妻の状況(12/23)

 天皇誕生日で休日。そういえば、もう10年近く会っていない兄の誕生日でもある。元気でいてくれればいいが。
 三連休の初日なのだが、朝から妻の電話で起こされる。
「今日は早くに来てくれるよね」
「家の用事がいろいろあるから、出来るだけ早くに行くよ」
「じゃあ、12時頃ね」
「う〜ん、もう少し後になるかも」
「首を長くして待っているから」
 休みの日は、毎回この電話で朝がはじまる感じになりつつある。妻は寂しさもあるだろうし、いくぶんか障害の影響で家族への依存心が増している部分もあるのだろう。でも、こっちの事情などおかまいなしだな。ゆっくり朝寝がしたい。
 娘に朝飯食べさせなくてはと、冷蔵庫の中をがさごそ。残り物をあさって、冷凍させている残ったご飯、豚肉、エビと玉葱、一週間くらい前に買った舞茸使ってチャーハンを作る。けっこううまい。
 その後、娘は進研ゼミのお勉強をさせ、こっちは洗濯したり、たたんだりといろいろ家事を集中してこなす。娘はDS効果で、いうこと聞く聞く。いつまで続くことか・・・。
 結局、家を出たのが1時過ぎ。妻はベッドで休憩中だったが、車椅子に乗せていつもの病院内の散歩。食堂で私と娘の昼食につき合わせたり、陸上競技場の方まで行ったりした。
食堂では今日は妻に少しだけチョコサンデーを食べさせる。甘み系大好きだけど、制限しないと体重減らないし、体重減らないとリハビリや今後の生活にも支障がでるだろうから、ここんとこはどんなに彼女が欲してもケーキとかは買ってきていなかったのだが、娘と半々なら少しはいいかとも思って食べさせた。
 散歩の後で病室に戻ると、すぐにトイレというので連れてきていってナースコールをする。看護師に処置してもらうのだが、見るとすでにかなりの量をしていて、尿取りパッドから漏れ出してはいていたジャージや車椅子のシートも濡れていた。看護師からは「もっと早くにトイレ行かなくちゃ駄目ですよ」と注意される。
 ベッドに戻って看護師が妻の紙オムツ、尿取りパッドを交換するのを見る。車椅子からベッドに移させてから衣類を脱がす。横向きにさせ、つけている履かせるタイプの紙オムツを取り、新しい尿取りパッド二枚を重ねて股の部分にあてがい紙オムツをはかせる。
 ベテラン看護師は手際よく行っているが、これがいずれ私の日課になるわけだ。たぶんシーツや衣類を汚したりもあるだろうし、手際よく出来なくていらついたりとかあるんだろうなとも思う。かぶれたりしないように股の部分を拭いたりまめに行わなければならない。こういう介助の現実的側面を目の当たりにし、近い将来課せられる日常となることを思うと暗雲たる思いがする。
 愛情があればなんでもないはずだとか、パートナーがこういうことになったのだから義務でもあるとか、いろいろな物言いもあるだろう。でも、こうした下の世話がある意味ずっと続いていくんだ。愛情とかそうした部分とは別の、仕事として割り切っていくしきゃないんだなとも思う。
 実は15年近く前のことだが、祖母の介護を二年近くやった経験がある。兄と二人の男所帯で寝たきりの祖母と暮らしていた。日中はホームヘルパーに来てもらい、朝、夜は食事を作り、下の世話とかも、もっぱら私がした。寝たきりの祖母の大便を簡易便器に取り、股を拭いてから便をトイレに持って行き流す。毎日、毎日けっこう生活が荒んでいたような気もするな。
 男が女性の下半身のケアとか行うのだ。するほうもされるほうも内心いろんな気持ちがよぎる部分もある。私はある時から、祖母の下半身を祖母の人格と切り離したモノとして考えるようになった。そうでもしなければ続かないと思った。妻の介助を行うとしても多分、同じようなことになるのだろうと思う。
 なんとかこの病院にいる間に妻が身の回りの起居動作やトイレ等について自立してもらいたいと思う。仕事をしながら妻を介助していくことになるのだ。もちろん様々な介護サービスも受けることになるだろうし、小さい娘にもいろいろ手伝ってもらうことになる。それでも出来るだけ妻に自分のことをやってもらわなくてはならない。リハビリがうまくいくこと、彼女のリハビリへのモチベーションがあがるよう手助けをすることを再認識した。そして依存心が増している彼女に、少しは厳しく対応していくことも必要なのかもとも思った。家族だけが支えになっている彼女には酷なことかもしれないし、それがいいことなのかどうかわからないのではあるが。