介護保険面談

今日は3時半から介護認定調査の面談を受けた。ふじみ野で判定された要介護3をそのまま引き継いでいたので、鶴ヶ島に越してきて初めて判定を受けることになる。ふじみ野で受けていたほどのサービスを受けていないので、1ランクくらい下がってもなんとかなるかなとは思うが、先々のことを考えると現状を維持したいとも思う。
それ以前にここ鶴ヶ島ではサービスの選択肢が限られてしまうのがつらい。
妻のようにリハビリ中心のサービス、デイサービスではなくデイケアを受けたくてもそういう施設がほとんどない。今いっている施設にしても、ようやく空きができて週2回通うことができるようになったのだが、かなり待たされた。だいたいにおいて最初に希望してから二ヶ月くらい待たされてようやく週1回、それから数ヶ月してやっと週2回となった。それも入浴の際にできるだけ自分のことは自分で行うという付帯条件つきだったりもした。なかなか空きができない一番の理由は、送迎のコースの問題なんだとか。
妻のように若い障害者からすると、こうした施設はほとんどがお年寄りばかりだから、あまり気に入ってはいないようだ。しかし介助する家族としては、やっぱり風呂入ってきてもらうのが本当に有難いのである。
さて今回の調査なのだが、30代後半から40代くらいの女性調査員で、基本的には誠実そうな方でした。一応いつも聞くことなのだが、市の職員なのか市から委託された業者さんなのかどうかというと、職員なのだとか。今回で認定調査自体は3〜4回行っているから、いつも同じ対応をする。妻の状態としては一応伝い歩きや短い距離では杖歩行も行っていること。医者からは危険だといわれているけれど、一応階段の昇降も一人で行っていることなども正直に伝える。とはいえ、もともと左上肢、下肢機能全廃で一種一級の障害者であること、注意障害などの高次脳機能障害があることなどもきちんと話しておく。そして高次脳機能障害が実は医学的には認知症と同義でもあり、いずれも医学的には痴呆症に収斂されることを国リハで医師から教えていただいたことなども説明した。
調査員はある意味ベテランである。介護保険を利用しようとする人々は概ね不幸なわけなので、表面的には同情的かつ誠意溢れる対応をしてくれる。まあ職業である、毎日、毎日、人の不幸に接しているわけなので、このへんは職業的な誠意的対応なのかもしれないなとも思う。調査及び聞き取りをしながらも、言質ミスがないようにしているのだろうなとも感じた。もっともこちらも最初にテーブルにノートをおき、ボイスレコーダーも用意しているのだから、けっこうひいた部分もあるのだろうなとも思った。こちらとしては別に他意はなし、単なる記録用で、ある種の習慣になっているからだけなんだけど。
まあ印象としては、たぶん、おそらく介護度はワンランク下がるのだろうなと思っている。財政的な問題もある。以前に比べて支出を制限しようという行政上の要請も
あるだろう。そのうえで、現在の介護度の目安はおおよそ身体状態に限っていえば、以下のようなところにあるらしい。

要支援1、2・・・つえをついて歩ける
要介護1・2・・・伝い歩き、または介助あり
要介護3・・・・・移動の際は車いす
要介護4・5・・・移動の際は介助者により車いすに移乗

妻の場合、年齢的な部分や、見た目の普通さとかの印象を加味すれば、要支援というランクになる可能性もあるのかもしれない。伝い歩き、杖での短い歩行と車椅子の併用、これをどう評価するかということになるのだろう。
でも、正直にいえば、これまでもずっと述べてきているところではあるのだが、身体障害者と介護を必要とする高齢者とを一緒にするのは、やはり筋が違うだろうという思いがある。それを財政的な理由から、40代以上一律的に徴収する保険により福祉を賄っていくというところから生まれたものなのである。さらにいえば身障者の受けるサービスも、応能負担から応益負担に、あるいは受益者負担の原則の導入という形で、サービス受けるには負担=料金が必要だという方向に流れつつあるということなのだろうということだ。
社会が弱者を支える福祉の原点が財政上の問題から失われていくという思いがする。近代的な市民社会の根底にあった共同原理が、自己負担、自己責任の孤立した個人主義社会に移行していったとか、まあそういうことなのかもしれない。
いつか老いて、家族だけでなく誰かの助けが必要な状況に陥る。あるいは妻のようにいつ偶発的な形で障害者になるということもある。そういう時のために、とにかくせっせと小金を蓄えておく、そうしなければ相当にしんどい状況になるということ、もはや他者のことや社会のことなどどうでもいいから、とにかく自分と自分の家族のためにせっせと蓄え、準備を怠らないようにしなくちゃ。そういう社会が現出しちゃったってことなんだろうかね。