眼底検査

 朝から都内で眼底検査を受ける。二か月くらい前に予約入れたんだったか。いよいよ糖尿病の宣告を受けるのかどうか。

 一番でまず内科で検尿とか。それから眼科で順番待ち。眼下の看護師さんがマスクしているんだが、メガネをかけた若い子。オジさんこういうメガネの人に弱いのでついドギマギしてしまう。そしてさらに、眼科医の先生なのだがこれがまた若い。おそらく30前後で例えていうなら吉田羊を10かそこら若くしたような感じ。ようするに大変美人な女医さんである訳。

 目を検査する器具の向こう側至近にそういうキレイな方がいて、きちんとこちらを見てとか言われても、つい目を逸らしげになってしまうのは人情というもの。

 検査の結果、糖尿病網膜症、緑内障網膜剥離といった目についての罹患はないそうで、一安心。一応、年に一度は検査を受けるようにと言われて終了。その結果を受けた後で、今度は糖尿病の専門医の診察も受ける。こちらも若い女医さん。まあ例の女医大の不正入試じゃないけど、優秀な女医さんが増えるのはいいことだとは思う。

 でもって肝心の糖尿病は要経過観察というパターンで、特に薬の処方はなし。なのでいつもの高血圧の薬二種類、アレルギーと胃薬というのを二か月分もらって終了。

 会社戻って、女医さんの話とかドギマギしたとかいう話をしたら、相変わらずバカですねとか全然枯れませんねと呆れられた。

 一応、ネットで調べたこと貼っとく。

hospital.city.tomi.nagano.jp

www.eyelifemegane.jp

Ipod classic SD化

 手持ちのIpod classic第5世代をiflashを使ってSD化に成功した。以前から、手持ちのIpodのバッテリがだいぶ弱くなっていたので、アマゾンとかで売っているサードパーティ製のバッテリに交換をと思っていて、1台だけ交換に成功している。

 ネットで調べると実にいろいろな情報が出ているのだが、Ipodのこうした交換系で一番の難関は中を開けること、開腹というのだそうだが、これが至難の技なのである。

 そこで以下のような回復用の器具も揃える。

 

 器具のうちの一番右側のやつ、正直これが一番重要で。iSesamっていうんだが、これを使ってこじ開ける。最初やった時は正直小1時間かかった。指の皮が向けて痛い思いもした。

 そしてこの手のバッテリと交換する。交換方法はについてはググると山ほど説明や動画がアップされている。

 それで今回iflashのSDカード二枚差しのものをヤフオクでゲットした。今、アマゾンで検索するとiflashはマイクロSD四枚差しのものばかりでSD二枚差しはないみたい。このiflashはイギリスで個人が作っているものらしい。これにSDを差してIpodのハードディスクと交換すると、iTunesでしっかり認識してくれるという優れモノ。一応、マイクロSD4枚差しのを参考までに。

 

  で、どういう感じかというとこんな風。

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開腹状態

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iflash2枚差し

 で、こんな風に。

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 SDは128と64なんで192ギガに増量。元々30ギガのやつなので大幅増量。もっとも他に持っている3台は全部160ギガなのでそれからするとたいしたことない。まあなにが変わったかというと、軽くなった。ようはHDDからSD化するととにかく軽くなる。そして省電力、これが一番大きいかもしれない。

 けっこうこれは便利なので、10年近く経ったIpod classicでもう少し遊べそうな気がする。と同時に手持ちの3個も近々SD化をと考えている。SDが5000円検討、iflashはヤフオクで大体6000円~7000円。バッテリが1600円くらい。1個につき12000~14000円くらいかかるので、一気にやることはないし、それ以前にこういうの多分飽きそうな気がしないでもない。3個のIpodはオーディオに一つ、車に一つ接続して常時使っているので、まずはこのへんかなとは思っている。

 最後にお約束の一言。

「テクノロジー万歳!」

www.yutori-guitar.com



 

久々近代美術館(MOMAT)へ

 装具の引き取りの後、せっかく都内に出てきたのだからと竹橋の近代美(MOMAT)へ行く。いつもの北の丸公園の駐車場に行くと貸し切りで使えない。仕方なく武道館よりの駐車場へ行くと空き待ちの車の列。しばらく並んで入ると案の定障害者用の駐車場は空いている。まあ優先的にと声高に言うつもりはないけど、こういうのってなんとかならないのだろうか。といいつつご時世では、無人駐車場だしどうしようもないことなのだが。

 近代美術館は前回行った時(10月だったか)とさほど展示は変わっていなかった。メインの4F入ってすぐの1室の展示は山元春挙の大作「雪松図」。六曲一双が二つという大作でなかなか壮観。山本春挙はほとんど知識がないが円山四条派、竹内栖鳳と共に京都画壇を代表する人なんだそうな。もう少し勉強しないといかんね。

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雪松図

 その他では3Fの戦争画も少し模様替えされていて、川端龍子の一風変わった戦争記録画があった。この人はやっぱり意趣の人だとは思う。

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 さらに面白かったのが茨木衫風 の潜水艦の出撃。

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 ほとんど劇画、マンガの世界である。こんなことなら横山光輝小澤さとるの屏風画だってありえるような気がしてくるな。一回描いてもらえないだろうかと真剣に思ってしまう。

 今回のMOMATはなんとなくあまり心動く作品は少なかった。前回はあった太田聴雨「星をみる女性」も展示替えでなくなっていたし。

 1Fの企画展は「アジアにめざめたら アートが変わる、世界が変わる 1960-1990 年代」というのをやっていた。面白く感じるものもあったが、正直現代芸術は食指が動かない。まあこちらの知識不足のことなんだとは思うけど。

www.momat.go.jp

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介護調査~装具引き取り

 朝からカミさんの介護調査。2年に1回のことだから、もう何度目のことだろう。でも家に人がくるということで、一応リビングとか掃除しなくてはいけないということで、昨日は夜遅くに掃除とかしてそこそこ大変。

 もともと45で脳梗塞になって片麻痺だから介護サービスが疑問なのだが、特定疾病ということで介護保険を受けている。制度上のことで介護認定、介護サービスという流れなのだが、本来はきちんと障害者としてのサービスがあっていいのではないかと思ったりもする。

 さらにいうと、やっぱり高齢化社会の影響、介護サービスの利用増ということで、介護度は下げられる、介護サービスを軽減化させる方向にいっているみたい。とはいえ、こちら的には発症当時から医者に匙投げられているというか、障害は固定化され、悪くはなっても良くはならないと宣告されている。なので国の都合で介護度が下がるのは絶対に認めたくない。

 障害が少しでも良くなるのなら、いくらでも介護度が下がってもいいと思う。うんと良くなって、機能全廃の左上肢、左下肢が少しでも動くようになるのなら、短い距離でも装具や杖なしで歩けるようになるなら、介護保険なんて利用しないと思う。でも、それはもう夢の夢のことなのだから。

 という訳で、今回も調査員にそういうことをきちんと伝えて、もしも介護度が下がるようなら区分変更をすると話した。過去にも確か2~3回そういうことがあったということも説明する。とはいえ依然みたいにちょっと喧嘩ごし対応みたいなことはない。きちんと調査員に対応するし、それこそ涙ながらに切々とみたいな感じ。芝居じみたとかじゃなく、カミさんの障害のことや日々の生活、入浴介護とかそんな話を人にしていると、ちょっとだけウルウルしてくるんだよ、何年たってもね。

 昼前には調査も終わり、軽く昼食とってからお出かけ。カミさんの装具が出来たという連絡が装具屋さんからはいっていたので、引き取りにいく。装具屋さんは練馬にあるので、当然車で。装具代は58000円くらい。トホホだけど、まあ必需品だから仕方がない。国の基準だとだいたい1年半くらいで替えなくていけないらしいのだが、大事に使えばもっともつ。1年と少し前に作った装具は来年あたりにベルトの交換を考えている。まあ二つの装具を交互に使っていけば5年やそこらは十分に使える。

 装具は国リハで一つ、退院する時にもう一つ作って、5年くらい前に一つ。去年一つで今回。もう五つも作っている。発症して10年だから、まあそういうことなんだろう。

何度目かのリカバリー

 最近、Windowsマシンが頻繁ににブルースクリーン落ちする。おそらく、おそらくなのだが、周辺機器関連の不具合などではと当たりをつけている。BlueScreenViewで落ちたときに何が動いていたかを確認するとどうも周辺機器関連のドライバのようだったから。今回はというとおそらくその前に入れたバッファローのメモリ関連のユーティリティとメモリの不具合だったとようで、再起動後まったく立ち上がらなくなった。

 それで仕方なく、何度目かのリカバリーをかけることにする。その後の再設定とかを考えると、正直やりたくないのだが、かといってこのままオシャカという訳にはいかない。その後、1時間くらいかけてようやく立ち上がるようになったのだが、今度は音が出ない。調べていくとIDT High Definition Audio CODECというサウンドドライバが、どうも10に対応していないらしいのだ。

 その後、ネットで調べて何とか新しいドライバをダウンロードしてというのを繰り返す。この間、再起動をなぜか12回も繰り返している。格闘すること小1時間、ようやく音が出るようになった。

 さらにである、リカバリーかけてからずっとそれまで使っていたブルートゥースのマウスが使用できなくなっている。そのため階下の使っていない周辺機器を集めた箱の中から、使えそうな有線のマウスを引っ張り出して使っている。

 それから再度、ブルートゥースのマウスをペアリングしたのだが、しばらく間を置くとすぐに使えなくなる。そのたびに優先マウスを接続してを繰り返す。これもいろいろと調べてみると、どうもブルートゥース機器の電源管理の問題のようだとわかる。そこでデバイスマネージャーを立ち上げて、プロパティ画面で「電源の管理」のタブを選択。そこにある「電力の節約のために、コンピュータでこのデバイスの電源をオフにできるようにする」のチェックを外す。

 するとようやくマウスが問題なく使えるようになって、優先マウスとサヨナラできた。しかしWindowsは本当に半製品だと思う。設定ひとつとっても素人には相当にハードルが高いとおもう。あまり自慢できるほどのスキルは持ち合わせてはいないが、還暦過ぎのジィさんにしては、自分はまだパソコン系のスキルはあるほうだとは思う。とりあえず放り出さずに試行錯誤して、とりあえず結果オーライなところまでこれる。でもこれが普通のオジサン、オバサンだったらどうか。いや、若い子だってうちの子どももそうだが、パソコン系のトラブルはたいてい自分に聞いてくる。

 多分、今回のようなリカバリー、再設定といった類だと普通の人々はお手上げなんじゃないかと思う。だからこそPCデポはそれなりに繁盛しているのだろう。同じパソコンという意味でいえば、Macの方がはるかに完成されていると思う。とにかくブラックボックスではあるが、設定だの更新だのは自動的に行われていて、ユーザーが設定だのプロパティだのに苦労することはほとんどないからだ。

 まあ、いずれにしろパソコン、コンピュータの世界は、まだまだユーザーフレンドリーにはほ遠い世界なんだと思う。パソコン、コンピュータが民生機、家電の世界に近づくのはまだまだ先の話なんだろう。とはいえ、民生機、家電は壊れたり、不具合の場合は、すぐにメーカーに電話して、修理に来てもらう。テレビ等などは大体メインユニットの交換となる。そこにはユーザーの知識など入りこむ余地は一切ない。まあそれが現代の家電製品というものだ。

 それからするとパソコン、コンピュータの世界はいまだ前史的意味合いが強いのかもしれない。

 
 

さらに上野トーハク周遊

 トーハク平成館でデュシャンを観て、その向かい側でやっていた特別展「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」もついでに観ることにする。

www.tnm.jp

 仏像は正直、まだ全然良さがわからない。もっと鑑賞できるだけの知識を仕入れないといけないと思いつつも、この年では他に覚えることが多くてとても手が回らないのが実際のところ。西洋絵画だってまだまだ勉強途中である。17世紀以前のところ、ある意味では本筋のところまでいっていない。

 さらにいえば日本絵画も近代をうろうろしている段階で、江戸からそれ以前はまったくダメである。50代半ばから少しずつかじり始めたところだから、これはしょうがないところだ。まあ芸術、美学の範疇は、なんとなくそこに美しさ、美、面白みを感じていければいいのではないかと、そんな風に居直っていくしかない。

 思えば、もう少しこういう趣味を持つべきだったんだろうと悔いることもある。十代、二十代からもっと美術館巡りとかしていれば、もっと世界が広がったんだろうなと思う。自分にはある意味教養的世界が皆無だったと。

 まあいいか。仏像も観ている分にはけっこう楽しい。作者、作風、時代性、様々な知識を総動員して鑑賞できれば、世界は広がるのだろうが、今の自分はなんとなく感じる荘厳さとか、表情の面白みとかそういうところだけではある。

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 ふと思ったのは、仏像の顔がみな東アジア風、中国、朝鮮、日本的な感じなのである。だけど考えてみるとブッダにしろその弟子たちにしろ、みなインド人である。実はもっと彫りの深く、さらにいえば色黒だったのではないか。

 まあ仏像が盛んに作られたのは多分勝手な推測的にいえば、ほとんどが中国に渡来して以降なのかもしれない。なので顔立ちが中国=モンゴル風なのかもしれない。それではもっとバタ臭い仏像というのは世の中に存在するのだろうか。

 最後にトーハク本館にもちょっとだけ寄った。すると本とかではお目にかかったことがある下村観山の「白狐」を観ることができた。前から観てみたいと思っていた絵だったので、ちょっとだけ感動した。

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デュシャンも観る

 東美の「ムンク展」に続いてトーハクの「マルセル・デュシャンと日本美術」を観る。上野だとこういうはしご、連荘鑑賞ができるのが楽しい。まあ根が貧乏人なので、観れる時に詰め込んで観るという風になる。余裕とかとは無縁である。

マルセル・デュシャンと日本美術 | 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展

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 正直、デュシャンはまったくわからないのだが、若き日のデュシャンキュビズムの若き天才と嘱望されていた頃の作品は、なんというか判りやすい。ピカソというよりはキリコ、ダリ的というか。

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 そして絵画から離れ、新たな芸術表現の試みを始める。そう誰もがデュシャンといえば思い浮かべるレディメイドな作品群。デュシャン=便器とでもいうべき「泉」。

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 さらに自分のような凡人には意味不明な「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」。

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 なんていうのだろう、「これは芸術だ」とか「これは面白い」と言ったら、そうなってしまうみたいな、そういう世界なのかもしれない。この手の作品を鑑賞できるほど修行をするのにあとどれだけかかることだろうか。