『候補者たちの闘争』を読む

 

ドキュメント 候補者たちの闘争――選挙とカネと政党

ドキュメント 候補者たちの闘争――選挙とカネと政党

 

 井戸まさえの『候補者たちの闘争』を読んでいる。これは昨年の安倍がぶち上げたミサイル危機だの、小池と前原による希望の党の立ち上げとそれの凋落、野党第一党民進党の分裂、結果として安倍自民党の大勝というとんでもない茶番劇となったあの異次元総選挙のインサイドレポートである。

 著者の井戸まさえは元民主党の代議士であり、離婚後すぐに結婚出産した子どもが一時無戸籍となった経験を元に『日本の無戸籍者』という著作をものにしているライターである。そして昨年の総選挙にも立憲民主党から出馬して次点で落選した現役政治家でもある。

 いわば本書は民進党の分裂に翻弄される候補者の立場から、内側から希望の党に選別される候補者たちの様々な人間模様を描いている。それはそのまま現代の政治、選挙事情の一端を伝えることになっている。さらには女性の政治進出を阻む事情も実例とともに描いている。

 政治の内幕モノは面白い。それが生きた人間ドラマを形成しているからだ。さらには一次資料として政治学者、歴史学者の評価と選別により政治的事実、歴史事実として構成されるべき事実性をもっているからだ。もちろんそこには著者の恣意性、主観性が当然色濃いものとなっている。

 本書を読んでいて、いや手にとったイメージ、装丁から想起されるものにどこか既視感がある。それは自分にとっては随分と前に廃業してしまった出版社、サイマル出版会の出版物を思わせる。あの出版社は面白い政治、社会系のノンフィクションを出していた。ハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』もサイマル出版会からだった。本書にサイマルとの近似性を感じさせるのは、多分本書でも紹介されているジェラルド・カーティスの古典的名著、自民党の代議士が選挙に勝ち上がり政治家となっていく姿を密着してレポートした『代議士の誕生』を思い出させるからではないかと思っている。

 この本で異次元総選挙の野党の側からの総括めいた部分がある。そこを少し長いがそのまま引用してみる。

3「異次元総選挙」が残したもの

野党共闘」という産道

 小選挙区で勝利するために最も大事なのは闘いの構図だ。つまり、いかに一対一の勝負に持ち込めるかである。

 民進党蓮舫代表時代に進めた「野党共闘」は、共産党との連携が鍵となっていた。共産党から提示されていた全国十五選挙区で野党共闘ができれば、他の選挙区の統一候補は民進党の候補者になり、仮に小池新党ができたとしても、そこそこの結果が生まれるのではないかというのが、参議院選挙の経験を踏まえたうえでの判断で、それがあと一歩のところでまとまりつつあった。

 しかし、都議選での惨敗を受けて蓮舫が代表を辞任、前原新代表が選出された段階で共闘は危ういものになっていた。そして希望の党との合流は、市民を含めた、それまでの共闘路線に大きな溝を作ることになった。

 それを埋めたのは、まさにひょうたんから駒の立憲民主党の誕生である。

 一方で、立憲民主党共産党は共闘すればするほど、支持層の重なり部分が大きくなる。つまり比例区では票の食い合いをする関係でもある。

 結果的に、共産党議席を減らし、比例区の東京ブロックでは二議席にとどまった。

 ただ、これが共産党にとって後退かといえばそうとも言えない。何より、すべての選挙区で共闘をせず、いくつかの選挙区ではバラバラに闘うことによって、共闘がいかに当選への必須条件であるかを可視化することに成功した。

 そこに共産党の戦略的な判断があったのだとすれば、今後の政局を考えたうえでも、政党としては正しい行動だったと言える。加えて、共産党は、実質的に他党の比例順位を左右できることをも党の内外に示したのだ。

 この結果は次回の選挙において、候補者心理、政党心理のどちらに対しても影響を与える。特に野党が勝利した選挙区では、共産党抜きでの選挙は難しくなる。共産党から離れては勝利できない、共産党との共闘という産道をを通らなければ産まれることはできないという、強烈な体験の残像を他党の候補に与えることができたのである。      P36-37

 この分析は見事だ。まさしくこれは選挙を闘った候補者だからこをの卓見だと思う。しかし一方でここでいう他党、立憲民主党にはもう一つのジレンマが存在する。それは民主党自体、いやそれ自体からこの政党が抱えるアイデンティティのようなものだが、元々民主党自民党から分派した新党さきがけ日本新党小沢一郎自由党社民党の合体によって成立している。彼らはある意味では骨の髄まで反共なのである。自民党から分派した出自をもつ彼らの念頭には常に穏健な保守政党というイメージがある。彼らにとって共産党との共闘はそのDNAの部分で拒絶されるべきものなのだ。

 さらに社民党はというと、その支持母体であった労働組合=総評は、共産党系のナショナルセンター労連系との間で長くヘゲモニー争いを続けていた。社会党系と共産党系のヘゲモニー争いはある意味で、日本の左翼運動や市民運動にとって宿悪のようなものなのだ。

 なので、立憲民主党議員の中で比較的選挙に強い、いわば野党共闘を必要としない者たちは、その出自たる反共意識を元に共産党との共闘に対して常にネガティブに動いていく。昨年の総選挙にあっても野党共闘に反旗を翻し、民進党を早々に離党した松原仁細野豪志といった連中はそうだ。彼らは途中から逆風に晒された希望の党にあってもきちんと勝ち上がってきている。

 そして同様に前原誠司野田佳彦といった政治家も選挙区に強い。彼らには野党共闘を、共産党との共闘をする必然性がないのだ。

 それに対して選挙区での基盤が確立していない多くの候補者にとっては事情が違う。彼らにとって小選挙区自民党と競い合い勝ち上がるためには野党共闘共産党の支援が必須なのである。そのへんの温度差が民主党民進党立憲民主党の中には混在しているのだ。選挙に強い前原や野田、細野、前回の選挙ではあえなく落選した馬淵澄夫のような政治家にとっては、野党共闘で多くの議席を獲得することよりもまずは共産党との旗色を鮮明にすることが行動の第一原理なのかもしれない。

 さらにもう一つの視点がある。それは地方議員の問題だ。立憲民主党系にしろ、国民民主にしろ、ようは旧民主党系の地方議員にとっては共産党はまさに凌ぎをけずる相手でもある。彼らにとっては保守系無所属自民党公明党は敵ではない、ある種の棲み分けができている。常に最後の一議席を競い合うのは共産党なのではないかと自分は思っている。

 かって住んでいた場所でほんの少しだが、民主党系の地方議員との間で交流をもったことがあるのだが、彼らの反共意識、反共産党意識は強烈なものがあった。彼らにとっては旧秩序のまま利権や地主層の権益にそって動く保守系議員のほうがよっぽど親和性があるようにさえ見えた。とはいえ組織性が限定されている民主党系は無党派層の気まぐれに期待することが多く、選挙では勝ったり負けたりを繰り返してもいた。

 自分の皮相な見方でいえば、最近、立憲民主党野党共闘から後退めいた姿勢が見え隠れしているのは、来たるべき選挙に向けて地方組織を次々と立ち上げていることにあるのではないかと、そんな気がしてならない。

 しかし、井戸氏が述べているように「小選挙区で勝利するためには」「一対一の勝負に持ち込めるかどうか」なのである。一対一の相手はもちろん自公であって共産党ではないのだ。立憲民主党が大局的見地から反共主義を封印できるかどうか、それが野党共闘の道筋、産道というものかもしれない。

 もう一つだけ、あえていえば共産党が方向性だ。今の共産党はある意味、前衛党から社民主義にシフトしているとはいえる。しかし所謂科学的社会主義を党是としていることには変わりない。欧州の共産党が2000年前後、ベルリンの壁崩壊とともにマルクスレーニン主義を捨て去ったことからすれば、先進資本主義国の中での共産主義という立ち位置はどうなのか。

 それは世界史レベルでいえば一党独裁を堅持しつつ資本主義に邁進する中国共産党とともに特異な形であるのかもしれない。

 グローバルな資本主義の隆盛のなか、格差は19世紀の階級社会との近似性さえ感じさせるほど際立ってきている。新たな階級闘争は再生されるべきものがあるかもしれない。しかし一方で根強い反共主義がまん延する日本にあって共産党がより広範な支持層を拡大し、シフトを広げるためには<真の>共産党でも、<正しい>共産党でもなく、市民社会にあって平等、公正、公平に立脚した政治イデアをうたいあげる必要があるのかもしれないと夢想する。

 近未来的には立憲民主党との野党共闘、そして自公政権公明党のような存在になれるかどうかである。かっては、いや今であっても公明党はカルト宗教を支持母体とする政党なのである。それに共産党が取って代わっても何も問題はないと思う。

 話は脱線に次ぐ脱線だが、『候補者たちの闘争』は様々な政治的思索をを引き起こす魅力的な本だと思う。

高麗神社へ行く

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 クリスマスだというのになぜか神社にお参りに来ている。

 近隣で一番大きな神社でもある高麗神社だ。まあ、カミさんが退屈なのでどこかへ連れていけというので来ただけのことだけど。

 ここに最初に来たのはいつだろう。多分7〜8年くらい前だろうか。当時、会社で続けざまに怪我人が出たりした。一人は交通事故。バイクで交差点で転倒して複雑骨折。もう一人は会社の帰りに駅のホームに駆け下りるときに、階段を3段かそこらをジャンプして着地したときにかかとの陥没骨折。はっきりいってアホである。

 その他にも職場でぎっくり腰になった社員とかもいて、当時の社長がこれはお祓いにいくしかないということで、幹部社員が総出でこの神社に来たというのだったと思う。

 その後は、今日みたいな感じでカミさんを連れてきたことが一度あったか。高麗という地名だけあって、朝鮮からの渡来の帰化人が多く住んでいた地域で、朝鮮所縁の神社としても有名である。

 正月は初詣客でたいへんな賑わいになるということだが、通常は広い境内の割に人気も少ない。まして午後遅くのクリスマスである。なにか閑散とした雰囲気である。

 簡単に参拝をすませ、珍しく御朱印をしてもらう。御朱印帳はカミさんの車椅子のポケットにいつも入れてある。確か京都の平安神宮で購入したものだったか。

 帰り、駐車場まで戻ると資材置き場みたいなスペースに猫がいた。遠目にはなんだか置物のようだったが、近づくと丸々とした猫である。全然逃げるそぶりもみせない。かといってなつくような雰囲気もなく、超然としている。本当に置物のようである。

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仕事の諸々

 昨日は雲の上の偉い方と1時間以上面談した。まあ先方が話を聞きたいということだったんだが、いったい何についてかがよく判らない。まあノープランという訳にはいかないので、なんとなく周辺からの情報を繋いでみてこんなところかとあたりをつける。そのうえで2本レポートみたいなものをまとめておいた。

 話自体は業界のこととか多岐に渡る。まあいろいろなお話をした。終わり間際に一応念のためとしてレポートをお渡しした。かなり緊張していたようにも思う。還暦過ぎてもそういうところはある。まあ根っからの小心者な訳なので。

 その日はそのあと別の方と簡単な打ち合わせを行い、さらに別のいつもお世話になっている方と一緒に飲みに行った。自分の緊張をほぐしてくれる心遣いみたいな部分もあったのではないかと思う。有難いことだ。

 今日はというと会社でロクでもない打ち合わせや資料作り。年の瀬だというのにちょっとしたトラブルが持ち上がっているので、その対応、収拾策の諸々がある。

 そしてそれとは別に社労から連絡があり、昨年からいろいろと準備してまとめ、今年申請した補助金がらみのことでお役所から確認事項とさらなる資料提出ということがあり、急遽資料作りが必要になった。さらには申請した書式が〇号から〇〇号に変わるのだとか。

 なので夜半、一人でしこしこと資料作りに勤しむことに。なんで自分がこんなことをしなくてはいけないと、術祖のようにブツブツと独り言を言いながらパソコンに向かう。まああまり人には見せられないような姿だ。

 9時少し前だいたいの仕事にケリをつけて退社。なんだか本当に疲れている。

 

定期演奏会

 子どもが所属している吹奏楽部の定期演奏会に行ってきた。大学の定演はこれが3回目。3年生ということで、これでほぼ引退となる。来年はいよいよ就活ということになる。思えば中学からだから通算9年になるのか。飽きっぽい性格の割には良く続いたものだと思う。それだけはよく頑張ったといいたい。

 楽器の演奏自体はそれほど上手いほうじゃない。それでも音楽自体が好きだったんだろう。集団演奏をずっと続けてきたのはこれからの人生にはいい糧になるのだろうとは思う。しかしここまで続けるとは思わなかった。

 まあこじらせ系だったからいろいろあったが、それでもまあ普通の大学に行ったし、自分でインカレの部活を見つけてきてどうにか自分の居場所を見つけ3年間過ごしてきた。自分が遠い昔過ごしたような学生生活に比べればはるかに有意義だと思う。

 まあなによりも譜面が読めて、楽器が出来る。それだけでも素晴らしいことだと思うし、楽器が出来ない人生より数倍楽しいことだと思う。音楽を聴きいったり、譜面を読んでそれを美しいものと感じ、それを奏でることができる。羨ましい限りだ。

 演奏は全部で8曲。中には組曲やメドレーもありで休憩をはさみだいたい2時間と少しというところで、なかなかのプログラムだった。特に最後の組曲は20分以上で、これだけの演奏をきちんと仕上げたのは並大抵のことではないと思う。1年という長いスパンとはいえ学業やアルバイトとの両立なのだがから、演奏する学生たちのことを自分の子どもを含め素晴らしいと思った。

 演奏はというと、もちろんコンテストを目指すようなそういう演奏ではないのだろうが、そこそこに情感溢れ、きちんとグループとしてのサウンドがあったと思うし、十分楽しむことができた。

 こちらはカミさんと一緒だったのだが、カミさんが誘った友人、この人は高校まではかなりレベルの高いピアノをやっていたと聞いているのだが、「1年でこれ仕上げるのって凄いと思うよ」とほめていた。いやそういうことなんだとは思う。

 子どもの演奏会は多分これで一区切りだとは思うが、ひょっとしたら仕事を始めてもまたどこかの市民楽団とかに潜り込んでいそいそと音楽を続けるかもしれない。それもまた人生だ。

 

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スタッドに履き替え長野へ

 昨日、ディーラーに車持ち込んでスタッドレスタイヤに履き替えた。7月に買い替えたばかりなので新しスタッドレス。物入りだけど、こればかりはしょうがない。本当は16日に予定を入れていたのだが、急に長野に行くことになり念のためということで昨日予定を入れてもらった。

 今回はフリードなのでタイヤは185/65R15とステップワゴンよりも小ぶりになる。メーカーはダンロップ WINTER MAXX 01 185/65R15だったかな。アルミ付で工賃込みで74000円だったか。まあ基本は何もかもディーラーお任せなので、これが高いかどうかわからないけど、多分どこでやってもたいして変わらないかなと思ったりもする。

 そして今日は会社休みをとって長野へ行くことにした。11月に入院した義母が再手術をするというので、カミさんが付き添いたいというので連れていくことにした。3度の火傷で11月の末に一度手術をしているので、再手術となる。皮膚の移植手術なのだが、火傷の部位も大きいため再手術が必要なのだとか。

 手術は1時半からなのでその前にと思い家は9時くらいに出た。ウィークディで通勤時間帯から少しずれていたので、道路は空いていた。病院には11時半くらいに着いた。義母は元気そうだったが、やはり手術の前なので少しだけナーバスな感じもした。

 小1時間くらい話てから、1時過ぎにようやく手術室のある階に移されて手術に。その後、遅い昼食を食べ、それから義理の兄はいったん家に帰り、自分は休憩室で仮眠をとったり持ってきたパソコンをやったりしてた。カミさんは病院探検に行くと言って、車椅子で一人で出かけた。

 病院の外はずっと雪が吹雪いていた。あまり積る雪ではないのだが、やっぱり北国なんだとは実感した。だいぶ経ってから外を見ると雪はやんでいたけど、寒そうな雰囲気だった。

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 手術が終わったのは4時半くらいだっただろうか。義母は全身麻酔をしてたせいか朦朧としている。医師から簡単な説明をもらい、デジカメで写した患部の画像とかも見せてもらった。想像はしていたけど、火傷の部位はけっこう酷い状態だった。

 それから小1時間病室にいたけど、6時を少し回った頃に義兄も帰るというので、こちらもそうすることにした。退院は暮れも押し迫った頃だという。80を超える高齢、家は義兄一人である。これからが大変だなとは思った。とはいえ離れた場所にいる自分たちに出来ることなどたかが知れてはいるのだが。

『無子高齢化』を読む

 『無子高齢化』を読んだ。

 

無子高齢化 出生数ゼロの恐怖

無子高齢化 出生数ゼロの恐怖

 

  読後の感想は一言でいえば、とんでもない事態が現出している。そしてそうした事態を招いた責任の一端が自分たちの世代にあるのではないかという思いがよぎる。現在の少子高齢化団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアの就職難に軌を一にするところがある。それはこの世代を雇用の調整弁にした、その前の世代、まさに自分らの世代かもしれないという思いがあるからだ。

 確かに生活に必死だった。ちょうど子育てと仕事がハードになる頃が重なった。自分の場合は、さらにカミさんが病気で倒れ、家事、育児、介護、仕事、その総てが一気に押し寄せてきた。日々のすべきことに追われていた。しかしそのことで社会性に欠けてはいなかったか、後の世代に対する責任意識が圧倒的に欠けていたように思う。まさに忸怩たる思いだ。

 本を読んで、かくも居ても立っても居られない思いになったのは、ひょっとして初めてのことかもしれない。

 そういう状況にまったく気づいていなかったのかどうか。いや、なんとなくおかしいということは思っていた。もう10年も前のことだろうか、職場で非正規の嘱託社員やパートを募集する。それまでは当然のごとく主婦層や定年した高齢者が多かった。そこに少しずつ30代、40代の男性が混じるようになってきた。しかも送られてきた履歴書を見ると高校を卒業して以来、一度も正社員でない者が何人も見受けられた。ずっと、派遣、パートの繰り返しなのである。正社員であった者も、様々な理由で会社を辞めた後、同様に派遣や非正規ばかりなのである。

 一緒に面接した同僚たちと、なんだか正社員でいるというだけで勝ち組みたいだねと話したことをよく覚えている。そうした非正規雇用に甘んじてきている人たちは当然のごとく単身者ばかりである。経済状態が安定していないので結婚もできない、当然子どもなど作れない。そういう層が世代として生まれていることに、定点として遭遇していながら、自分たちはただ「大変だな」ということで済ませてきてしまた。

 そしてそういう不安定な生活を強いられた世代が一様に少子、子どもを作れないできたツケが今巡ってきているのである。

 この本がいう少子どころか無子高齢化というのは、単なるセンセーショナルな扇動なのだろうか。著者は冒頭でわかりやすく解説する。

合計特殊出生率1.44で何が起こるか

 合計特殊出生率とは一人の女性が一生の間に平均して生む子どもの人数で、日本では2016年が1.44と発表され、社会に衝撃を与えた(2017年は1.43とさらに低くなっている)。

 一人の女性から1.44人だから人口減はないと思えるかもしれない。しかし子どもを産むには男女2人が必要なので、ようは2人から1.44人ということなのだ。著者はこれを男女100人ずつの社会でわかり易く説明する。すると200人が次の世代は144人、その次は104人に減少する。つまり三世代、孫の代で半減してしまうということなのだ。

 表にしてみるとこんな感じだろうか。

世代 合計
1 100 100 200
2 72 72 144
3 52 52 104

 そのまま人口1億、男女半々すると三世代で約5千万になってしまう。机上の話ではあるが空恐ろしい数字なのである。

 少子高齢化の果ての無子高齢化、それはどうして起きたのか。本書では戦後の人口政策を振り返りながら検証を進める。驚くことまでに戦後日本は人口抑制政策をとり、地方の農民層の次男、三男を中心とした移民政策を70年代初頭まで続けていた。そして第二次ベビーブームの到来の頃に起きたオイルショック成長の限界論から積極的な人口増への転換に向けてのかじ取りに失敗した。

 さらに人口減少を、出生率の低下に危機を抱き、女性の高学歴化、就業率の上昇などを前提にした保育や育児休業に制度に取り組んだフランスやスウェーデンといった欧州の施策とは逆の福祉政策が日本でとられていった。

 では、なぜ日本は何も手を打たなかったのだろうか。

 その答えは、1979年に大平内閣が打ち出した「日本型福祉社会」論を見ればわかるだろう。これは、家庭こそ福祉の基盤という考え方で、簡単に言えば、日本は専業主婦が育児や介護を無償で担うため、社会保障費が安くすみ、それが日本の経済成長を支えているという考え方だ。同じ年に自民党が出した研修叢書『日本型福祉社会』では、高福祉、高負担の北欧は愚行であり、高齢者の世話は子どもや家庭が責任を持ち、公的サービスの利用は例外に限る、という主張が示されている。なにせ「保育所を作れば、母親が子どもを預けて働きにいく「必要」が誘発される。ポストの数ほど保育所を作れば、国は破産する」(要約著者)とまで書かれているのだ。「専業主婦がすべてをやる」のであるから、子育ての社会化や子育て支援など必要がない、と考えられていたのである。

 しかも、1979年はエズラ・F・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出された年である。この本では、日本の成功の秘訣として、日本人の勤勉さとともに、終身雇用・年功序列賃金・企業丸抱え福利厚生制度などが挙げられていた。しかし、ここには書かれていなかったが、夫が人生の時間のすべてを会社に捧げるような働き方ができるのは、妻が家事や育児・介護の一切を担っていたからである。だが、これは、豊富な若年労働力のあることが前提の仕組みだった。P65~66

 この伝統的な家族観に裏打ちされた愚策的福祉観がすべての要因の元なのかもしれない。大平内閣が戦後ずっと続く保守党の長期政権、そう今も続く自民党政権であることを忘れてはいけない。彼らは自分たちのやってきた愚策に対する検証もなければ、一切の反省もないまま、今も政権の座にあり続けているのだ。

 さらにいえば、家事労働の一切は基本的に不払い労働である。かっての高度成長期は家事労働の不払い分を、企業が労働者に対して支払っていたのである。しかし経済状況が悪化してくれば、当然のごとく企業は家事労働分を上乗せした賃金など払わなくなる。

 そうなればそれまで不払い労働をしていた主婦は外へ出て金を稼ぐしか道はないのである。そして不払い労働たる家事、育児は夫婦で分担して行う。これは自明なのことなのだ。そのとき政治は、社会は、夫婦が共に外で働きに出るための環境作りを保証すべきだったのである。なのに伝統的価値観と低福祉社会を訴求する自民党政権はそれを徹底してサボタージュしてきた。それが今日の少子高齢化、その先にある無子高齢化を招き寄せようとしているのだ。

 多分、当時の政策担当した政治家、官僚はこんなことを言うだろう。「これは想定外のことだ」と。もちろんほとんどがすでに鬼籍に入ってしまっているのかもしれないが。

 その後、2000年前後からの経済の変動は大きく社会の構造を変えてしまった。今や終身雇用は失われてしまい、賃金は大幅に低下し、夫は妻の分までの稼ぎを永遠に失ってしまったともいえる。

 この本には今の少子化の危機に対する特効薬となるような具体的な策は提言されていない。そんなものがあればとっくにということなのかもしれない。しかし著者は警鐘とともに最後にこんな言葉を綴っている。

本書は何としてでも、平成の次の時代は次世代に安心して渡せる社会になってほしい、子どもたちが自分たちの未来に希望をもって生きていける社会になってほしい、という願いを込めて書いたものである。 

 本書は多くの人に読まれるべきだと思う。そして今、人口政策に具体的な方策をとらないと、この国はとんでもないことになってしまうということを総ての人がきちんと認識すべきかとも思う。

忘年会でカニとか食す

 午後、都内で会議。その後、好例の忘年会ということで、今回は上野のちょい先のあたりでカニとかを食す。まあこういうものだ。

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セイコガニ

 正直、セイコガニってなによっていう感じ。基本モノを知らないジーさんなんで。

 過去にも一回食べただけだし、その時だってセイコガニと言われても頭の中で聖子ガニとか変換してたりして。なので今回はちょっとだけ勉強しておいたのだが、セイコガニ、セコガニというのは、ズワイガニのメスなんだとか。

 普通、ズワイガニは越前ガニとか松葉ガニとかいわれていて、大きさも1kgぐらいになる。それに対してメスは大体150~300gくらいと小さく、とっていい時期は大体11月から2ヶ月くらい。まあ貴重なだけに一杯もだいたい時価でたいへん高価なのだと。

 今回はというと、まあおエライさんが福井出身でそのリクエストもありということで奮発したんだがかなり美味い。

 日本酒飲みながらチビチビと食しました。画像のように殻剥きしてあるので食べやすいし、淡泊な味。さらにその下には卵がたっぷりある。本当に贅沢な酒の肴という感じで。

 まあその他は刺身食ったりして2時間くらい楽しんだ。もっとも先行き不透明なのであまりバカ話という訳にはいかなかったけど。

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