新年早々怒ってしまった

 明けましておめでとう、今年もよろしくお願いします的にすがすがしくしたかったのだけれど、新年早々妻を叱りとばしてしまった。
 明け方近くまでひたすら壊れVAIOと格闘しつつ年賀状の印刷とかしてたのに朝っぱらから妻の電話攻撃にさらされてしまった。後で留守電チェックしたら7時頃から連続して電話かけてきたみたいだ、たぶん10回以上。8時頃に最初に娘が出たので、「早めに行くから」と伝えてと言ったのだけれどまたすぐに電話かけてくる。結局電話にしぶしぶ出たのだけど、寝不足でうんざりしてたんだろうな、けっこう強い口調で言ってしまった。
「緊急の用がないなら、もう電話かけてこなくてもいいよ、テレカも取り上げるよ」
 彼女は電話口でしょんぼりして言い訳を言う。
「昨日買ってもらったイヤホンが車椅子に巻きついて切れちゃったの、だから買ってきて欲しかったから」
 それでさらに怒ってしまい、どうして買ったばかりのものを壊したのか、原因とかをメモ帳に書いておくように言い伝えて、本当にたたきつけんばかりに受話器を切った。そう昨日だったか、一昨日だったか彼女に文庫判サイズの小さなノートを渡して、その日にあったこととかを毎日メモしてごらんと渡した。高次脳機能障害と付き合うには、メモを取ること、記録をとることみたいな対処例をどこかで読んでいた。病気のせいでいろんなことを忘れる。それをメモをとることで記憶を喚起させることや短い文章でも書き続けることで集中力を持続させることにつながるという。ある種のリハビリ効果を願って渡してあったのだ。
 妻の電話魔ぶりは明らかに障害の影響だ。ここんところでは、職場にも携帯に頻繁に電話かけてくる。最近では朝礼中にかかってきてとても困ったこともあった。だからテレカを取り上げるというのは、どこかで本音ぽく思ってはいた。看護師からも頻繁に電話していること、特に長野の実家に毎日電話しているのでテレカの消費も早いという話も聞いていた。だから彼女の電話もどこかで規制しなくてはとも考えていた。
 しかし、それにしても新年早々怒ったのはあまりにも大人気ない。病気の彼女に対する優しさ、配慮とかが足りなかったなとも思った。彼女にしてみれば、人恋しさもあるだろうし、新年の挨拶を一番大切に考えている家族に伝えたかったんだろう。そんなことを思うと、いじらしくもあり反省しきりというところもある。でも、それでもやっぱり眠いものは眠い。それでなくても仕事、家事、妻への面会、様々な事務手続きなどに追われ、ずっと睡眠不足の日々が続いている。休みに入っても面会、とんぼ返りの長野行など、そこそこタイトな生活だから、ぜんぜん自分の時間がない。睡眠すらまともにとれていないんだから。なんか本当にこのままいくと介護倒れにみたいなことにすらなりそうな予感さえある。難しいところだ。
 結局そのまま起きてしまい、娘のために正月らしく雑煮を作った。お手軽な本ツユ使った鶏肉とキノコ類をたっぷり入れた醤油味の雑煮。薄味でけんちん汁みたいな風でけっこううまくできた。後は蒲鉾だのを前日のうちに皿に盛っておいたのを出して、なんとなく正月らしくしてみた。ここ何年も正月は長野で迎えていたから家での正月は久しぶり。いくら男手だけとはいえ、最低限の正月気分は味合わせたいというのが親心でもあるわけだ。
 ついでに妻に食べさせるため、紅白の蒲鉾、伊達巻、栗きんとん、豆きんとん、黒豆など、とりあえず買っておいた最低限のおせち料理をパックに少しづつつめた。妻は太りすぎを指摘されているため減塩の治療食を食べている。大好きなケーキ類など甘み系も与えることは禁止されているのだが、今日は外出を予定しているから車の中で少しづつでも食べさせようかと思っていた。本人が気に入るかどうかはわからないけど。
 外出時間の1時前に病院に着くと、妻はけっこうけろりとしている。もっとしょんぼりしているかなとも思ったのだが、このへんは病気のなせる業だ。
「今日はいつもより早いね」
 行ったばかりというのに、念のためとトイレにいかせてから、外出用に厚着させて病室を出た。本人の希望で車に乗りたいというので、なんとか彼女を車に押し込み出発。前回同様、自宅が見たいというのでふじみ野に向かった。家の前に車を停めたけれど、妻は家に入れないからもういいと言う。それで100メートルくらい先の畑の前にまた車を停めた。娘は一輪車がしたいというので道路に面した彼女の通う小学校のグランドに行かせた。それから娘の一輪車をするのを見ながら妻に持参したおせち料理を食べさせた。注意して食べさせたのでほとんど食べこぼしなく蒲鉾を数切れと栗きんとんなどを食べた。
 自宅近くの小学校のグランドに面した路上で、車中でのおせち料理は限りなく侘しく、寂しい。でもとにもかくにもこうして三人で正月を迎えることができたこと、重度の脳梗塞に見舞われ、その後の脳浮腫によって右側の頭蓋骨を切除さえした妻が、車中とはいえ自分で箸を使って蒲鉾や伊達巻などを口に運んでいることは、とてつもなく僥倖なんだとも思う。ありがたく思わなくてはならないのだろうな。
 今はまだ彼女の回復期の底の部分だと心底思いたい。これから右肩あがりで快方に向かって行く。まったく動かない足はたとえつっぱった状態でも少しだけでも動くようになる。より複雑な動きが要求される手にはあまり期待できないとはいえ、それでもまったくの廃用手ではなく補助手として動きを回復する。様々な情動障害、注意力障害、記憶障害、遂行性障害も少しずつ良くなっていくと信じたい。車の後部座席に彼女と一緒に座りながらそんなことを思っていた。道路の向こうでは一輪車に乗った娘がニコニコしながらこちらに手を振っている。