妻の状況(1/15)

 1時過ぎに国リハへ。1時から4時半までの外出届けを出しているので、前日同様車でドライブ。昨日とうって変わったようなおだやかな陽気だったので、どこかの公園での散歩も考えたが、妻は車での移動がいいという。それで狭山まで県道を走り16号に出て川越の手前で県道8号に入りふじみ野まで行く。それから三芳のあたりを走り、航空公園に戻った。約2時間くらいずっと車で過ごしたが、妻は以前のようにうつらうつらすることもなく車窓を通しての景色を眺めたりしていた。
 3時半過ぎに航空公園周辺のガストに入って私と娘は遅い昼食をとり、妻はチーズケーキをとりココアを飲んだ。チーズケーキは三分の二程度食べ、ココアは二杯飲んだ。以前に比べて食が細くなったというか、食べ物への執着が少なくなっているようだ。あんまり食べたいという気がおきなくなったと本人も口にする。それが病院食のせいなのか、あるいは脳への損傷による趣向の変化なのかはわからない。あれほどケーキ好きだったのに、今では最初はケーキ食べたいと口にしても、実際にケーキを目の前にし、実際に口にするともう関心が薄れてくるようなそぶりが感じられる。
 発症して二週間くらいした頃だろうか、ようやく病院食も固形のものが中心になりだした頃は、やれケーキが食べたい、果物が食べたい、カレーが、すき焼きが、お肉がと食べ物のことばかり言っていたのだが、国リハに来てからだんだんとそういうことが少なくなってきた。この病院では、基本的に差し入れが禁止されていることや、減塩の病院食を食べていることの影響なのかもしれない。
 それと多分これがその理由の第一なのかもしれないが、だんだんと彼女なりに自分の病状を認識できるようになったこと、退院しても大きな障害が残ることがわかってしまったことが大きいのだろうと思う。食べることへの欲求はそのまま生きることへの欲求でもある。でも大きな障害の現実が、様々な意味での意欲の減退につながっているのではないかということだ。
 見守り支えていくべき家族の立場としては、なんとか彼女を励まして、生きる意欲を見いださせていかなくてはならないのだろう。そして意欲をうまくリハビリに転化させていくようにしていかなくてはならないのだが・・・。難しいな〜。
 前回も引用したが、冨澤清一氏の『さらば、脳梗塞後遺症』の中で冨澤氏は自身を奮起させる意味でリハビリの標語を作ったという。

 リハビリテーションとは、
あ)焦らず、慌てず、諦めず
い)入れ込み過ぎず、意気がらず
う)動かし続け
え)エキスパートに会えて楽になるときが来ると信じて
お)惜しみなく時間を掛けて、励むもの

 また、リハビリの意義をこうも説いている。

 脳卒中によって障害を受けた脳細胞は二度と回復することはない。だから損傷を受けた脳細胞が司っていた機能、例えば右脳に障害を起こした結果、左手の指の機能麻痺を起こした場合には、その機能を司る脳(や脊髄)の神経細胞は修復されることはない。だから左手の指はもう動くことはない、と諦めて左手の指に頼らない生活術を体得しなさいと説明した時代から、今や神経科学の進歩で、そのような場合でも残っている神経細胞が失われた神経細胞の機能を引き継ぎ、新しい神経回路のネットワークを創ることで機能回復に役立っていることが分かってきました(ボバース記念病院案内書に記されている「神経リハビリテーション研究所の目的」)。ですからリハビリテーションの方法が変わっても不思議ではありません。リハビリテーションが若い分野である一つの証はリハビリテーション用語の多くは英語そのままをカタカナ表記している例が多いのです。

 こうした言葉を、リハビリの意義を信じて、それを妻に納得させていくことが大切なのだろうと思う。生きる意欲をそのままリハビリへの意欲に結び付けていくこと・・・・。難しいことだけれども。