看病日記が続く

 朝8時にセットされた目覚ましで起きる。かたわらに寝ていた娘を起こしスイミングに行くようにうながす。9時からのクラスなので8:30過ぎに出れば間に合う。先週は9時までアニメみていたから、くれづれもそういうことがないように言いながら、「パパはもう少し寝ます」と二度寝を決め込む。とにかく、連日の会社、子どものお迎え、病院、会社、子どものお迎え、病院で疲れている。
 で、「娘が行って来ます」と出て行くのを夢うつつに聞いていると電話のベルが鳴る。娘はスイミング・スクールに着いたら電話することになっているので、えらく早いなと思い出ててみると、病院から妻がかけてきた。「早くきて」
 多分、車椅子に乗って看護師に押してもらい公衆電話からかけているんだろう。テレカも買い与えてある。電話をかけられるまでになったんだから、とっても喜ばしいことなのだが、とにかく眠かった。出来れば日ごろの寝不足を少しでも解消したかった。
「うん、出来るだけ早くいくよ」
「じゃあ、今すぐ出て」
「娘がスイミングいっているから帰ってきてからだよ」
「11時頃にはこれる」
「う〜ん、買い物とかもあるから午前中は難しい。まあ出来るだけ早くいくよ」
 電話の後もベッドを出ず、ぐずぐずしている。4時近くまで起きていて、やれ脳梗塞のサイトだの労災だの、リハビリ系の病院を探したりしていたから。近在の幾つかのリハビリ科をもつ病院に転院可能かどうかのメールを出したりもした。だからもう少し寝なくちゃ。
 娘は10時半頃に帰ってきたので、ごそごそと起き出して簡単な朝食を作る。納豆卵かけご飯。それから洗濯して二週間以上掃除してなかったので、各部屋に掃除機かける。などなど所謂家事一般をやっていたら12時回っていた。で、娘を促し病院へ出発。途中、ユニクロに寄って妻が車椅子で外に出る時用にはおれる軽めのカーディガンと生々しい丸坊主、手術跡を隠す毛糸の帽子を購入。ついでに自分用と娘用に安いジャケットを購入。気がつけばパンツ以外すべてユニクロ製品身につけている自分を発見する日々だね。
 病院着いたのは結局1時半過ぎ。妻は当然むくれていたが、まあいたし方ない。2時過ぎてから看護師に車椅子に乗せてもらい、病院内、病院外の前庭などを散歩。天気も良く穏やかな午後っていう感じだったので、何度も何度も前庭をぐるぐる車椅子を押して回った。
 妻は例によって順調に回復してきている。ただし顔面の左のマヒが少しづつ進行しているようで、しじゅう涎をたらす。また笑うと口元がゆがむようになった。若い人にはわからないだろうが、かって顔面神経痛になった田中角栄みたいだ。冗談ぽく不敵な笑いとか、ニヒルな笑いとちゃかす。障害を持ってしまった、あるいは持つことになるであろう妻をどこかで受け入れるようになりつつあるんだろうな、そういう冗談が言えるのだから。さらにいえば口元がゆがもうが、ひん曲がろうが、妻が少しずつでも笑うようになったという事実が嬉しいことでもある。妻の心中からすれば、なんで私なのっていうところだろう。44歳で脳梗塞で左半身マヒだ。へたすれば、いやいずれは仕事は失うだろうし、近未来的にも遠い先の話にしろ、けっこう絶望的な状況だ(もちろん家族にとってもだけど)。そんな状態で笑うという感情が湧き出てくるのは難しいだろうとも思いやる。
 実際のところここんとこの彼女の顔はマヒの影響もあるのだろうが、ほとんど能面のような表情のない顔であることが多かった。だからこそゆがもうが、なんであろうが少しずつでも笑いの表情が出るようになったこともまた小さな前進。今後、彼女のリハビリが本格化してくるにつれ、そうした小さな進歩、小さな前進を何度も確認していくことになるのだろう。
 なまじ術後の経過が順調だから、じょじょに看病すぐ側の期待も大きくなってくる。でも、ことリハビリに関していえば飛躍的に運動能力が回復することは、なかなか難しいのだろうとは思う。そう、理性的にはね。でも感情部分では早く良くなってくれ、早く、早く、と気がはやる部分もある。難しいな〜とつくづく思うよ。
 この日は7時過ぎに病院を出て8時半頃には家に帰った。ずっと外食が続いていたので、家で料理作って食べた。娘に何が食べたいかと聞くとすかさず「マ〜ボ」と応えるので麻婆豆腐にする。二人で食べていてふいに思った。そういや妻が倒れた晩に作ったのも麻婆豆腐だったけと。