グルニエの整理

 せっかくの連休で、しかも家から出るなと国から言われているのだから、普段しないことを少しくらいやってもバチは当たらないだろうと思う。なのでずっとずっと気になっていたことに手をつけようかと思い立った。それはというとグルニエの整理である。

 グルニエには基本、電気ストーブや扇風機が仕舞い込まれている。なので季節の変わり目には必ず開けて出すもの仕舞うものを入れ替える。その他では海外や長期の旅行用のスーツケースも入れている。そういう意味では2月の海外旅行の際には出した訳だし、仕舞い込んだばかりである。

 グルニエは子どもの部屋にある。実際的には子どもの部屋と隣の部屋の間にかかっているが、収納された階段とかは子どもの部屋にある。部屋は狭いので階段を出すたびにキャスターのついた棚や鏡、衣装ケースなどを移動させなくてはならない。これをモノの出し入れの際に繰り返している。もっと広い部屋のある家が欲しかった。

 スーツケースや電気ストーブ、扇風機が置かれているのは、グルニエの入り口のあたりである。それより奥はダンボール箱が積み上げられている。その中はある種の伏魔殿だ。さらに奥の方にあるダンボール箱にはなにが入っているか・・・・、わからない。

 この家に引っ越してきてからもう12〜13年になる。引っ越しの時にそのまま持ち込んで、取り敢えずグルニエにぶちこんだまま放置してしまったダンボール箱がどのくらいあるのか。正直よくわからない。いつかは整理しないといけないと思いつつ、10数年の月日が経過してしまった。ここらでやらないと多分、死ぬまでやらないかもしれない。そんな思いをどこかに抱えながらずっとここまで来てしまったのである。

 そこで手前のダンボール箱から一つずつ開けてみる。すると子どもが保育園や学童の頃のお絵かき帳やノート類が沢山でてくる。それを見始めるとまったく捗らなくなる。お絵かき帳はおそらく保育園の年中から年長の頃のものだと思う。小さい頃は本当にお絵かきが大好きで、いつも保育園の隅っこで絵を描いてばかりいた。一人っ子ということもあるんだろうけど、一人遊びで時間を過ごせる子だった。もっともまったく協調性がないということもなく、おともだちと一緒に普通に遊んではいたけど、小さい頃からどちらかといえばインドア派だったかもしれない。なんかいろんなことを思い出してくる。

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 それからカミさんのマタニティノートみたいなものも出てくる。出産した病院でもらったものだと思う。病院から家に戻ってきたときのページとかを開くとちょっとウルウルとしてくる。

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 その他にも子どもが小さい時の衣類とか学用品、絵具セットなどがみんな入っている。こんなものはとても捨てられない。グルニエの中で整理してダンボール箱に詰め直す。まったく仕事がはかどらない。

 グルニエの三分の一くらいはダンボール箱を開けては整理し、捨てるべきものを捨て、段ボール箱二つを一つにするみたいな作業を繰り返した。グルニエの左側には15段の雛人形のセットを仕舞ったケースがある。最後に雛人形を飾ったのはいつ頃だろうかと思った。それから残りの奥の方の箱は。さすがにそこまでは行かないなと思った。記憶的には自分が10代の頃に読んでいた雑誌とかカセットテープとかが仕舞い込まれているはずだ。それらはまた次の機会にと思った。次があればということではあるが。

 それから家族三人分のスキーウェアやインナー、グローブなどが出てくる。昔流行ったキャスターがついた大きばバッグとかに押し込められている。カミさんが病気になってから、ずっと仕舞い込まれていたものだ。前の家にいた時に仕舞い込んだものだから、かれこれ15年近くなっている。自分のウェアなんかもあり、それはその気になればまだ使えるかもしれない。でもちょっとだけ考えてから、全部捨てることにした。全部、半透明のゴミ袋につめ直した。子どものウェアはサイズ的にも着ることはないだろう。そしてカミさんのウェアも。

 もともとスキーが盛んな土地で生まれたカミさんは、スキーが大好きだった。付き合い始めた頃に盛んに誘われて自分もやるようになった。そうやって毎シーズン4〜5回はスキーへ行った。多い年は10数回行っただろうか。自分はボーゲンがやっとパラレルになるかどうかくらいのところまでだった。子どもも3歳くらいからスキーに連れて行った。小学生に上がる頃はボーゲンとはいえ、たいていのところは降りてこれるようになっていた。

 カミさんは家の近所にスキー場があるようなところで育ったので、本当にスキーが上手だった。本人に言わせると兄弟に比べると圧倒的に下手なのだということだったが、自分らからすれば本当に上手だった。ゲレンデでも颯爽としていた。

 そしていきなり病気で倒れて2度とスキーができない体になってしまった。本当にそれっきりだ。病状認識がしっかりできない頃には、早くスキーに行きたいと言っていた。それからしばらくしてソリとかだったら大丈夫かなと言っていたこともあった。そして15年が経った。

 ゴミ袋に入れてグルニエから出した後で、スキーウェアとかを全部捨てることをカミさんや子どもに告げた。子どもはどうでもいいという感じだったが、カミさんは一瞬「え〜っ」と言って残念そうにしてから、「まあいいか」と納得したような様子だった。

 スキーは我が家でカミさんの病気以来ずっと封印されているような感じだったか。カミさんが回復して1年くらいしたときだったか、カミさんの実家に帰省したときに子どもを連れて一度だけスキーに来たことがあった。カミさんもせっかくだし、子どもも可哀想だから連れていってと言っていたんだと記憶している。その時は久々のスキーで、子どもも喜んでいて帰りには「また来ようね」と何度も言っていたのを覚えている。でもスキーはそれきり一度もしていない。我が家ではスキーは封印されてしまった。

 自分はカミさんに付き合って始めたのだし、子どももスキーが大好きということでもなかったのだと思う。何より我が家でスキーが一番好きなのはカミさんだし、それを思うと自分たちでスキーに行くのはなんとなく躊躇われる、そんな面持ちがあった。

 もう自分は歳だし、この先スキーに行くことはないだろう。子どもはこれからそういう機会があるかもしれない。でも、家族でゲレンデに行くことはない。