妻の生理

このことについて書くことには躊躇いがある。元来、こうして公開日記のような形で自分の苦労なり妻の病状を書き綴ること自体にどことなく露悪趣味みたいな気分を感じる部分だって無きにしも非ずなのだから。日記は本来私的なものだとは思う。個人的な記録、つれづれの思いを記すということは、ある意味けっして誰かに読まれることを前提にしていない。それをわざわざ公開することの露悪性。障害を持った妻の人格についての配慮はどうなるのかとか、けっして置き去りにしてきたつもりはない。
それでもこうやって書き綴っていくのはなぜか。一つにはハテナのブログ風のダイアリーが極めて簡便で使い勝手がいいというソフトウェア上のこともある。そしてこういう形でもなければ自分の性格上日記など多分続いていかないだろうということ。そして今置かれている自分の状況、妻が突然倒れて障害者となったという事実を、とにかく客観、主観を含めて記録しておこうという思いだ。この事実と向き合うためにも記録をとどめておくことは絶対に重要なことだと思う。
それなら非公開で綴っていけばいいではないかと思うこともある。その通りだ。でもどこかで妻の状況や突然介護する立場になった私の記録は、同じような境遇にある人、もしくはこれからそうなるかもしれないどこかの誰かにとって参考になることもあるかもしれないのではとも思う。それも公開日記として記述する一つの動機でもある。
かって私に文章のごく初歩の手ほどき、あるいは綴り方を教えてくれた恩師が私に語ったことだが、それは、文章はすべからく誰かに読まれることを前提にして書かなくては駄目だというものだ。誰かの目に触れることを前提にすることで、自分の思いを伝えるために必要な記述ができるようになるということだった。自分の思い込みのままに人には理解不能な文章を書いていては駄目だということ。
そういう意味では、ハテナのブログ風ダイアリーはツールとしても、ソフトウェアとしても綴り方の練習としては得がたいものがあるのではと思っている。だから書く、とにかく書き続けていこうとも思う。
前置きが長くなったけど、妻がこういう状況になってからというもの、介護する立場としては避けて通ることのできないものをいくつも体験させられてきたように思う。そしてとりあえず克服というか、まあクリアしてきたつもりではいる。妻のしもの世話もその一つだ。妻は車椅子でトイレに連れていけば、車椅子から便座に移ることが可能になった。手摺に体をもたれてズボンやパンツを下げることもできるようになった。小水であればトイレット・ペーパーでふくことも出来るし、不完全ながらパンツやズボンを履くのもどうにかできるようになりつつある。大便となるとお尻を拭くのはまだまだ不完全だ。
私にも最初は躊躇いがあったが、ごく初期には妻が小水を終えた後拭いたりもした。大便についてもちゃんとお尻を拭いてあげる。娘が2〜3歳の時には大便の後のお尻ふきをいつもしてあげていた。だから思ったほど違和感なくやれた。子育ては将来の介護の訓練になるんだよなとつくづく思ったものだった。
最初、大便の介助については、ちょっとな〜とも思い、それを妻の前で口にしたこともあったけれど、妻は「お父さんにやってもらえなかったら、私どうしたらいいの」とポツリともらした。障害の影響で羞恥心がなくなっている部分もあるのだろうが、一方ではとにかく障害を持つ身となっては、配偶者に全面的に依存せざるを得ないわけで、ストレートに思いを吐露したのだろうとも思う。妻の私に対する依存心は、夫である私への信頼感と表裏一体だ。その信頼だけは裏切るわけにはいかない。夫として、いやそれ以前に人としてという思いだ。しもの世話だから介助する側にもされる側にも大いなる躊躇いがある。でもこれは避けてとおれないことなのだ。
そして、そして生理のことについてだ。妻は脳梗塞で倒れて以来、ずっと生理がなかった。梗塞巣の影響で生理を司る脳神経もやられている可能性もあったのかもしれない。脳梗塞の患者は生理がとまるというのを何かの本で読んだ記憶もある。このまま更年期に突入かもしれないとも思ったものだ。妻も「そうかもね」とポツリと言ったのを覚えている。生理が終わるというのは女性にとっては、ある意味生物学的な意味での<女性>性の終焉でもあるわけだ。いろいろな意味での衝撃、カタルシスがあるのだとも思う。
先週、妻を見舞うと、彼女がポツリと「生理がはじまったの」と話してくれた。それだけ回復してきたということなんだろうなと私は答えた。実際そのとおりだと思う。そしてすぐに生理用品が必要になるのだろうと思い妻にそのことを話した。一瞬脳裏を過ぎったのはドラッグ・ストアで生理用品を買っている自分の姿だった。妻が病気になって以来、例えば妻の下着類とかを買うとかも最初はすごい抵抗があった。レジでわざわざ店員に妻が入院しているんでなんて、聞かれもしないのに説明している自分がいた。さすがに最近はけっこう普通に妻のショーツとかも買えるようになった。でも、さすがに生理用品となるとかなり抵抗があるなとも感じた。
妻は担当看護師の提案で、とりあえず今は尿取りパットとトレーニング・パンツを使っているという。今はあまり使っていない尿取りパットが山のように残っているので代用になるという。いわれてみれば尿取りパットは生理用品とほとんど形状が一緒なわけだ。といっても実は生理用品などきちんと広げてみたこともないから推測の域を出ない。正直男性にとって、このへんの知識は皆無だと思う。せいぜいテレビのCMくらいで想像するだけだ。
思えば学生時代に、仲間と一緒に試供品で誰かが手にいれたタンポンに水を含ませてその吸水のすごさに感動した前科があるくらいオバカなしょうもない男の一人だ。だから女性の生理に関しての知識などないに等しい。
それからの何日かのトイレ介助はけっこうしんどかったな。小水の後、汚れた尿取りパットを替えること。出血で赤く染まったトイレの中を出きるだけ見ないようにしてトイレを流すこと、などなど。でも、これもなんとかクリアしたとは思っている。元来、男は出血に弱く、女は強いとはよく言われる。なぜかというと女性は毎月出血があるから慣れているという言説だね。これはけっこう当たっているとも思う。実際、私も出血とかに極端に弱い。でも、多分慣れた、あるいは慣れると思う。主介護者である以上避けてとおれるわけでもないのだから。
妻が病に倒れ障害者になった以上、これは避けてとおれないことなんだと思う。たぶん私と同じ立場になった世の男性は、あるいは障害をもった年頃の娘さんを持った親御さんは、これらを普通に行っているのだろう。家族に障害者がいる生活というのはこういうことなんだということ。苦手だからといって避けてやり過ごすわけにはいかない。多分、介助する側より、介助される側のほうがよっぽど辛いのだろうから。