『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』

赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫)  小田実が末期がんで闘病中であるという記事を読んで、そういえば赤塚不二夫は今何をしているのだろうと思った。何年も前にこの天才ギャグ漫画家はがんを宣告され、外科治療を行わず酒びたりの生活をしているということをテレビで観た記憶があった。丸顔で細い目をさらに細めたとっちゃん坊や然とした赤塚が、焼酎のグラスを手に持ちながら何か話している姿を妙に記憶している。
確かその時にけっこう末期の食道がんという話であったのだが、その後この漫画家の訃報に接した記憶がない。そんなことを思っている時にこの本を書店で手にした。文春文庫の新刊として。そして中身を読んで驚いた。赤塚不二夫は2002年に脳内出血で倒れた。手術により一命をとりとめたが、その後ずっと眠り続けているというのだ。そしてこの本は眠り続けて3年を経過した2005年に文春から単行本として出版されたということも知った。さらには赤塚の看病を献身的に続けていた夫人もまた昨年、クモ膜化出血で亡くなっている。それでも赤塚は眠り続けている。所謂植物人間として。
本書は小学館に入社し少年サンデーの編集者となった著者が『おそ松くん』の六代目担当となり、それ以後長く赤塚担当として赤塚に寄り添ってきた著者の回顧譚だ。絶頂期の天才赤塚の近くにあって、赤塚ギャグ漫画を作ることに加担さえしたこの編集者は、狂気にも似た天才赤塚の全盛期の姿や赤塚ギャグが生み出された現場の雰囲気を見事に描きだしている。
さらに眠り続ける赤塚の現在の姿をプロローグとエピローグに描くことにより、二度とこの天才漫画家の漫画が描かれることがないという事実の中で、一種の赤塚ギャグへのセンチメンタルな追悼文、墓碑銘的な作品となり得ている。
漫画家にして的確な漫画批評を何本も上梓している夏目房之介漱石先生の曾孫だったけ)は、この本についてこう評価している。
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003576.html
そう、夏目が言うようにこの本には、天才赤塚不二夫と、赤塚ギャグが謳歌された時代へのレクイエムになっている。そして時代の証言としても実に見事だ。当時赤塚不二夫のアシスタントとしてフジオプロに集ったクリエイター群像。アシスタントというよりもマネージャーとして赤塚を支えたアイデア・スタッフ長谷邦夫。同じくアイデア・スタッフだった古屋三敏は、『ダメ親父』で一本立しその後は『寄席芸人伝』や『レモン・ハート』でウンチク漫画の巨匠となった。チーフ・アシスタントだった高井研一郎は後に『総務部総務課山口六平太』などの大人コミックで成功する。高井はアシスタントというよりも赤塚のパートナーに等しく、赤塚の多くのキャラクター、イヤミ、チビ太、ハタ坊、デカパンなどはすべて、赤塚が口頭で伝えるイメージを元にこの人が生み出したものだということも、この本で知った。さらにいえば、今も連載中である『つりバカ日誌』の北見けんいちも最盛期のフジオプロで赤塚のアシスタントだったし、『つる姫じゃ〜』の土屋よしこも赤塚のアシスタント出身だ。さらに『タッチ』のあだち充の兄、あだち勉高井研一郎の後に赤塚に請われてチーフアシスタントを長く続けたという。http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_07/g2004070302.html
こういう綺羅星のごとくの才能が集ったのも赤塚不二夫のある種の人徳であったということが、武居のこの本の中にある。それは巨匠手塚治虫の下から大成した漫画家が少ないことと大きく対比もさせている。たぶんに漫画家としての資質、タレント性(才能)としては、赤塚よりも手塚のほうがはるかに上をいっているのだろう。しかし人間性の部分では、手塚の陰湿な編集者イビリのエピソードなどをまじえて武居は赤塚に味方している。それは赤塚に寄り添い、赤塚を愛した編集者であればこそだろう。
武居は赤塚番の編集者から脱して以後は少女マンガ誌の編集を主に行った。その中で、あだち充のラブコメマンガ路線や天才吉田秋生を見出したりしたらしい。
2007年現在、我々はいまだ赤塚不二夫の訃報に接していない。たとえ植物人間であったとしても、彼が行き続けることは僥倖であると思う。小学生の低学年の頃から、彼のギャグ漫画を楽しみ、それを毎週楽しみにしていた私にとっては、それはとても重要なことでもある。
赤塚が少年誌から姿を消した70年半ば以降は、私もちょうど漫画誌を読まなくなった頃でもあった。私にとっても赤塚の絶頂期こそが私のマンガ体験の原点であったような気さえする。いわゆる理屈でマンガを読むようになるずっと以前のことだ。
赤塚不二夫 - Wikipedia
赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!
いずれ青梅の赤塚不二夫会館にも足を運ぼうかとも思う。こじんまりとしたミュージアムなのだろうが、それはそれでいいのだ。きっとそれは赤塚マンガを愛した少年期へのノスタルジーに浸るための行為なのだから。