妻の状況(2/26)

 1日雨。1時頃家を出て病院に向かう。妻はベッドで寝ている。昨日、一昨日の二日間で抜糸が終わったということで、妻の頭には包帯が巻かれていない。その分、手術跡がけっこう生々しい。耳のあたりからかなり広範囲に切開したことがわかる。
 私と娘が着いてすぐに妻はトイレに行きたいというので、車椅子に乗せる。その後は、地下の食堂で私と娘の食事に付き合わせる。
 テープ起こしをした妻の会社とのやりとりの原稿をみせて間違いがないかどうかチェックさせる。以前は、文章を一定の時間読むことなどできなかったのに、10数ページのPDF原稿を読み通すことができるようになっている。これも回復の証拠だとは思った。私が聴き取りをした妻の業務内容については、ほとんど間違い等はないようだった。もっと仕事の流れの詳細を知りたいと幾つか質問したのだが、妻はもう細かいことを忘れてしまったと言う。あまり一気にいろいろ聞いてもとも思い今回はこれで打ち切り。またどこかで時間を見つけて仕事に関する聴き取りをすることにしようと思った。とにかく労災を視野にいれるとなると、出きるだけ業務内容の詳細を描き出さなくてはならない。それには現在のところでは、材料が不足だ。
 仕事の話の後は、所沢の国リハに戻ってからのリハビリの話を少しした。そしてまた彼女に退院後、家に戻ってきたら何をしたいのかについて、よく考えて欲しいといった。私自身の希望も伝えた。妻として、また母親としての何らかの役割を果たせるようになって欲しいと。私の言葉を聞いているうちに妻は泣き出しそうになった。妻の心情からすれば、こんな体になっていったい何ができるの、ということだったんだろうと思う。
 私は彼女に泣くなと言った。なにも無理をいっているわけではない。君に出来ることを一緒に見つけたいのだからと話した。そしてうんと高い目標や希望、願望、そのために段階をふんでいくことが必要だから、何でも君がしたいこと、やりたいこと、こんな風になりたいということを考えてもらいたいと話した。
 妻はしばらくしてから、おずおずとこんな風に言った。
「杖をついて歩きたい、スタスタと・・・・・」
「一人で外出ができるようになりたい・・・・」
「外出ってどんなところへ。遠く、それとも近所」
「近所でいいの、家の周りとかでもいいから」
 じゃあ、それが出来るようになるためのリハビリ訓練をすればいいのだと私は言った。その後、私は家族の希望として家の中でつかまり立ちやつたい歩きで一人でトイレにいけるようになって欲しいこと、一人で着替えとかができるようになって欲しいことを伝えた。それが完全片麻痺の彼女にとってはどんなに難しいことかは十分承知している。でも、彼女が家族として、妻として、娘の母親として暮らしていくためには、それを目標にして頑張ってもらいたいというのが私の願望でもあるのだ。
 その後は退院後はヘルパーにきてもらったり、通所サービスへ行ったりといった介護サービスの計画のことを話した。
 4時過ぎに病室に戻り、妻はベッドに横になる。少し話しをしてから私は娘を残して病室を出て近くの百円ショプに買い物にいったり、1Fロビーで少しだけ仮眠をとったりした。娘は妻の傍らで折り紙を折っていた。
 妻の食事が終わった後は、食器を洗い、再度トイレ介助をしたりしてから8時前に病院を出た。買い置きしてあった紙オムツや尿取りパッドを数枚残して持ち帰った。国際医療センターでの妻の入院生活も残すところあと3日となったわけだ。とにかく日数がものすごい速さで過ぎていく。