされる理路整然とした弁舌には一種のカリスマ的な趣もあった。ある部分、彼はスターであり期待の星でもあったのだと思う。
朝日の追悼記事では瀬戸内寂聴さんのコメントが寄せられている。その中に病状を見舞いした時の話がでていた。

病床を2度お見舞いしました。医者は治療の手だてがないと言っていましたが、本人は「8月まで生きたらあれができる。9月まで生きたらこれもできる」と数えあげ、「まだ死にたくないから、死なないお経をあげてくれよ」と話していました。

最後まで生への希望と執念を寄せていた。後1ケ月生きれば、これができる。あれもできる。なんともすばらしい生き様じゃないか。最後までポジティブであり続けたえらいやつではないか。
正直、残念な思いでいっぱいだ。