介護保険で「個別・短時間型」リハビリ 厚労省導入へ

 昨日の朝日の朝刊に1面に載っていた。長くなるけど、asahi.comより前文引用する。最後の部分が紙面とWeb版で微妙に違っている。

昨年の診療報酬改定で医療機関でのリハビリテーションが原則として最長180日に制限され、リハビリを受けられない人が出ている問題で、厚生労働省はその受け皿として、介護保険を使ってリハビリだけを集中して行う新たな「個別・短時間型」サービスを始める方針を固めた。制限後、厚労省は受け皿に想定していた介護保険との連携がうまくいっていないと認めていたが、実際に介護保険制度を見直すのは初めて。3月中にモデル事業をつくり、09年度の介護報酬改定で導入を目指す。
 脳卒中などの病気や事故からの回復には、医療保険介護保険のリハビリがある。同省は医療費抑制のため昨年、医療保険のリハビリを、発病直後は手厚くする一方で、期間を原則最長180日に制限。それ以降は介護保険による「通所リハビリ」の利用を求めていた。
 しかし、医療のリハビリが専門家によって個々人の体調にあわせて実施されるのに対して、現行の通所リハビリは、一時預かりの役割が大きい。ほとんどが半日コース。集団体操やレクリエーションをリハビリの代わりにする施設も少なくない。そのため、医療保険の上限後もリハビリを必要とする人の受け皿にならない問題点が指摘されていた。
 厚労省が新たなモデルとして想定しているのは、この通所リハビリの個別・短時間型。
 現在の通所リハビリの設置基準が、「利用者20人に対し専従2人」「サービス時間のうち理学療法士作業療法士など専門職がつく必要があるのは5分の1以上」と緩いのを、個別対応のリハビリもできるように、全サービス時間を通して専門職をつける。
 また、仕事をしながらリハビリに通えるように、利用時間は2時間程度、自力で通える人には送迎義務を外す――などを検討している。
 同省は、通所リハビリの個別・短時間型の研究費として約1000万円(今年度分)の予算をつけた。委託先の日本リハビリテーション病院・施設協会は、3月末までにモデル事業の内容を策定。新年度から利用者1000人規模で効果や問題点を調査する。効果が確認されれば、09年度の次期介護報酬改定に盛り込み、個別・短時間型を通所リハビリの新たな核として位置づける方針だ。
 課題も残る。理学療法士らリハビリ専門家は大半が病院勤務。新サービスを受け皿として整備するためには、現在の理学療法士数の4倍以上必要という試算もある。新サービス開始までの2年間をどうするかも問題だ。
 同協会常務理事の斉藤正身医師は「医療でのリハビリ制限を受け、もっと個別性の高いリハビリができるようにするためには何が必要なのかをまず探りたい」としている。

だからいわんこっちゃないというのだ。急性期リハビリを手厚くするという名目で医療保険でのリハビリを180日で打ち切った施策がいかに現実にあっていなかったか、それをわずか一年足らずで厚労省が認めたということだ。医療費抑制のため、なんでもかんでも介護保険に落とし込もうとする厚労省の考え方が現実無視しているという証拠だ。
「通所リハビリは、一時預かりの役割が大きく、ほとんどが半日コースで集団体操やレクリエーションがリハビリ代わりに」行われている。妻が週二回通っているデイケアもまさしくそれである。リハビリの時間は午前中に30分程度。理学療法士などがついて行うリハビリはいいとこ15分くらい。後は器具を使った自発的運動を15分〜30分くらいとれるだけ。午後は入浴とレクリエーション。大半を占めるお年寄りにまざってお遊戯したり歌をうたったりだとか。妻はそれが嫌で嫌でたまらないという。
そういう実態を無視して介護保険デイケアを個別リハビリの受け皿にしてしまったわけだ。さらにだ、この記事にあるように、PT、OTなどリハビリ専門家の大半は病院勤務なのである。なのに医療保険でのリハビリを180日で打ち切ってしまった。介護保険でのリハビリサービスの受け皿つくりには、現在の理学療法士の4倍以上が必要という試算。結局インフラ整備がないところで急激に制度を変えようとすることに土台無理があるということなんだと思う。
ケアマネによく訪問リハビリのサービスを受けられないかと聞くのだが、そのたびにこのへんでは訪問リハビリをやる専門家の方はほとんどいませんからという答えがかえってくる。だから今回の厚労省のいう「個別・短時間」の新型リハビリ導入などどうせ絵空事なのだろうとは思う。「リハビリ難民」なる言葉さえ一般化するほど、昨年の診療報酬改定にともなうリハビリの180日制限が問題化され、批判されてきている。そこでその批判をかわす目的でとりあえずぶちあげてみましたというのが、今回の新型リハビリということなんだろう。
そんなことを思っていたところ、久々芥川賞でも読んでみようかと思って購入した『文藝春秋』3月号に免疫学者多田富雄氏による「鶴見和子さんを殺したのは誰だ〜患者の生きる希望を打ち砕く『リハビリ打ち切り』は即刻やめよ」という激烈な一文が目に入った。小気味よい文章でこのリハビリ打ち切り問題を一刀両断にしている。

社会学者の鶴見和子さんは、十一年前に脳出血で左半身麻痺となった。十年以上もリハビリをたゆまず受けて、精力的に著作活動を続けてこられた。やはり昨年、理学療法士を派遣していた二ヶ所の整形外科病院から、いままで月二回受けていた医療保険による訪問リハビリを、まず一回だけに制限され、その後は、打ち切りになると先刻された。介護保険の給付は、日常の介護費用で使い果たしてしまうので、リハビリは受けられなかった。医師からは、この措置は小泉さんの政策ですと告げられた。

そして、去年の七月三十一日に他界された。直接の死因は癌であったが、リハビリの制限が、彼女の死を早めたことは間違いない。
その証拠に、彼女がどんなにこのリハビリ制限を恨んでいたがわかる、痛ましい二首の歌を残している。
政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ 生きぬく道のありやなしやと
寝たきりの予兆なるか ベッドより 起き上がることのできずなりたり
これに続く「老人リハビリテーションの意味」という最後のエッセイでも、
「私のような条件の老人は、リハビリテーションをやっても昨日が全面的に回復するのは困難である。しかし、リハビリテーションを続けることによって、現在残っている機能を維持することができる。つまり、老人リハビリテーションは、機能維持が大切なのである。もしこれを維持しなければ、加齢とともに、ますます機能は低下する。そして寝たきりになってしまう」と述べている(『環』26号、藤原書店)。そして予言どおり、寝たきりになって命を落とした。こんな残酷なことがあっていいものか。
比類ないまでの創造的活躍をされていたこの硯学を、月二回程度の維持的リハビリを惜しんで命を奪ったのだ。これが小泉改革のなせる冷酷な一例である。
彼女はさらに、「戦争が起これば、老人は邪魔者である。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか」と述べている。
「そこで、私たち老人は、知恵を出しあって、どうしたらリハビリが続けられるか、そしてそれぞれの個人がいっそう努力して、リハビリを重ねることを考えなければならない。
老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。したがって、生き抜くことが平和につながる。この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている」と結んでいる。私はこれがつるみさんの遺言だと思って、打ち切りという暴挙を追求してゆくつもりだ。

最後に多田氏は医師らしく、今回のリハビリ打ち切りの施策が「医の倫理」の観点からも問題視すべき点があるとして最後にこう結んでいる。

私は三十年余り国立大学の医学部教授として、医学生の教育に携わってきた。専門家の研究のほかに、学生には医師としてなすべきこと、やってはいけないことを教えてきたつもりだ。体の機能が落ちて苦しむ患者に、医療を拒んではならない。死に瀕しているものがあれば、助けるために最善の努力を惜しんではならない。これは医学に携わるものの最低必要な倫理である。
いま、生きるためにリハビリ医療が必要でありながら、治療を拒否されて苦しんでいる患者がいる。糖尿病や腎不全であったら殺人行為である。リハビリも、慢性疾患患者としての維持的治療を要求するのは当然ではないか。
それを国が否定しようとしている。黙って見過ごすわけにはいかない。見過ごせば「医の倫理」が踏みにじられることになるからだ。