男性介護者「炊事困る」4割超

1月20日朝日の3面に載っていた。例によってキャッシュページでリンク貼っておきます。
http://72.14.235.104/search?q=cache:fcbkhyXsWfwJ:www.asahi.com/life/update/0119/011.html+%E7%AB%8B%E5%91%BD%E9%A4%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%B7%E6%80%A7%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=5
なかなか興味深いというか同病相哀れむみたいな印象を持ちました。とはいえ回答者が70代92人、60代が82人、80代50人という数字には暗鬱たる思いがした。自分はやっと50代になったばかりだけれど、それでも介護はしんどいと思う部分が多々ある。それがもっと年配になっても続くわけである。なにかこの数字を見る限りでは、苦労して老後を向かえたその先に待っているのが、親なり配偶者の介護ということになるわけだ。まさに暗雲たる未来ではないかと。
家事で困っていることで炊事や裁縫というの、なるほどなるほどという感がある。自分もそういう部分もあるものな。炊事の悩みが「入浴介助」や「排泄介助」を上回るというのは、結局のところそれが朝昼晩必ずやらなくてはならないルーティンだからということなんだろうと思う。
この調査をまとめた立命館大学男性介護研究会の代表津止享受はこの調査について以下のように語った。

男性介護者の苦悩は、これまで仕事一筋で家事や近所付き合いをしてこなかったことが大きい。介護保険の家事援助は、同居の介護者が病気にでもならないと原則使えず、家事に苦労している男性は多い。支援のあり方を考える必要がある

う〜ん、果たしてそうかなとも思う。近所付き合いについていえば、これは男性だけの問題じゃないのではないと思うのだ。男性であれ、女性であれ、今の世の中では共同体的秩序は失われているのだから、近隣の付き合いというのはきわめて希薄になっている。だから昔のような隣近所の互助みたいなものは実はないんじゃないかと思う。うちについて言えば、越してきてまだ3〜4年だし、まして共稼ぎで日中家にいることなかったから、近所付き合いはそれこそ挨拶程度だった。妻がこういうことになって、隣近所の奥さんたちから、「なにかあったらいつでも言ってください」みたいな優しい言葉をいただいたけれど、とはいえなかなか頼み事をするという風にはならない部分もある。けっこう難しい部分があるのだと思う。
支援のあり方云々というけれど、本来的にいえばだ、高齢化社会が現実となってきたのに、その解決策が介護保険による支援中心で、基本的には自助努力としての家庭での介護がメインになっていることに根本的な問題があるんじゃないかとは実は思っている。社会保障費用がどんどん増えていくことで国家財政が圧迫されていく。そのために自助努力を主にせざるを得ないというのがお役所の説明なのだろうけれど、実は違うのではと思う。
そもそも高齢化社会がやってくることは何十年も前からわかっていたこと。それを役人、政治家が後回しに後回しにしてきたことが問題。何が国家百年の計だよっていうところか。さらにいえば、今の財政赤字の原因は社会保障費用の増額によるものなんかではないと思う。長年の保守党政権によるばら撒き政策の結果のはずだ。問題先送りでな〜んも将来のこと考えてこない政治家と役人ばっかりだったということなんだろうな。
しかし人生の最後に介助が待っているというのは人生の最大のアイロニーみたいな気がします。今苦労されている60代以上の人たちっていうのは戦後の日本を支えてきた人たちなわけ。彼らの苦労、努力が原動力となって日本は繁栄してきたということもいえるのだ。でも、一方でこの人たちは来るべき高齢化社会に対してあまりに無策なままきてしまったともいえるわけだ。この人たちがもっと日本の社会保障制度を良いものにしておけば、こんな苦労はなかったはずなんではとも思う。
この国の高齢化社会にあっては、結局自助努力として小金を貯めておくことに尽きるのだろうとも思う。介助は金で買うということが総てのようにも思う。老後だって何千、何億ってもっていれば快適な民間老人ホームで悠々自適な介助サービスが受けられるわけだから。持たざるものはせいぜい健康であることに努めるか、いつでも介助ができるように自立しとく以外にないのだろうな。
最後にコミュニティの問題について一つだけ。より矮小な次元で考えればだけど、とにかく出きるだけ沢山の友人作っておくことがすべてなのかな〜とも思う。自分も妻もどちらかというとあまり友人が多い方じゃないけれど、結局病に倒れた時に頼りになるのが家族だけというのはけっこうしんどい部分もある。ただしずーっと大人やっていると無償でいろいろ身を粉にして動いてくれる友人関係を長きに渡って構築するのってなかなか難しい部分もあるのだとは思う。それぞれが家族持ちとなって、様々な利害関係の網の目にがんじがらめになっていればなおさらのこと。とはいえ、隣近所的な共同体とかが希薄化してしまえば、人間の関係とかっていうのはそういう部分に期待する以外にはないのではとも思う。
でもね、本当は国家とか社会の在り方というのは、なんでもかんでも自助努力じゃないのではとも思う。ある意味、困った時の公的保護なり保障なんだよ。北欧とかじゃないけど、病気になった時、老いた時に確実に国なり社会なりが面倒みてくれるのなら、年収の8割税金にもっていかれてもいいようにも思う。消費税が30%くらいになってもかまわないと思うよ。病も老いもまったくのところ不平等な社会。平等なのは死ぬことだけっていう社会の有り様はやっぱり変だと思うのだが。