娘、問題をおこす

 先日のこと、小学2年生の娘がクラスの隣に座っている男の子のシャツをふざけて鋏で切ってしまったという。娘がおずおずと話すので、いつもなら怒ってしまうところをけっこう冷静に、とにかく人のいやがることはしてはいけないこと、まして鋏のような刃物を人に向けて使ってはいけないことを、こんこんと諭した。娘は例によって半べそ状態だったが、とにかくあやしつつ真面目に諭したつもり。しかし、よくよく話を聞いている限りは子ども同士がふざけあっての結果のようだったので、まあたいしたことはないのではないかと思ってもいた。
 で、カミさんが先方のお子さんの家に侘びの電話を入れたところ、なんか日ごろからうちの娘に意地悪をされているとけっこう一方的に責められたうえ、シャツはお気に入りのナイキのシャツだったとのことで、弁償することになった。で、ナイキ・ショップに待ち合わせて買ったシャツに近いものを買うのにつきあうことになったという。うちの子は1年生の時からどちらかというとおとなしいほうで、男の子にいじめられはするが、けっしていじめるような積極性はないので、今ひとつピンとこず、娘に再度問い直しても、喧嘩というかちょっかい出したり、出されたりはあっても、娘が一方的にいじめるということはないようなのだが。
 カミさんの話では実際に会ってみるとそれほどきついお母さんではなく、シャツの弁償についても「本当にいいんですか」みたいな感じだったとのこと。話だけ聞いていると、まあうちは加害者だからしょうがないんだろうけど、子ども同士のことで弁償までするのかな〜とも正直のところ思った。うちが逆の立場だったら、弁償とかいわれてもとりあえず「まあいいですよ」みたいな反応になるのだが、最近はどうもそうではないようだ。
 カミさん曰く、男の人は子どものことでもそんな風に鷹揚に構えて不問に付すみたいな姿勢になるけど、女はもっと即物的になるという。弁償してそれでちゃらみたいな感覚なんだろうかな。それにしてもすぐに弁償、ある意味金銭でかたずけていくということなんだろうか。それはそれできわめてドライな現代的感覚でもあるんだろうけど。
 しかし、今回のことでつくづく思ったことだが、子ども同士のこの手のことについていえば、出来れば加害者より被害者のほうが心情的に楽な部分もあるなということ。最も子どもが女の子だから、これからのこと、やっぱり被害者というのはちょっと勘弁というところもある。まあ、娘はおとなしいほうだから、けっこうそのへんを心配していた部分もあったんだが、それなりにやり返してもいるようなので、かえって安心した部分もあった。でも、刃物は危ないから肝に銘じさせねばとは思う。
 そしてさらに思うこと。これからずっと、子どものこうしたことでいろいろな心配事、それを引き起こすような様々な出来事が起こるんだろうな。いやはや親業の深遠っていうところだろうか。