雪害と高齢者

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060116-00000090-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060116-00000014-yom-soci
 今シーズンは日本海側を中心に大雪が続いている。妻の実家、長野でも半端じゃなく積もっているようで、年末に立ち寄った時も屋根に積もった雪は半端じゃなかった。この大雪による犠牲者はすでに100人にのぼるという。しかもその大半が高齢者だ。屋根に積もった雪をおろす作業中に転落して死亡するケースや雪に埋もれて死亡するケースが多いという。
 さらに福島では保育園で園児が落雪により幼児までが死亡するという事故もおきているという。痛ましいことだ。
 過疎化により高齢者ばかりとなった村落を雪害が直撃している。天変地異の被害がたいていの場合、まず社会的弱者を直撃する。高齢者、子ども、貧困層などなど。朝日の夕刊の記事にあったが地方村落では70代〜80代のお年寄りばかりで、若い人たちといっても40代〜50代ばかりという。そうした人々の生活が今度の大雪で大きな被害を受けているという。
 なっていっていいのだろう、やっぱり社会の矛盾の象徴しているのだろうか。今流行りの自己責任という言葉でくくってしまえば、備えを怠ったということなのだろうか。いや、自己責任社会は、社会的弱者を切り捨てることでしか成立しないということが今回の雪害でも証明されているのではないかとも思うのだが、どうだろう。
 確かに金さえあれば、高齢者であっても弱者ではないと強弁できそうだ。裕福な高齢者は雪害被害にあっても多分に金の力で切り抜けることが可能だ。雪害に負けない家を建てる。雪下ろしも金の力で人を雇うことも可能。それでは金のない高齢者は。今雪害で深刻な状況にある地方の高齢者は自助努力ではどうにもならないところにある。いずれ三人に一人が60代という高齢化社会が現前となっていく。その時に社会的な互助もなく、公的な支援もないままに自然の脅威(地震であれ、台風であれ、今回のような雪害であれ)に晒されることになるのが当たり前としてとうるのかどうか。
 今度の雪害被害を今後の高齢化社会との位置づけできちんと考えていく必要性があるとつくづく思っている。自己責任とか自助努力とかで軽々しく片付けてはいけない問題があるのではないかということが。
 それにしても今度の雪害を前にして、もっとボランティア活動とかが盛んになっても良いのではないかとも思う。阪神大震災の時に自然発生的に盛り上がったあのボランティ活動のようなものが。社会的互助の共有化、そういうものが必要なんだと思う。