府中市美術館「江戸絵画お絵かき教室」 (3月16日)

 墓参りの後、府中市美術館「春の江戸絵画まつり 江戸絵画お絵かき教室」に行った。府中市美術館は毎年、「春の江戸絵画まつり」を開催し、なかなか魅力的な企画展を開く。今回はというと「描く」という視点から江戸絵画を楽しむ企画展となっている。これまでの企画展が「美術史」の視点から作品を観るものだったのに対して、今回は「描く」ということに着目し、具体例を使った実際の描き方から、画材、技法の基礎知識などを学ぶことができるようになっている。

春の江戸絵画まつり 江戸絵画お絵かき教室 東京都府中市ホームページ

(閲覧:2023年3月20日

 展示点数は総数で182点にのぼるが、例によって前期展示、後期展示と別れていて、さらに前期展示、後期展示の中でも前期A、前期B、後期A、後期Bと細かく分かれているので、すべての展示作品を観るには4回足を運ぶ必要があるようだ。

展示作品と展示期間

前後期展示作品 17点

前期展示         82点

後期展示            83点

前期  3月11日(土)~4月9日(日)

前期A 3月11日(土)~3月26日(日) 前期B 3月28日(土)~4月9日(日)

後期  4月11日(土)~5月7日(日)

後期A 4月11日(土)~4月23日(日) 後期B 4月25日(火)~5月7日(日)

本展のテーマと構成

 本展は四つのテーマに沿って展開されている。図録に沿っていくと以下のような章立てとなる。

第1章 四大テーマに挑戦

1.動物を描く-蘆雪の雀、応挙の子犬、応挙のうるうる描法、ざっくり描く、『鳥獣略画式』のかわいい

  生き物

2.人を描く

3.景色を描く

4.花を描く

第2章 画材・技法・表具

1.画材-墨、絵具、濃彩と淡彩、紙と絹、筆、金

2.技法-付け立て、にじみ・垂らし込み、筋目描き、裏彩色

3.表具

第3章 江戸時代の画家はどうやって学んだのか

1.中国に学ぶ

2.雪舟に学ぶ

3.粉本に学ぶ、粉本を作る

4.オランダ本に学ぶ

5.応挙に学ぶ

第四章 江戸絵画はヒントの宝庫

1.全部は描かない

2.空を描く

3.自由な水中画

4.国芳に劇画を学ぶ

5.いろいろなヒント

6.お手本はいらない

長沢蘆雪の雀 (図録より)

《雀図扇面》 (長沢蘆雪》 紙、墨、絵具、18世紀後半 個人蔵

この雀はこう描く





応挙の子犬 (図録より)

 この「春の江戸絵画まつり」の目玉というべきは子犬の絵-狗子図だ。特に人気が高いのはやはり円山応挙の狗子図だ。

《狗子図屏風》 (円山応挙) 紙、墨、絵具 1784年 滋賀県琵琶湖文化館

この子犬の描き方は

模写してみたくなる

 蘆雪や応挙の絵は、思わず自分でも実際に描いてみたくなる。各絵の下には、色鉛筆を使用するみたいな実際の画材も例示してある。

 観覧する人もウィークデイらしく中高年の方が多いのだが、その中に混ざって制服姿の中高生もチラホラいる。その中には熱心に絵を模写している学生さんも何人か。多分、高校生の女の子は小さな帳面にいくつも模写している。ちょうど若冲の絵を模写していた。こんな絵だったけど。

寒山拾得図》 伊藤若冲 紙、墨 1793年 秋田市立千秋美術館蔵

鍬形蕙斎の『鳥獣略画式』 (図録より)

 動物のデフォルメ画の教則本である。この絵師は初めて知る名前だけど、この『鳥獣略画式』のユーモラスにして簡潔なデザインにはほとほと感心した。しかもあの葛飾北斎の『北斎漫画』でも参考にされているというから驚きだ。

北尾政美 - Wikipedia (閲覧:2023年3月20日

 

 

 この『鳥獣略画式』は漫画家やイラストレーターにはある種のネタ本として使えるのではないかと思った。いや実はひそかに多くの漫画家がネタ本にしているのではないか。上記のアヒルの略画などはよく見かけるような。例えば〇原〇恵子の鳥のイラストなんかとよく似ているような。この本は今手に入るのかとちょっとググってみると、普通に入手できるようだ。

画材 (図録より)

 第2章の画材・技法・表具についても興味深い。日本画に詳しい鑑賞者には自明なことかもしれないけれど、自分のようなニワカには、画材や技法についての解説も面白く、テキスト部分をけっこう時間かけて読んでいた。ここでは興味深い部分、基本的なことばかりだが、メモとして書き出したり、まとめておく。

墨のいろいろ

松煙墨(しょうえんぼく

赤松の木を燃やして採取した煤で作る墨。煤を膠で練り固め、成形後、乾燥させる。透明感があり、青みがかっているので、青墨(せいぼく)とも呼ばれる。良質な松が減っている現在、貴重。

油煙墨(ゆえんぼく)

菜種油や桐油などの植物油を燃やして採取した煤で作る墨で、現在、主流の墨。松煙墨より煤の龍子が細かく、硯あたりは滑らか。光沢のある赤味がかかった黒になるのが特徴。

具墨(ぐずみ)

墨に胡粉(貝殻から作る白色の顔料)を混ぜて作る。同じグレーでも、墨を水で薄めて作る場合よりも厚みもって表すことができる。

朱墨(しゅずみ)

朱に墨を混ぜて作る。木肌などの茶色を表す際などに用いられる。

画材-紙と絹

画仙紙(がせんし)

中国の書道用紙を日本で模して製紙したもの。江戸時代に中国から輸入された紙(唐紙)の中に、画牋紙の名があったことに由来する。にじみやすく、水墨画などに用いられる。

雁皮紙(がんぴし

ジンチョウゲ科の落葉低木、ガンピを原料とする代表的な和紙。光沢があり、にじまず、虫害が少ないことから、巻子(かんす)の料紙など高級紙に用いられた。

間似合紙(まにあいし)

雁皮紙の一種で、襖紙として用いられた。兵庫県西宮市名塩の名産で、泥が漉き込まれている。緻密で、にじまないのが特徴。名匠は、襖の横幅である半間(3尺、約90㎝)の寸法であることによる。

三椏紙(みつまたし)

ジンチョウゲ科の落葉低木、ミツマタを原料とする代表的な和紙。雁皮紙ほど光沢はないが、同様にきめの細かい絵肌となるのが特徴。書画に用いられる。

楮紙(こうぞし)

クワ科の落葉低木、コウゾを原料とする代表的な和紙。コウゾは、ガンピと比べて栽培が容易で繊維の長さが揃っていて製紙しやすいといった特徴があり、幅広い用途に用いられた。

美濃紙(みのがみ)

楮紙の一種で、同じ楮紙の宇陀紙などと比べて薄いのが特徴。書画のほか、金箔製造の際にも用いられる。

絵絹(えぎぬ)

書画の素地とするために、糸密度が均整で、緻密に織られた平織の絹織物。機械織りの現代とは異なり、江戸時代には様々な種類の絵絹があり、目の粗さもいろいろだった。

技法 

付け立て

例えば木の幹を描くなら、二本の線で輪郭を描き、その間に墨や色を塗るのが普通だろう。それを一筆だけで美しく表すことができるのが、「付け立て」である。筆の穂先の辺りにだけ、農墨や絵具をつけておく。そして、筆を寝かせて線を引けば、一本の線の中に濃淡が生まれ、立体感のある線となる。古くからある技法だが、特に江戸時代中期に円山応挙が多用して、リアルな立体感と美しいグラデーションを一挙に得られる素晴らしい表現手方として確立された。(図録より)

下描きや輪郭線を用いず、筆致のふくらみや勢いを活かして墨や絵具の濃淡で対象を表現する技法。没骨画法の一種。

日本画の表現技法 (閲覧:2023年3月20日

にじみ・たらし込み

日本では、古くから、にじみを絵の表現として利用してきた。墨や絵具を塗ってから、更に水を加えたり、乾かないうちに、濃い色や別の色を塗ったりする。すると、墨や絵具がにじんだり、後から塗った色がぶわぶわっと広がったりする。乾くと、筆で描いても表せないグラデーションとなる。画家たちの中でも、俵屋宗達に始まる琳派の画家たちは、こうした手法を多用した。特に、後から別の絵具を塗って幹の苔などを表す手法は、近代になって「たらし込み」と呼ばれるようになった。(図録より)

画面に絵具や墨を塗り、濡れているうちに他の絵具をそこに垂らし加え、絵具の比重の違いを利用して自然のにじみを得る没骨画法の一つ。

日本画の表現技法 (閲覧:2023年3月20日

筋目描き

伊藤若冲の人気とともに定着した「筋目描き」は、1980年代に美術史学者小林忠氏が考えた言葉だ。「このように新しく言葉を作らなければならないほど、画仙紙を用いての若冲の水墨描法はユニークなものだった」(「伊藤若冲の筋目描」(『日本美術工芸』(540、1983年)。

水を多く含んだ墨を画仙紙のようなにじみやすい紙に塗ると、墨の成分よりも水のほうが広がる。その広がった水の部分に墨を塗っても、墨は水に押しのけられてしまう。その現象は古くから水墨画に見られるが、それに着目していろいろな使い方をしたのが若冲である。(「図録」より)

*筋目描き(すじめがき)
墨の筋(境目の白い筋)をつくる技法
先に水(墨)を含んだ部分は、後から描いた墨と混ざらず、境目に白い筋が残る、紙の性質を活かした技法です。
特に画仙紙は、吸湿性が高く、墨がにじみやすいので、筋目描きに相性が良いです。
伊藤若冲が得意としました。

水墨画の技法 有名な絵師とともに紹介 - つれづれ美術手帖

(閲覧:2023年3月20日

裏彩色(うらざいしき)

絹に描くメリットの一つは、裏側からも色を塗れること。工夫次第で、紙では表せない繊細な調子や複雑な色を表現できる。若冲の《動植綵絵》に使われていることで話題となったが、平安時代以来、仏画肖像画など様々な作品に使われてきた古典的な技法。

表側には何も塗らずに裏彩色だけでみせたり、裏側と表側に塗ることで片側を塗るだけでは表せない色を実現したりと、使い方はいろいろ。(『図録より』)

絹に描く日本画では、表からだけでなく、裏側からも色をつけたり、金箔をはったりする技法があります。
それを、「裏彩色(うらざいしき)」と呼びます。
 裏彩色の3つの特徴
その1 絹の裏から塗った色は、表から塗った色に比べてやわらかく見えます。
その2 裏に白色を塗ると、表の色がはっきりします。その部分が他のところにくら べて目立ちます。
その3 裏と表と別々の色を塗ると立体感や2色がまじった色あいを出すことができます。

東京国立博物館 - 展示・催し物 総合文化展一覧 日本美術(本館) 日本美術のつくり方  (閲覧:2023年3月20日

 

 府中市美術館に入ったのは多分3時頃。閉館の5時まで2時間あるので、企画展を観て、最後に常設展もサラっと流そうと思っていたのだが、企画展の内容が濃く、展示点数、解説テキスト類も多くてじっくり観ていたら、気がつけば閉館5分前くらいになっていた。なので今回は常設展示がまったく観ることができなかった。

 この企画展、前述したように前期展示、後期展示で大幅な展示替えがあり、さらに前期、後期ともに前期A、前期B、後期A、後期Bと細かく分かれている。すべての展示を観るには4回足を運ばなければならない。まあそこまできっちり行くつもりはないけど、内容てんこ盛りな企画展なので、出来れば何度か足を運びたいと思っている。

 鑑賞者の知的好奇心に触れ、技法や支持体の大切とともに、実際に模写してみることを誘うという魅力的な企画展だ。

 ちなみに企画展の図録は、府中市美術館の「春の江戸まつり」の図録がだいたいいつもそうであるように、今回も講談社から出版され市販される書籍となっている。自分は閉店ぎりぎりのショップで購入したが、美術館に行くことができない方でも、普通にAmazonなどで購入可能なようだ。

 

墓参りに行く (3月16日)

 お彼岸も近く、土日も混むだろうと思い、少し早いが墓参りに行った。

 うちはいつも始動が遅く、たいてい午後になってから行くことが多い。圏央道を使えば1時間足らずということもある。3時過ぎにふらっと出かけるみたいな感じだ。

 今回は午前中に家を出た。まあとはいっても11時過ぎくらいだったけど。インターチェンジ近くのホームセンターで花と線香を買ってから高速にはいった。花と線香はうちの墓と親戚の墓の二軒分である。

 父の墓を建てた数年後に、すぐ近くに親戚が墓を建てた。多分偶然だったのだろうけど、そういうこともあるのかと思ったりもした。もっともほとんど交流のない疎遠な親戚ではあった。

 祖母が亡くなった同じ年に兄の姉にあたる人がその墓に入った。偶然といえば偶然、因縁といえば因縁かもしれない。まああまり深くは考えない。交流がないとはいえ、墓参りに行くときは二軒分の花や線香を用意する。先方でも同じことをしているようで、久しぶりに墓参りに行くと、枯れかけた花が供えてあったりしたこともある。

 今回の墓参りは兄が死んだ月の12月に来た時以来だ。うちの墓にも先方の墓にも花もない。まあ普通に考えれば週末か今度のお彼岸の日ということになるか。

 普通なら12時前後に墓に着くはずだったのだが、圏央道八王子ジャンクション辺りで事故があったようで、青梅あたりから断続的に渋滞。ナビの案内のままに一度あきる野で降りて下道を走り、八王子で中央道に入ってまた圏央道にという回り道をした。なので墓に着いたのはなんかんだで1時半近くになった。

 墓は週末からの混雑に対応するためか、墓に続く傾斜道の両サイドにカラーコーンが置いてあり、駐車できないようになっている。この時期は混雑するので、車は下の駐車場に置いて坂道を上っていくか、道路の間の芝生に止めることになっている。

 この時期、休日に行くのを避けるのはこのせいでもある。道路の間の中央の芝生は限られた台数しか置けないし、もしそこに置けなければ下になる。お彼岸の日はそれすら朝早くでないといっぱいになるかもしれない。妻の車椅子のことを考えると、下の駐車場から傾斜道を押していくのもかなりしんどい。多分、それだけで墓参りを断念するかもしれない。

 16日はウィークデイということもあり、あまり混んでいなかったので、墓に割と近い中央の芝生に車を止めることができた。もっともそこからでも車椅子を押して墓まではそこそこ大変。芝生の上を車椅子押すというのもけっこう難儀である。そして一人でいろんなことをしなくてはならない。

 まず妻を墓の前まで連れて行く。それから車に戻って花や線香を持ってくる。次に花を供えるため、近くの水場で桶に水を汲み墓に戻る。さらに水場から少し降りたところにある備え付けの点火器へ行き線香に火をつける。一人で何度も行ったり来たり。まあ今に始まったことではないが、ずっとこういうことをしてきたし、多分これからもそうなんだろう。

 そして二つの墓に花を供え線香をあげる。手を合わせて近況を報告し、家族の健康を見守って欲しいと願う。それから自分のところ墓に水をかけて、彫った文字のあたりを持ってきた歯ブラシを使って汚れをおとしたり。

 滞在時間は小1時間くらいだったか。天気も良く、久々散歩も兼ねて墓巡りでもしようかと思ったが、この公園墓地は山の傾斜地に作られている。妻を連れてだと諸々難儀する。そしてなによりも花粉がきつい時期なので、早々に墓を後にすることにした。

エルヴィス

https://www.netflix.com/jp/title/81591116

 これはNetflixで観た。

 エルヴィス・プレスリーの伝記映画が公開されていることは知っていた。そして今年のアカデミー賞で8部門にノミネートされていたこともニュース等で聞いていた。なのでひょっとしてと思い、アカデミー賞発表の少し前に観た。

 ここ最近、ロックスターの音楽伝記映画が相次いでいる。フレディ・マーキュリーの『ボヘミアン・ラブソディ』、エルトン・ジョン『ロケット・マン』などなど。そうした流れでいよいよキング・オブ・ロックの登場ということなんだろう、エルヴィス・プレスリーである。しかし没後45年にしてか。

 音楽伝記映画というと、古い世代なので最初に思い浮かべるのは『グレンミラー物語』、『ジョルソン物語』、『ベニー・グッドマン物語』、『五つの銅貨』、『愛情物語』といった40~50年代の古いものばかりだ。20世紀後半から今世紀となるとあまり制作されていないかと検索してみるとけっこうあるにはある。

ミュージシャンの伝記映画ベスト30:音楽ファンを夢中にする映像体験(予告編付)

(閲覧:2023年3月15日)

 なんとなく記憶に残っているのは『歌え!ロレッタ愛のために』、『ジャージー・ボーイ』、『ボヘミアン・ラブソディ』くらいか。最近、音楽伝記映画に多いという印象があるのはやはり『ホヘミアン~』の大ヒットの印象が強いからかもしれない。

 そして『エルヴィス』である。まずエルヴィス・プレスリーは自分のようなジイさんでもあまり馴染がない。自分らよりも7~10歳上の団塊世代でも同時代的ではないかもしれない。そもそも世代的にいえば、団塊世代ビートルズストーンズあたり、それよりも下の自分たちの世代はというと、多分同時代的にはイーグルスとかそのへんからなのかもしれない。

 そもそもプレスリーはというとそのブレイクした年は1956年である。そう、実は自分の生まれた年である。試しに1956年のビルボード年間チャートをみてみると、プレスリーの快進撃がわかる。

▽ 1956年シングル・ ソングトップ50 / Hot 50 Songs    
Billboard Top 50 - 1956    
No.(順位).  Title(タイトル)≫  Artist(シンガー)      
01. Heartbreak HotelElvis Presley
02. Don't Be Cruel ≫ Elvis Presley
03. Lisbon Antigua ≫ Nelson Riddle
04. My Prayer ≫ Platters
05. The Wayward Wind ≫ Gogi Grant
07. The Poor People Of Paris ≫ Les Baxter
08. Whatever Will Be Will Be (Que Sera Sera) ≫ Doris Day
08. Hound DogElvis Presley
09. Memories Are Made Of This ≫ Dean Martin
10. Rock And Roll Waltz ≫ Kay Starr
11. Moonglow And Theme From "Picnic" ≫ Morris Stoloff
12. The Great Pretender ≫ Platters
13. I Almost Lost My Mind ≫ Pat Boone
14. I Want You, I Need You, I Love You ≫ Elvis Presley
15. Love Me Tender ≫ Elvis Presley
16. Hot Diggity ≫ Perry Como
17. Canadian Sunset ≫ Eddie Heywood & Hugo Winterhalter
18. Blue Suede Shoes ≫ Carl Perkins
19. The Green Door ≫ Jim Lowe
20. No, Not Much ≫ Four Lads

 1956年-1960年シングルトップ50ランキング; ビルボード年間ヒットチャート

(閲覧:2023年3月15日)

 トップ20の中に5曲も入っている。プレスリーがデビューしてすぐに大ブレイクしたかが判る。でも1956年、生まれたばかりの自分は当然知らないし。5~6歳の頃、ロカビリーのブームの記憶がかすかにあり、そこで日本人歌手がプレスリーをカバーしていたのを朧気に記憶しているくらいだ。

 そしてようやくロックやポップスを聴き始めた頃というと、プレスリーは映画に出てくるアイドル的存在、音楽的にはロカビリー、それらはもう70年代前後にはオールディーズと括られることも多く、なんとなく過去の人みたいな感じだった。

 1970年くらいになると、ヒットチャートにプレスリーは戻ってくる。「バーニング・ラブ」やカバー曲「この胸のときめきに」など。そして映画「エルビス・オン・ステージ」だ。ジャンプ・スーツに身を包み、カンフー・アクションを取り入れたステージ、男くささ満載のもみ上げ、そんなカッコいいエルヴィス・プレスリーがカットを分割したマルチ・スクリーンに映る。

 ロカビリーのスターは貫禄のあるライブとともに70年代のロック小僧たちの前に現れた。でもどこかオールドな雰囲気で、いわゆる大物エンターテナーみたいな存在でもあった。そして1977年、えらく太った姿で唐突に亡くなった。

 なかなか映画にたどりつかないけど、そんなエルヴィスについての諸々はなんとなく見聞きしていた。マネジャーのパーカー大佐のこと、奥さんだったプリシラとは徴兵で西ドイツに駐留していたときに知り合ったことなどなど。復員後は、歌手としてよりもハリウッドの映画スターとして活躍したことなども。まあ我々の世代からしても、エルヴィスはある意味、アメリカの大スターでもあった。

 でも今の若い人にとってはどうだろう。エルヴィス・プレスリー・・・・・・、誰みたいな感じだろうか。これは日本だけでなく、多分アメリカ本国でもそうじゃないだろうか。そういう21世紀、2022年にプレスリーものを持ってくる。ある意味、歴史上の人物をモデルにした伝記映画、そんな感じだろうか。

 プレスリーを演じたオースティン・バトラーはかなり好演していると評価が高い。実際、アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされている。歌うシーンなどもかなり似せているという評価もあるようだ。でも、なんとなくだがプレスリーを知っている自分のような人間からすると、どこか違うような気もする。プレスリーってもっと男くさい、ワイルドな雰囲気があるのだが、バトラーのそれはどこか中性的であったり、病的な雰囲気があったりする。ちょっとプレスリーのイメージじゃない。

 そういう本人とのイメージのズレがあると、なんとなく入っていかないのである。そのへんが個人的にはこの伝記映画はちょっと微妙な評価となる。

 映画はプレスリーのマネージャー、プレスリーを搾取し続けた男として有名なパーカー大佐の視点から描いている。パーカー大佐が狂言回しのようにして語っていく。このパーカー大佐は実際とよく似ている。って、この映画を観終わるまで、パーカー大佐役が名優トム・ハンクスであることに気がつかなかった。メイクで顔から体形まで大きく変わっているとはいえ、本当に気がつかなかった。そもそもトム・ハンクスが出ていることも知らずに、そういう予備知識なしで観たということだ。

 もちろんこのパーカー大佐役はよく演じられていた。トム・ハンクスがアカデミー助演男優賞にノミネートされていたら、キー・ホイ・クワァンの受賞も危うかったかもしれない。なんならトム・ハンクスが主演男優にノミネートでもありかもしれなかった。それくらい良い演技だった。

 映画は基本的にプレスリーの少年時代からデビューし大スターになり、晩年のツアー生活までをトレースしている。だいたい事実に沿っている。そのなかでのプレスリーの音楽、私生活、パーカー大佐との軋轢、父親や取り巻き連中(メンフィス・マフィアと呼ばれた)との関係などもきちんと描かれている。でも、やっぱり主演のオースティン・バトラーへの違和感が最後までつきまとった。

 ある意味、プレスリーは自分のような後から知った世代にもそれなりに大きな存在なのかもしれない。なので彼のイメージは没後46年が経ってもけっこうしっかりと確立している。なのでそのイメージとうまくシンクロするような俳優であったらよかったのだが。とはいえオースティン・バトラー、けっして演技が下手とかいってるのではない。けっこう良い演技というか熱演していたとは思う。でもプレスリーっぽくない。そういうことだ。それは役者というよりも監督の問題でもあるかもしれないし、キャスティングの問題ということになってしまうのかも。

 とはいえ159分の上映時間、ダレることなく観終えたし、そう悪い映画ではなかったと思う。音楽映画という点ではそこそこ評価は出来る。でもプレスリーだからなあ。

 こういう音楽伝記映画、今後も続くのだろうか。個人的には40年代、50年代の大スターであるフランク・シナトラの伝記映画なんていうのも観てみたい。そして同時代のスーパースターということでいえば、やっぱりマイケル・ジャクソンやプリンス、白人ではブルース・スプリングスティーンなんかの伝記映画ができたらと思ったりもする。

エルヴィス・プレスリー - Wikipedia (閲覧:2023年3月15日)

エルヴィス (映画) - Wikipedia (閲覧:2023年3月15日)

映画『エルヴィス』オフィシャルサイト|デジタル先行配信中!10.19ブルーレイ&DVDリリース (閲覧:2023年3月15日)

マスク雑感

 13日からマスクの着用が原則「個人の判断」に委ねられることになった。

マスクの着用について|厚生労働省 (閲覧:2023年3月14日)

 電車やバスなど公共交通機関の利用、医療機関老健施設などでは引き続きマスク着用、あと自分たちのような高齢者も感染予防のためマスク着用ということのようだ。

 リタイアしてかれこれ3年、ほぼコロナの感染拡大と共に暮らしてきたようなもので、マスクはずっと必需品だ。しかし3年である。改めて長いなという実感。最初に国内で感染者が見つかったのは確か2020年の1月のことだ。そして世界的な感染爆発とともに最初の緊急事態宣言が発出されたのが2020年4月6日。その日の東京都の新規感染者数は86人だった。

 当時はまだ仕事をしていた時期だったけど、日々変わるコロナへの対応に四苦八苦していた。物流の仕事だから業務自体止める訳にはいかず、それでも感染予防のために社員を半々で休ませたり、パートは一定期間休ませて休業補償したりとか。感染予防の消毒液もなかなか入手できず、通販とかで原液を買って希釈して各職場に配置とか。

 マスクも当時はなかなか入手できずにいた。たしか50枚入りを3000円くらい出して購入して従業員に配布したなんてこともあった。でも当時の国内新規感染者数はせいぜい数百人程度だったのだけど。

 印象的だったのは、緊急事態発出したあたりで都内で会議があるというので、朝一で電車に乗ると、ふだん混んでいる通勤電車がガラガラだったこと。今では信じられないような光景だった。

 当時の時系列メモとかを見てみると、トム・ハンクス、マドンナ、ジャクソン・ブラウンなどが感染したとか、志村けん岡江久美子ウォレス・ルーニーらが新型コロナで死去したとかそんなことまでメモしている。

新型コロナウイルス時系列メモ(2020年1月~5月14日) - トムジィの日常雑記

 そういえば2020年の2月末、アメリカでも感染拡大の兆しがでてきている時期に、家族三人でアメリカ旅行をした。一週間、ほぼロスとディズニーランドだけの観光旅行だったけど、帰国するとすぐにカルフォルニアはロックダウンしたとかあり、ある意味ギリギリセーフみたいな状況だった。

 当時、旅行代理店の担当からも言われたことだけど、アメリカではマスクをする習慣がないので、マスクをしている東洋人はヘイトにあう可能性もあるとかなんとか。なので飛行機内ではマスクをして、空港に着いたらマスク外してなんてこともあった。

 と、ここまで書いていて、どこか2020年、コロナ回想みたいなことになっている。

 そして3年間、ずっとマスク着用が半ば義務化されていたのだが、これが個人の判断に委ねられることになった。とはいえ新型コロナは実は終わってはいない。試しに去年と今年の同日の感染者を見てみる。

2022年3月14日 国内新規感染者 32471人

2023年3月14日 国内新規感染者 10011人

 まあ三分の一に減ってはいる。でもまだ1万人前後の新規感染者がいる。いまは保健所への報告もかなり緩くなっているから、本当はもっと多くの感染者がいるかもしれない。オミクロン株の弱毒化によって、ある意味では「ただの風邪」的になっているから、みんな5日から一週間休んだら普通に日常生活に戻っている。医者にもかからず、自分で抗原検査キットで自己判断して、風邪薬飲んで熱が下がったらあとは普通にしている。そんな感じだろうか。

 さてとマスク着用についてである。個人の判断というが、確実にいえることはこの3年間のマスク着用で風邪をひかなくなった。記憶をたどってもここ数年、風邪らしい風邪をひいていない。熱も出ないし、咳こむこともない。これは多分間違いなくマスク着用の効能だ。そして今は花粉の真っ盛りの時期である。コロナがあろうがなかろうが、マスクは欠かせない。

 あとはマスクの家庭での備蓄状況だ。新型コロナの感染が始まったときのマスクの品不足、アベノマスクの茶番、ああいうのがトラウマになっているせいか、マスクの供給が潤沢になったときにかなり買い込んだ家庭が多いのではないかと思う。我が家においても、納戸に保管しているマスクの量をちょっとだけ確認してみた。50枚入りの箱が6個くらいあった。ざっと300枚だ。毎日使いすてで使ってもゆうに1年近くはもつ計算である。

 妻は毎日デイサービスに行っているから必ずマスク着用で出かける。でも自分はというと、半分引きこもり生活だ。なのでマスクの使用は週に2~3枚程度じゃないかと思っている。このままマスクの不着用生活に入るとこの備蓄マスクは不良在庫になる可能性もある。まあ普通に考えても、コロナがないという前提でいったら、マスクの備蓄はせいぜい2ケースくらいではないだろうか。6個は多すぎる。それにしてもマスクの保管年数ってどのくらいなんだろう。

 ということで、当方は高齢者ということもあり、さらに我が家のマスク備蓄状況を鑑みて、当分のあいだは個人の判断としてマスク着用を勤行しようと思います。まあ以前に比べて少し緩い運用というか、たとえば散歩とかで人もまばらな遊歩道とかそういうところでは外してもいいかなとは思っているし、今でもそうだけど酒飲みにいったときなどはもう普通に外して飲み食いするとは思うけど。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た

 アカデミー賞7冠を達成した話題の映画『エブリシング・エブリエウェア・オール・アット・ワンス』(『エブエブ』)を昨晩観てきた。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

(閲覧:2023年3月14日)

アカデミー賞7冠

 昨日、Twitterのタイムラインをつらつら眺めていたら、アカデミー賞受賞のニュースが流れてきた。助演男優賞、主演女優賞、監督賞などなど。そしてあれよあれよという間に7冠である。

作品賞:『エブリシング・エブリエウェア・オール・アット・ワンス』

監督賞:ダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート

脚本賞:ダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート

編集賞:ポール・ロジャース

主演女優賞:ミシェル・ヨー

助演男優賞:キー・ホイ・クワァン

助演女優賞ジェイミー・リー・カーティス

 監督のダニエルズことダニエル・クワンダニエル・シャイナートの二人は、あの訳の判らない『スイス・アーミー・メン』を撮った監督らしい。『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフが十得ナイフのように便利な死体となって漂流者と共同生活するという不思議なコメディ映画。いちおう公開当時に観たけどよく判らんかった。この監督チームの一人クワンは香港出身のアジア系。

 アジア系として初めて主演女優賞を取ったミシェル・ヨーは中国系シンガポール出身の女優。ボンド・ガールやカンフー映画などに多数出演してきた現在60歳、長いキャリアを持つ。受賞スピーチで、自分のようなキャリアが一度終わったような俳優にもチャンスはある、みたいなことを語って感動を誘った。

 さらに助演男優賞キー・ホイ・クァンは、あの懐かしい『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』でインディ・ジョーンズの助手をしていた中国系の少年役である。もうあの映画から40年近くの歳月が経っているのである。キー・ホイ・クァンベトナム出身の中国系移民。子役として成功したが、その後は俳優として大成せず、武術指導やスタントなど裏方に回っていたのだとか。

 監督、主演女優、助演男優とアジア系の受賞が続くなど、ハリウッドの多様化の表れともいえるかもしれない。この流れは韓国映画『パラサイト』や中国人女性監督として『ノマドランド』で初めて監督賞を受賞したクロエ・ジャオらの流れが続いているということなのかもしれない。

 そして助演女優賞ジェイミー・リー・カーティスは、自分のような古いファンからすると、往年のスター、トニー・カーティスと美人女優ジャネット・リーの娘として記憶している。彼女をきちんと意識したのは『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988年)だったか。『モンティ・パイソン』のジョン・クリーズマイケル・ペイリンが出演したコメディでその二人を上回る怪演ぶりだったケヴィン・クラインがアカデミー助演男優賞を受賞している。そんな曲者揃いの俳優陣の中で紅一点異彩を放っていたのが、彼女だった。そんな彼女も64歳、長いキャリアの中でようやくオスカーにたどり着いた。

そもそも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』って?

 でもって、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ってどんな映画かと検索したてみると、これがもう訳が判らない。

ウィキペディア

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス - Wikipedia

(閲覧:2023年3月14日)

コインランドリーや家族の問題と、トラブルを抱えるエヴリン。ある日、夫に乗り移った"別の宇宙の夫"から世界の命運を託されてしまう。そして彼女はマルチバースに飛び込み、カンフーの達人の"別の宇宙のエヴリン"の力を得て、マルチバースの脅威ジョブ・トゥパキと戦うこととなるが、その正体は"別の宇宙の娘"だった。

 そもそも今日の朝日新聞の記事を見てもこの映画の紹介はこんな感じである。

エブエブは、コインランドリーの経営に悩む中国系移民エブリンが、カンフーの達人の能力を得て様々な宇宙を飛び回り、悪の手先を退治するアクション・コメディー。奇抜な展開のなかで家族の愛情も描かれる。

躍進、アジア系俳優 アカデミー賞、主演女優・助演男優賞 「エブエブ」作品賞など7冠:朝日新聞デジタル (閲覧:2023年3月14日)

 カンフーもので宇宙を飛び回り・・・・・・、スペース・カンフー・ファイター? なんのこっちゃ。これがヤフー・ニュースあたりだともう少しイメージが湧く。

アメリカで破産寸前のコインランドリーを経営している中国系移民の主人公(ミシェル・ヨー)が、ひょんなことからマルチバース(並行世界)に意識を飛ばすことができるようになり、カンフーマスターをはじめとした“別の宇宙の自分”の力を得て悪と対峙する姿を描いた同作。ハチャメチャなSFアクションコメディーでありながら家族の感動的なドラマでもあり・・・・・・

作品賞は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』!最多7冠でオスカー席巻:第95回アカデミー賞(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

(閲覧:2023年3月14日)

 まあ一番詳しいのは英語版ウィキペディアかもしれない。

Everything Everywhere All at Once - Wikipedia (閲覧:2023年3月14日)

 そしてそもそも「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」ってどんな意味だろうか。

 グーグル先生の翻訳によれば「すべてを一度にどこでも」

 ついでにDeepleの翻訳だと 「いっさいがっさい」

どうもマルチバース(多元宇宙)の話らしい

多元宇宙論(たげんうちゅうろん、英: multiverse)またはマルチバースは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説である。多元宇宙[1]は、理論として可能性のある複数の宇宙の集合である。

多元宇宙論 - Wikipedia (閲覧:2023年3月14日)

マルチバースとは何か?
ユニ(1つ)バースに対し、マルチ(複数)バースとは、観測できない別の宇宙が存在するという概念を示す科学用語だ。マルチバースの存在を提唱する科学理論には、絶え間なく誕生する泡宇宙から、私たちの宇宙とは異なる世界線にある空間領域まで、そのシナリオは多岐にわたる。

マルチバース(多元宇宙)に2つの仮説 ユニ(1つ)バースとの違いは? - 日本経済新聞 (閲覧:2023年3月14日)

 マルチバース(多元宇宙)、ようするに我々が今、存在している世界=宇宙とは別に並行して存在する宇宙があり、そこには今の自分とは異なる自分が、自分たちが生活する社会、国家があるという学説である。そしてより平たくいえば、自分の可能性、かって選んだ分岐での決断、たまたま岐路で選んだ、選ぶことを余技なくされたことによって、別の自分、別の人生といった可能性が別次元で存在していく。それは選択肢によって無限に分裂していく。

 例えば受験に成功した自分、失敗した自分。選んだ、あるいは選ばざるを得なかった就職先とそこからの人生。結婚という選択、選んだ結婚相手と選ばなかった相手との人生などなど。

 それらの分裂した世界が並行して存在していたらどうか。そしてその多元的な世界がもしも交錯したらどうなるのか。

そして実際に「エブエブ」を観た

 ということで実際に「エブエブ」を近所のシネコンで観てみた。我ながらミーハーなジイさんである。しかし歩いて10分ほどの場所にシネコンがあるというのは、ディープ埼玉の田舎町ながら、まあこの一点だけは有難い。ネットで上映時間を調べると最終回が20時25分からという。ちょうどデイから帰ってきた妻に映画を観に行くと話すと「私も」ということになり急遽一緒に行くことに。妻には、多元的世界で中国系女性が活躍するSFカンフー映画とだけ説明したけど、多分まったくイメージわかないようだ。まあ当たり前だ。

 映画の前にまずフードコートで夕食。妻は本格カレー、自分はインド風ヤキソバ、チョーミンで腹ごしらえ。

 そしていよいよ観た「エブエブ」は。

 主人公でコインランドリーを経営する中年婦人エブリンは悩みが多い。コインランドリーの経営はうまくいっていない、今は税金の申告のため集めた領収書と格闘中。駆け落ちして結婚した夫は優しいが優柔不断で頼りにならない。車椅子生活の父親は古い家父長的で存在でその頑迷さはエブリンを悩ませる。そしてもう一人エブリンを悩ませているのは、大学も辞め定職にもついていないこじらせ女子の一人娘。彼女はゲイで女性と付き合っているが、エブリンは二人の交際を認めたくない。

 何一つうまくいかない彼女は夫と車椅子の父親を伴って税務署に行く。父親を連れていくのは、なんとか自分たちの大変さ、同情を買おうということから。でも監督官は容赦なく領収書の不備を指摘する。厳しい監督官の指摘の中で、エブリンの頭は混乱し始める。すると優柔不断で役に立たない夫が急に性格が変わり、自分は別の世界からやってきたとエブリンに告げ、多元的世界の混沌の中で危機に遭っている。危機を救うため、エブリンに混沌を作り出した脅威の存在ジョブ・トゥパキと闘うようにと説得する。

 状況をつかめないままエブリンは多元的世界を移動し始める。エブリンは別の世界では、カンフーの達人であり、また別の世界では世界的な女優でもあり、また別の世界では夫とは別の相手と結婚していて、さらに別の世界では意識をもった岩となってみたり・・・・・・。

 そして多元世界を移動=ジャンプするなかで、混沌を作り出す敵の正体=ジョブ・トゥパキが別の世界で存在する自分の娘であることが判り。そしてイブリンはトゥパキとの闘いではなく、彼女を混沌の淵から連れ戻そうとする。

 映画は税務署での監督官のやりとりから急に目まぐるしく多元宇宙としての別世界を移動しながら激しいカンフー・アクションで闘うSF映画となる。たしかにこれはぶっ飛んでいる。

 しかしこの多元世界とは何か。これはコインランドリー経営がうまくいっていない、頼りにならない夫、偉そうで頑迷な父親、いつまでたっても反抗的で対立する一人娘、そんななにからなにまでうまくいかない中年女性の妄想的世界の有り様ではないのか。すべてに渡ってうまくいかない現実、それに対してもし自分が人生の岐路に立ったときに違う選択をしていたら、今自分はまったく違う世界で違う人生を歩んでいなかっただろうか。

 誰しも思うそんな妄想。人生の秋にさしかかった中年女性の憂愁。それが多元的世界として現在のシビアな現実と交錯する。そこで妄想世界に浸りきるのか、あるいは現実世界を変えよりよいものにしようとするのか、その葛藤が多元世界をジャンプしながら繰り広げるカンフー・アクションとなってスクリーンで展開される。

 そして最後にはこじらせ女子の娘と和解し、夫との人生、コインランドリーの経営者としての人生を前向きにやり直そうとしていく・・・・・・的な。大とまではいかないが円団的な結末へと。

 しかしなんでこんなにまで激しいストーリー展開、多元的世界の目まぐるしい移動という演出、ジェットコースター・ムービーのような仕掛けが必要なんだろう。これってひょっとして今のアメリカ映画全般、マーベルだのVFXだのへの皮肉、大掛かりなジョーク、笑かしなんではないのか。

 とはいえ単なる中年女性の憂愁や母と娘の葛藤劇であったとしたら、アカデミー7冠、大ヒットみたいな展開はあり得なかっただろう。ようは日常的なテーマを思い切りSF的な仕掛けとさらにアジア系のスタッフ、俳優たちということで、判りやすいカンフーという道具立てをしたジェットコースター・ムービーに仕立て上げたということ。それがヒットの最大の理由なのかもしれない。

 しかし難儀な世の中になった。もはや人生の葛藤、親子の愛憎劇も、複層的なドラマ、かつSFや壮大なアクションを混ぜないと、大衆受けされないような時代なのかもしれない。かってタルコフスキーゴダールが難解な映画を作ったけれど、21世紀にあっては彼らもよりインパクトの強いSFアクション仕立ての映画を作ったかもしれない。

 とはいえこの映画、個人的にどうだったか。面白かった。若干難儀なところもあるが、特にだれることなく観終えた。いや、これは怪作である。演出、俳優の演技、すべてが一級である。

 映画は導入部で目まぐるしいアクションも展開される第一部「Everything」とより内省的で多元世界でイブリンが娘と様々な葛藤劇を繰り広げる第二部「Evrywhere」、そして再び現実世界に戻って解決策を得ようとする短い第三部「All at once」という構成から成っている。

 第一部の終わりとともに疑似的なエンド・ロールが流れる。それがしばし続くため、なんとなく「ええ、ここで終わるの」的な困惑が生じる。そしてようやく予定調和的に第二部が始まり、ほっとする。しかしだ、もし第一部で映画が終わっていたら、この快作はより難解な名作となったかもしれない。そう多元的世界は不条理なままなにも解決されないのである。いや自分の中で本当にここで終わってもいいかなと、そう思った節もあるのだったりして。

 第二部の娘と関わりの中で、さらなる別世界でイブリンと娘が岩に変身し、断崖絶壁の前で会話するシーンがある。二人の会話に音声はなく会話は字幕で表示される。そう映画的文法としてここではサイレントという古風な技法も使われる。この映画には映画の文法、技法も駆使されているのだ。

 この映画のスピンオフとして、岩同士の会話だけで成立する映画の可能性は。なんかとんでもなく詰まらない妄想を逞しくしてみたりもする。この映画にはさらなる可能性、話のタネが詰まっている。多元的宇宙を描くとはそういうことなのかもしれない。

 さてと、観終わってから凡人がありきたりに思うことは。自分にとっての多元的世界は存在しているのかどうか。もし違う親から生まれていたら。別の大学に行き、別の仕事を選び、別の相手と結婚し、別の子どもがいたら・・・・・・。人生の様々な分岐によって異なる世界が現出し、そこに生きる自分がいる。異なる世界が、異なる自分が交錯したら・・・・・・。

「ルーブル美術館展ー愛を描く」に行く (3月9日)

 先週のことになるけど、3月1日から始まった国立新美術館ルーブル美術館展ー愛を描く」に行って来た。

【公式】ルーヴル美術館展 愛を描く|日本テレビ

<みどころ>

  1. ルーヴルが世界に誇る珠玉の絵画コレクションから厳選された、「愛」の名画、73点が一堂に集結!
  2. 古代の神々の愛、キリスト教の愛、恋人たちの愛、家族の愛、官能の愛、悲劇の愛…16世紀から19世紀半ばまで、ヨーロッパ各国の主要画家の名画により、多様な愛の表現に迫る!
  3. 「愛」というテーマを通して、誰もが知る傑作から隠れた名画まで、日本初公開作品を含め、新たな発見や出会いのある展覧会
  4. なかでも、18世紀フランス絵画の至宝、フラゴナールの《かんぬき》が26年ぶりに来日!

 国立新美術館での大規模なルーブル作品展というと、2015年に「ルーブル美術館展-日常を描く」が開かれている。あれからもう8年近くが経っているのかと思うと、月日の経つのは早いと思わずちょっとした感慨めいたものを思ったりもする。

 前回は日常をテーマにして、主に風俗画が中心で目玉的作品はフェルメールの《天文学者》だった。今回はずばり「愛」がテーマで、どちらかというと神話や歴史などの物語画が中心。でも今回の目玉はフラゴナールの《かんぬき》だとか。作品の希少性、バロック絵画の巨匠として人気のあるフェルメールとどこか軽薄と評されるロココフラゴナールでは、どこか格落ち感もないではない。もっともロココの巨匠は、ヴァトー、ブーシェフラゴナール、みんな画力抜群。けっしてフェルメールに見劣りすることはないのだけど。

 基本的にルーブルの名品が73点揃っている。しかもルネサンス後期、バロック、古典主義、ロココ新古典主義ロマン主義からの名品揃いであり、質は高い。いわゆる著名な名画こそないけれど、普通に名画、名品が揃っているだけに見応えがある。ルーブル恐るべしというところだ。

 ウィークデイの木曜に行ったのだが、会場はかなり混んでいる。時間指定の予約制なのだが、入場には列ができる。そして会場内もそこそこに混んでいる。例によってだが、音声ガイドの対象作品の前では二重、三重の人だかりとなっている。なのでいつものように空いてそうなとこ、空いてそうなところを探して観て回る。

 会場はというとウィークデイの美術館でよくある、ジジババ=高齢者の鑑賞者はなんとなく少ない感じがした(などと同じジジィが申しております)。それよりも何か圧倒的に若い女性が多い。これは六本木というお洒落な場所柄なのか、あるいは「愛」というエモーショナルなテーマのためか。まあ春休みということで大学生さんたちが多数入館されているのかもしれない。一人もしくは二人連れの女性が多く、男女の若いカップルはさほど多くはなかったかも。

 まあ基本的に作品に集中しているので、実は鑑賞者には興味がない。ただこれもいつも感じることだけど、作品の前にいて横の解説のテキスト熟読するのとか、ただただ音声ガイド聴きながらずっと作品の前に立ち止まってというのは、出来れば勘弁して欲しいなとは思ったり。

 作品的にはバロックロココ、新古典が中心にも思う。なのでフランスのものはもっぱらアカデミズム系。さらに同時期のイタリアやオランダ、フランドルが多くある。最後の最後にシャセリオー2点、ドラクロワ1点で、ロマン主義も押さえてますみたいになっていたけど、ここは正直いらんかな~と思ったり。

 シャセリオーは新古典主義からロマン主義に転じた人だけど、この人はもともとアングルの弟子だったこともあり、初期の歴史画とか、とにかく絵が上手い。「愛」がテーマということでも、初期作品の方が良かったかもみたいにちょっと思ったりもした。

 繰り返しになるけど、作品は名画、名品、とにかく見事な作品が多くて見応えある。ビッグ・ネームが少ないが、古典主義であればブーシェプッサン風、バロックではルーベンス風、レンブラント風など、やはり当時の巨匠の影響を感じさせるものが多いようにも感じた。

 いくつか気になった作品を。

 

アントワーヌ・ヴァトー 1648年-1721年

《ニンフとサテュロス》  1715-1716年頃 73.5✕107.5

 ロココの巨匠、アカデミー入会時に「雅宴画」というジャンルで入会となったことから、雅宴画のヴァトーと評される。けれど画力は抜群だし、いわゆるロココの軽やか、優雅、あるいは軽薄性とは一線を画するような気もしないでもない。この絵にあるように物語画、歴史画という当時のアカデミーで一番格上だったジャンルにおいても、力を発揮した人なんだろう

ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ(兄) 1725年-1805年

《眠るアモルを見つめるプシュケ》 1768年 直径121

 この画家、あまりよく知らないが、今回の展覧会では3点出品されている。

ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ - Wikipedia (閲覧:2023年3月13日)

 アカデミーで活躍した画家のようで、生没年が1725-1805年というと新古典主義ダヴィッド(1748-1925年)よりもやや年長だが、同じように歴史画を得意としていたということでいえば、正当なアカデミズムの画家だったのだろう。さらにいえばこのすべすべとした肌やドレイバリーの表現は、のちのアングルらにも影響を与えているかもしれない。とにかく画力がある人という感じ。しかし18世紀から19世紀のいわゆるアカデミズムには本当に絵の上手い、画力のある画家が揃っていたのだと思ったりもする。

バスティアーノ・コンカ 1680年-1764年

《オレイテュイアを掠奪するボレアス》 1715-1730年頃 77✕108

 セバスティアーノ・コンカは、ナポリ、ローマで活躍した画家。主にフレスコ画、祭壇画などで宗教画を描いた。またバロック派ルカ・ジョルダーノの影響を受けている。ということでイタリアのバロックの画家。劇的な構図、場面などはまさしくバロック的。若い娘を奪い今まさに飛び立とうとする一瞬を陰影とともに見事に描ききっている。

 この主題はオウィディウスの『変身物語』にあるもので、年老いているものの頑健なティタン(巨人族)である北風ボレアスが、アテネの王エレクテウスの娘オレイテュイアに恋し、自分のものにならないとしるや掠奪するという物語。その後、ボレアスとオレイテュイアの間には二人の息子が生まれるという。

ピエール・ミニャール 1612年-1695年

《パンとシュリンクス》 1685-1690年頃 116✕90

 ミニャールは、王立絵画彫刻アカデミーの中心として尽力した古典主義の巨匠シャルル・ル・ブランのライバルだり、ル・ブラン亡き後はアカデミーの院長職を務め、ル・ブラン同様に国王首席画家となった。フランス絵画の古典主義を形成した重要な画家の一人。

 この主題もまた『変身物語』からのもので、半人半獣の牧神パンがニンフのシュリンクスを自分のものにしようとして追いかけまわす。シュリンクスは葦の茎に姿を変えて、その抱擁から逃れようとする。シュリンクスを抱きかかえて守ろうとしているのはランド川の神で、その変身を叶えようとしている。

 この絵の半ば舞台の書割のような静止画的雰囲気、牧神パンのややマンガチックな容姿などは、どこかバロック的な劇的要素も感じさせる。構図、色遣いなどはある種の重厚な趣もある。

 この作品は1685-1690年頃の制作で、ミニャールの晩年の作品かと思って図録を見てみると、ミニャールの生没は1612-1668年とある。うむ、死語の作品?これは明らかに誤植だね。細かいフランス語の部分ではきちんと1612-1690とあったりして。まあ、どんまい。

 どうもこのへんの絵は、「暴力と魔力ー欲望の行為」というテーマによるものらしいが、掠奪愛を主題にした作品を多数展示しているようだ。

フランソワ・ブーシェ 1703年-1770年

《プシュケとアモルの結婚》 1744年 93✕130

 「プシュケとアモル」の話もまた『変身物語』の中にあり、多くの画家によって主題として取り上げられている。本展覧会でも同じ主題からフランソワ・ジェラールの作品が出品されている。

 ここではブーシェロココの軽やかな画家としてよりも、華やかさを持った物語画の名手の側面がよく出ている。中心にいるアモルやプシュケ、さらに女神たちの肌の白さとそれ以外の神々の褐色の対比、空と大地の陰影的対比なども見事だ。

 プシュケは美しい王女だったが、神託により醜悪な怪物に捧げられることになる。しかし神託の預言に反して、心優しいアモルが現れる。プシュケは相手の顔をけっして見ないように言い渡されるが、好奇心からランプの灯でアモルの顔を見てしまう。目覚めたアモルは逃げ去り、プシュケはアモルの母、ヴィーナスから様々な試練を課せられる。その試練を克服した後、アモルは神々にプシュケとの結婚を懇願し許されて結婚を果たす。この絵はまさにその結婚と神々の祝福を描いている。

 正面のアモルとプシュケ、プシュケの頭上には花嫁を守護するユノ、その右上には三日月をつけたディアナ、さらにその右にはユピテルがいる。その下側には花婿、花嫁に背を向けたアモルの母ヴィーナスがマルスとともに馬車に乗っている。アモルの左側にはケレスとフローラがいてと、ほぼオールキャストが揃っている。

 ちなみにアモルはエロス、あるいはキューピッド、クピドと称せられるので、少し整理しておく。

エロス [Eros]

古代ギリシアの愛の神。古代ローマではクピド、あるいはアモル。根源的な存在としてガイアとともにカオス(混沌)から生まれあという伝説があるが、後にアフロディテ(ヴィーナス)とアレスの息子と見なされるようになった。有翼の少年あるいは青年として表され、しばしば恋の弓矢を持つ。神々の愛の画面などに副次的に登場する他、プシュケとの恋物語が有名。天使やブットのイメージの原型の一つとなった。

『岩波西洋美術用語辞典』                                          

 

《褐色の髪のオダリスク》 1745年 53.5✕64.5

 この絵は8年前の「ルーブル展ー日常を描く」でも来ている。蠱惑的で貴族や王族の寝室を飾るような所謂閨房画の一つだ。オダリスクとはオスマン帝国のハーレムにいた姓奴隷のことである。18世紀にはオリエンタル趣味、エキゾチックなテーマとしてさかんに取り上げられた主題でもある。

 ベッドに寝そべり下半身を露わにする女性を描いた蠱惑的な作品をブーシェは数点描いている。特に有名なのは本作と、後にルイ15世の愛唱となるマリー=ルイーズ・オミュルフィを描いた《金髪のオダリスク、またはマリー=ルイーズ・オミュルフィ》だろうか。いずれもポルノ一歩手前的な作品ともいえる。絵画にはそういう受容もあったのは歴史的にも事実だとは思う。

16世紀後半にヴェネツィアで活動した画家

アドニスの死》 1550-1555年頃 155✕199

 作者が特定されていない作品でティントレットの作とされていたこともあるという。作者はヴェネツィアでティントレットの工房で活動した可能性もあるとされている。いずれにしろ画力の高さは際合っている。今回の展覧会でもけっこう気にいった作品だ。こうした名画、研究の成果で作家が特定されるということもあるのだろうか。

 これも『変身物語』にある、美しい人間の若者アドニスを恋したヴィーナスの愛情を主題としている。ヴィーナスは狩りを危険だと忠告するが、聞く耳を持たなかったアドニスは猪に襲われて命を落とす。その亡骸を見て気を失っているのがヴィーナスである。ヴィーナス、アドニスの体を支え、亡きがらを覆うベールを広げているのはヴィーナスの侍女である三美神のアグライア、エウプロシュネ、タレイア。

 どうでもいいが、「パリスの審判」で出てくる三美神はヘラ、アテナ、アプロディテ(ヴィーナス)のこと。ギリシア神話は奥が深いというか、登場人物が混同してくる。

シャルル・メラン 1597?-1649年

《ローマの慈愛》、または《キモンとペロ》 1628-1630年頃 97✕73

 上半身をはだけ老人に乳房をしゃぶらせる若い女。これが父と娘によるものだというと、思わず「オェ」っとなるような絵柄である。これは親に対する娘の愛情を描いた宗教的な画題だというと、なおさらにちょっと勘弁という気もする。

 これは古代ローマの逸話で、年老いたキモンが死刑を宣告され、獄中で刑の執行を待つ間、飲食を禁じられる。キモンの娘ペロは父を訪れる許可を得て、親に寄せる愛情から、ひそかに自分の乳房を父に含ませて母乳による栄養を与えたという。

 この現代的にはちょっと眉を顰めるような主題、以前ルーベンスの回顧展でも観ていて、やはり「オェ」っとなった記憶がある。古代においては近親的な部分にもタブー的要素が緩やかだったのだろうか。

《ローマの慈愛》 ルーベンス 1612年頃

 以前、ルーベンス展を観た感想として、この主題=親子の情愛というのが言葉通りに受容されていたのか、いささかに疑問に思ったことがあった。17世紀にあって絵画は観客の様々な好奇心を満たす部分もあったのはないかと、そんな気がした。いま、メランの作品を観ても、どうにもこの画題には好奇なイメージがあるような気がしてならない。まあ観ている自分の邪さの表れなのかもしれないが。

 シャルル・メランは創作活動の大半をローマで過ごしたフランスの画家である。絵画様式的にはニコラ・プッサンと近似的であり、フランス古典主義絵画の一翼を担った作家の一人として位置付けられている。

サッソフェラート 1609年-1685年

《眠る幼子イエス》 1640-1685年頃 77✕61

 見事な宗教画である。サッソフェラート(本名ジョヴァンニ・バッティスタ・サルcヴィ)は初めて知る画家である。

イル・サッソフェッラート - Wikipedia (閲覧:2023年3月13日)

 イタリアのバロック期の画家でラファエロ的な画風で知られたとある。ラファエロ風というのはなるほどと思わせる。また同時期に活躍したカルロ・ドルチと同じく私的な顧客のために宗教画を描き、修道院や教会のために作品を描いたという。幼子イエスをくるむ青いベールはどことなくドルチの青を連想させないこともない。

サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 1627年-1678年

《部屋履き》 1655-1662年頃 103✕70

 この人物がどこにもいない室内を描いた絵が「愛」をテーマにした展覧会に展示されているのは。しかもこのコーナーでは「室内と酒場-オランダ絵画における愛と悦びと駆け引き」というテーマで展開されている。ここには様々な寓意を喚起するしかけがは位置されている。一番最初の部屋の入口脇に立てかけられた箒、二番目の廊下にはタイトルにもなっている脱ぎ捨てられた部屋履き、そして奥の部屋の戸口には錠前に鍵が差し込まれたままとなってる。

 卑俗な想像をすれば、この家の女主人、あるいは女性の奉公人は、このドアからは見えないどこかで、ふいに訪れた男の逢瀬の最中なのではないか。《部屋履き》というタイトルはまさにそれを連想させる。

 バロック期のオランダの風俗画によくある世俗的な寓意を含ませた絵画だ。時代性、オランダ風俗画というジャンル性、そうした部分を含めルーブルはこの絵に相応の価値を見出し、今それを東京で我々は眼にしている。割とあからさまなエロティシズムの暗示例として。

 作者サミュエル・ファン・ホーホストラーテンはオランダ黄金時代の画家で、レンブラント門下でキャリアを出発し、肖像画家として成功し、生まれ故郷のドルドレヒトで造幣局の局長も務めたという。

サミュエル・ファン・ホーホストラーテン - Wikipedia (閲覧:2023年3月13日)

ジャン=オノレ・フラゴナール 1732年-1806年

《かんぬき》 1777年-1778年頃 74✕94

 《ぶらんこ》など優雅で蠱惑かつ明るく軽やかな作品を描いたフラゴナールの意味深な作品。これが本展覧会の目玉でもあり、「18世紀フランス絵画の至宝:なのだという。まあ構図といい、表現といい、申し分のない名画だとは思うが、他の作品に比べてこれが目玉というのは、ちょっとばかり無理があるかもしれない。いや普通に良い絵だとは思うけど。

 この絵は、図録によれば「若い青年の激しい情熱に抗っているかのような若い女性を描い」ていて、放埓なのか道徳的なのかが議論されてきた作品なのだという。さらに、「女性は男性の誘いに抵抗したが、彼が扉にかんぬきをかけた瞬間、身をまかせたという場面が示されている」のだという。

 それにしてはすでにやや乱れたベッドやねじれた天蓋カーテンなどは、これから行われる情事を予兆してるのだろうか。図録の解説によれば、倒れた椅子、壺とバラの花には処女性の喪失やら、前景のテーブルに置かれたリンゴにはイブの誘惑と過ちを想起させるなど、小道具が揃っている。

 まあいろいろと意味深な絵のようだが、とりあえず普通に良い絵だと思う。以上。

トマス・ゲインズバラ 1727年-1788年

《庭園での語らい》 1746-1747年頃 73✕68

 イギリス・バロックのゲインズバラの作品。これも2015年の「ルーブル展ー日常を描く」に来ていた作品でもある。イギリスの庭園と古代趣味を示すとされ、庭園の奥にはなにやらギリシア・ローマの神殿を思わせる遠景の建造物がある。その柱頭はアカンサスの葉が描かれているのでコリント式のようだ。

 そうした景色の前で座って会話する二人の人物からは、親密な雰囲気が感じられるとされるが。熱心に女性に話しかける男性、それに対して女性は視線を今でいうカメラ目線のようにしてこちら向けている。女性にその気がないのか、あるいは恥じらいのせいなのか。この手の作品によくある一種の心理ゲームなのかもしれない。

フランソワ・ジェラール 1770年-1837年

《アモルとプシュケ》または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》
1798年 186✕132

 ブーシェの作品の主題でもあった「アモルとプシュケ」の物語である。ここではアモルが初めてプシュケを見初め最初のキスをする瞬間。プシュケの頭上にはプシュケのアトリビュートである蝶が舞っていて、彼女がプシュケであることを表している。

 フランソワ・ジェラールはダヴィッドに師事した新古典主義の画家でナポレオンの肖像画で確固たる地位を得たという。本作でも筆触を感じさせない滑らかな筆致には画家の画力の程を感じさせる。新古典主義のすべすべとした肌の表現は、アングルやブグローに先行する。プシュケの放心した表情にはどこかルネサンス的なものも感じさせる。

 この絵もまた本展覧会の目玉的作品でもあり、おそらく人気が高いのではないかと思う。自分にもかなりインパクトが高く、しばし魅入っていた。

9時から5時まで

9時から5時まで | Disney+  (閲覧:2023年3月8日)

9時から5時まで - Wikipedia (閲覧:2023年3月8日)

9 to 5 (film) - Wikipedia   (閲覧:2023年3月8日)

 「フォードVSフェラーリ」に続けて観た。1980年制作の懐かしい映画だ。この映画は公開当時に観たし、その後もレンタルビデオで観たりもしているけど、今世紀に入ってからは多分一度も観ていない。なのでおおよそ20数年ぶりの再見だ。

 しかし面白い。職場での女性差別働き方改革という、今現在にも通じるテーマを徹底したギャグ要素満載で描く上質コメディ。主役の女性大スター三人組の演技合戦とともに見せる。深夜の二本立てなんて久々だけど、なんていうか一気見してしまった。

 夫の浮気から離婚することになって働き始めた控えめな主婦役をジェーン・フォンダが。職場を実質的に切り盛りするのに、昇進も昇級も男性たちが優先され、それでも腐ることなく働いているシングルザーのキャリア・ウーマン役をリリー・トムリンが演じる。しかも彼女の上司たちは、みんな入社時に彼女が仕事を教えた者ばかり。そして部長の秘書役を演じるのは当時すでにカントリ・ミュージック界ではトップ・シンガーだったドリー・パートン。彼女のセールスポイントである豊満なバストがストーリー展開のなかで効果的に活かされている。

 今となっては彼女の豊満なバストの扱いはちょっとNGかもしれない。初対面でジェーン・フォンダが思わず自分のスレンダーな胸を見てしまうシーンはかなり可笑しい。ドリー・パートンのバストのインパクトは男性だけでなく、女性にもかなり強烈なんだということが判ってしまうカット。どうでもいいが、割とつい最近までドリー・パートンをバートンと覚えていた。まあそういうものだ。

 そして三人のボス=上司役を演じるのは、ダブニー・コールマン。この上司がもう最悪、セクハラ、パワハラ、部下の成果を横取りするわ、商品の横流しで私服を肥やすわと、とにくか最悪上司の典型として描かれている。

 物語はその最悪上司の仕打ちで頭にきた三人がバーで意気投合するところから始まる。それから自宅でマリファナ・パーティーをしてそれぞれが上司をどうやって殺害するかを語り合う。そこでそれぞれの妄想がシーン化される。

 ジェーン・フォンダはサファリ・ルックのハンターとして上司を追い詰める。ドリー・パートンカーボーイ・スタイルで牛を追い込むようにして。

 傑作なのはリリー・トムリン。なぜかファンタジー調で白雪姫に扮して、上司に毒を盛り、高層階の窓から突き落とす。なぜかこのシーンには実際の「白雪姫」に出てきたディズニー・キャラクターの動物たちがアニメで共演する。今だったら、ポリコレ厳しい中でディズニーがこれを許すかどうかちと微妙ではあるけど、そのへん含めてDisney+で配信されているということなのかもしれない。

 物語はこのリリー・トムリンの妄想が半ば現実化する。彼女が上司のコーヒーを入れるときに間違えて殺鼠剤を入れてしまう。幸い上司はコーヒーを飲んではいなかったが、転倒して病院へ運ばれる。そこで三人は上司が死んだと思い込み、間違えて死体を病院から略奪したり。

 そのてんやわんやの後、上司はリリー・トムリンが自分を毒殺しようとしたことを知り、そのことをネタにして秘書のドリー・パートンを誘惑する。上司は彼女の胸にぞっこんなのである。ドリーは誘惑をはねのけて逆に上司を縛り上げてしまう。そして三人は上司を自宅に監禁する。その間に上司の横領の証拠を見つけ出そうとする。

 上司を監禁中、秘書のドリーはあたかも上司がいるように仕組むわ、リリー・トムリンは社内改革を実施するわで、けっこうハチャメチャだ。しかしそこで行われる社内改革は今現在でもかなり先進的で、社内託児所、男女同一賃金、フレックス制、ジョブ・シェアリング・プログラムなどにより、従業員の好評を博す。そして業務の効率化を20%以上もアップさせる。それらはみな悪徳上司によって制限を加えられていた制度でもあったのだが。

 そして上司の横領の証拠が揃う間際、上司は長期旅行から帰ってきた妻によって救われ、上司は横領の事実を隠蔽し、自分を監禁した三人を追い詰める。そこに現れるのは・・・・・・。

 男性が優先され女性が差別される職場。社内託児所やフレクッス制、午前、午後で仕事をシェアしパートタイムで働けるなど、女性が家事や育児をしながら働けるシステムの導入など、今でも大企業などに一部で導入され始めているような先駆的な制度など、女性の社会進出を後押しするようなことが次々と出てくる。そしてそれを押しとどめようとする男中心の職場社会。パワハラ、セクハラを含めて今に繋がるというか、この映画が公開された1980年から43年、世の中はあまり変わっていないということかもしれない。少なくとも日本においては。

 この映画は主役三人の演技、魅力が満載である。とにかくジェーン・フォンダは美しく、リリー・トムリンのブラックな笑いを醸す演技。リリー・トムリンはもともとスタンダップ・コメディアン(コメディエンヌ?)出身なので、この手の演技はお手の物かもしれない。そしてドリー・パートンの豊満な肢体=バスト!。

 この映画の公開時、彼女たちの年齢はどうだったのかがちょっと気になったり。

ジェーン・フォンダ 1937年生 公開時43歳 現在86歳

リリー・トムリン  1939年生 公開時41歳 現在84歳

ドリー・パートン  1946年生 公開時34歳 現在77歳

 ジェーン・フォンダが一番上なのか。リリー・トムリンはやや老け顔なので、彼女が一番上のような感じもしたのだが。この二人はNetflixの人気番組「グレイス&フランキー」で共演している。2015年から始まったこのシリーズはシーズン7まで続いている。このドラマはお互いの夫たちが、実はゲイで離婚して一緒に棲み始めるという奇抜なシチュエーションのお話。シーズン1と2あたりを見たが痛々しいけど笑えるというような感じだった。

 しかし1980年前後のフェーン・フォンダは多分彼女のキャリアの中で最も輝いていた時代だと思う。この時代の彼女の主演作をリストにすると、いかに凄い仕事をしていたか、そして中年女性の美しさ、魅力に溢れていたことが判る作品に多数出演している。もちろん演技力にも磨きがかかっていた。

1977年 「ジュリア」 アカデミー賞主演女優賞ノミネート

1978年 「帰郷」 アカデミー賞主演女優賞受賞

1979年 「チャイナ・シンドローム」 アカデミー賞主演女優賞ノミネート

    「出逢い」

1980年 「9時から5時まで」 

1981年 「帰郷」 アカデミー賞主演女優賞ノミネート

 彼女は現在86歳。一番美しい年齢の取り方をしている。今でもその年齢としては美しく魅力的だ。2017年に公開された、これもオールドネーム、ロバート・レッドフォードと共演した「夜明けまで」も素敵な映画だった。ノーセックスで二人がベッドを共にして語り合う。そういう老いらくの恋もあっていいんだと思わせる映画だった。

 改めて思うけど、「9時から5時まで」は1980年制作。43年前の映画だけどけっして古びていない。テーマ的にも今でも全然イケているし、十分楽しめる映画だと思う。