再転院

 国際医療センターから国立身体障害者リハビリテーション・センター病院(国リハ)に再転院した。ずっと雨だったので、病人の移送としては最悪の日取りにはなってしまった。
 例によって移動の間、妻の相手をさせるために子どもを学校休ませてつきあわせる。妻のことで子どもを休ませるのはもう何回目になるのだろう。6時に起床、すぐに娘を起こし二人して前々日作ったカレーで速攻朝食。前夜遅くまで持って行く衣類やら紙オムツやらをすべて整理してあったので、7時には家を出た。
 所沢で高速入るまでは裏道中心に走ったので快調だったし、所沢から練馬までも順調に流れていた。けれど、目白通りはいつもの渋滞の連続。8時台に病院に入るつもりでいたのだが、結局着いたのは9時を回ってしまった。急ぎ会計で入院費の支払いをすませてから外来の車椅子を押して病棟へ。ナース・ステーションで看護師にサマリーや薬などをもらい病室で最後の支度を終えたのが9時半過ぎ。医師に頼んでいた保険会社用の診断書と貸し出しを依頼したCT写真は例によって用意ができていなかった。看護師にそれを言うと確認をしますからお待ちくださいとのこと。15分以上待たされたかな、結局確認がとれずに後日ということになる。もう一度ここに来なくてはならなくなるということだ。用事が一度に済まないのが医療センター、というのが最初から最後までつきまとうこの病院への感想。
 10時ジャストに7階北病棟の看護師総出の見送りを受けてエレベーターを降りた。いろいろと不具合はあったけど、やっぱりこの病院のスタッフは皆優しく、いい人ばかりという印象は代わらない。そして技術的にも優れたスタッフばかりだとも思う。問題はやっぱり組織やシステムの問題なんだろうな。
 所沢への道程は目白通りも下りのため順調に流れていた。それでも結局は11時過ぎに病院着。11時までに入るという約束だったので事前に一度電話連絡をしたりもした。受付事務もスムーズですぐに病棟へ。見知った看護師たちが口々に「お帰りなさい」と声をかけてくれる。すぐに担当看護師がやってきてこんど入る病室へ案内をしてくれた。そういえば、来る道中、車の中で妻から聞いたのだが、この担当看護師は一度医療センターに妻を見舞ってくれたという。この人の熱心さには敬服するな。なかなか出来ることじゃないよ、わざわざ休みの日に転院した受け持ち患者を見舞うなんて。総じて国リハの看護師は勤勉だとは思う。日勤なのに夜8時近くまで残っているという光景を始終目にする。贔屓目もあるとは思うが、その中でも妻の担当をしてくれている看護師は、仕事もてきぱきしているし、落ち着いているし、仕事熱心なきれるタイプだとは率直に思う。妻はそういう点では恵まれているとは思う。
 そうこうしているうちに病室に主治医も来てくれる。妻にお帰りと声をかけ、私には「しばらくは以前と同じ訓練を行います。3月中旬にお話をしましょう」の一言。きっちりとした治療計画の説明をいただけると思っていたので、いささか拍子抜けしたが、ここは主治医他この病院のスタッフを信頼する以外にはないわけで「わかりました」と答える。
 こうなると3月の中旬に退院の時期等の説明を受けるということになるのだろう。それから受入準備を始める。医療センターへの転院前に手術後に再度入院受入をしてだいたい一ヶ月前後のリハビリを行うという説明があったけれど、3月中旬に退院時期を明示されても受入準備、それこそ介護保険サービスの手続きやら、自宅改修といったことをふまえるとそれを二週間程度で行うのは難しいだろう。かってな推測ではあるけど、妻の退院時期を4月10日前後と踏む。それにしてもこれからケア・マネージャーの選任、ケア・プランの作成、自宅での妻の療養生活のために必要な装具やらベッドやらの購入や借り入れ手続き、さらにいえば自宅の改修などに向けて、本当にさまざまな準備作業が必要になる。もちろん仕事をしながら。ここに労災申請のための準備やら資料作成、たぶん必要になってくる健保からの傷病手当申請手続き、あっと3月中に確定申告とかもしなければならないんじゃないのか。
 これって本当に一人でこなせることなんだろうか。頭抱えて蹲こまりたくなる。でも、どれ一つとっても待ったなしということ。going on going on・・・・・。

 たぶん今日でこの日記のような、日誌のようなものを綴るのは200日くらいになるのかな。長い人生でこれほど続いたのは初めてのことだよ。とりあえずテクノジー万歳。