ポップスが最高に輝いた日

 懐かしい。そして流行ったなという記憶。

 1985年、当時のスーパースターたちが集まって録音された、アフリカの飢餓、貧困救済のためのキャンペーン・ソング「We are the World USA for AFRICA」の録音シーンを撮ったドキュメンタリーだ。

 ミュージックビデオを撮影するために、様々が撮影が行われていた。それに現在の関係者のインタビューを合わせて再編集されたものだ。

ウィ・アー・ザ・ワールド - Wikipedia  (閲覧:2024年2月9日)

We Are the World - Wikipedia (閲覧:2024年2月9日)

 もともとは同じ企画でイギリスのミュージシャンによって行われた「バンドエイド」に触発され、ハリー・ベラフォンテが発案し、音楽プロデューサー、ケン・クラーゲンがライオネル・リッチーマイケル・ジャクソンスティーヴィー・ワンダーらに声をかけて始まったプロジェクトだ。

 曲はライオネル・リッチーマイケル・ジャクソンが担当した。ライオネルの証言によれば、本当はスティーヴィーを入れて三人で曲作りをするはずだったが、多忙のスティーヴィーがつかまらなかったとある。もし曲作りの段階でスティーヴィーが加わっていたら、どうなっていただろう。そんなIFがいくつも想起されたりもする。

 本来は参加の予定だったプリンスがアクシデントにより来ることができなかった。プリンスとセットで参加したシーラEは居場所を失い、途中でスタジオを去ったという。プリンスが来れないことがわかり、急遽マイケルがプリンスのパートも行うことになったという。これはウィキペディアに記述がある。

 集まったメンバーは80年代のポップス隆盛下でもっとも人気があった人たちだ。ちょうどMTVによりビジュラル的にもスターの歌う姿が日常的に親和性があった。ある意味、1985年はその頂点にあった頃だったのかもしれない。

 ソロをとるスターたちは今なお健在なものもいる。惜しむらくは鬼籍に入ってしまった人なども。

 録音されたのは1985年1月28日。当日はアメリカン・ミュージック・アワードがあり、ロスアンゼルスには多くのスター・ミュージシャンが終結していた。ハリウッドのA&Mレコードスタジオが選ばれたのも、アメリカン・ミュージック・アワードからスターたちがスタジオ入りできることからだったという。

 プロデュースと指揮を務めた大物プロデューサー、クインシー・ジョーンズは参加するミュージシャンたちに「エゴを捨てろ」と指示したという。

 ソロパートを巡っては様々なエピソードが満載でもある。

 ソロパートをとるボブ・ディランはどう歌っていいか判らず困惑していたという。60年代、70年代のレジェンドとして参加したディランだが、80年代の彼は明らかに低迷していた。MTV全盛のアメリカン・ポップスにあって彼は間違いなく場違いな存在だった。そんな彼の手助けをしたのは天才スティーヴィー・ワンダーである。

 ディランの困惑に対して、クインシー・ジョーンズライオネル・リッチーは、スティーヴィーに助言を求めた。スティーヴィーはピアノの弾き語りで、ボブ・ディランの声色を使ってディラン風にディランのパートを歌った。それによってディランのあのソロを歌い上げることができた。かってのディラン節そのままに。

 難しい入りを難なくこなすディオンヌ・ワーウィック。その後に入るのがうまくいかないウィリー・ネルソンは結局本番でもトチっている。その後のアル・ジャロウは飲み過ぎていてリハーサルで何度もNGをだす。

 

 ブルース・スプリングスティーンの後に入り高いパートをこなすことになるケニー・ロギンスは無難にまとめる。さらに高くなるキーでもスティーヴ・ペリーは完璧にこなす。その後のダリル・ホールはかなりのプレッシャーがあったはずだが、それをきちんとまとめる。若く才気あふれるダリル・ホールをみていると、70代後半になってもまだまだライブをこなす彼とどこか重なる部分があったりもする。

 

 そして笑える部分はシンディー・ローパー。ソロ部分で何度もNGがでる。録音にノイズが入るというのだ。それはなにか、シンディーが沢山つけていた耳飾りや首飾りが出すジャラジャラ音だった。でもシンデイーは気後れ一つせず、アクセサリー類を外して再び録音に臨む。今度はOKがでる。でも本番シーンをよくみると、アクセサリー類全部外してはいなかったりして、当時はまだまだ新人歌手だった彼女はやはりハートが強いと思ったりもした。

 

 基本的にこのドキュメンタリーの主演は企画に関わり、曲をマイケルとともに手掛けたライオネル・リッチーである。そして助演はというと、録音をまとめあげたクインシー・ジョーンズということになるだろうか。二人のスター性、才能、これまでの実績を考えれば別にそのことをどうのこうの言う気はない。

 でも結局のところ、証言によって綴られるこうしたドキュメンタリーは、あるいは過去を振り返るコンテンツは、生き残った者によって作られるということ。生者がすべてかっさらっていくのかもしれないなと、そんなことを思ったりもした。

 

 ビートルズのコンテンツはポールが独り占めしている。もちろん彼の才能、60年代以降の彼のライブでの活躍を考えれば当然だ。でもどこか淋しいものを感じたりもする。昨年亡くなったロビー・ロバートソンもバンドを歴史を独り占めしている感があったような。

 

 それを思うと、この39年前に企画・録音され、世界中で一大ムーブメントとなった「We are the World USA  fore AFRICA」についても、今は亡きミュージシャンに思いをはせたいと思ったりもする。

 

 あと10年もすれば、参加した50名近くのかってのスターたちもほとんどが鬼籍に入るのだろう。それを思うと淋しくもあり、またそれが歴史というものなんだろうという諦念みたいなものを思ったりもする。

 


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