サンタナ「SHAMAN/シャーマン」

SHAMAN

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 ブックオフのワゴンの中で見つけたCD。110円である。

 サンタナは割とよく聴いたような気がしていたのだが、持っているのはなんと「キャラバンサライ」のみ。他に70年代から80年代のムード歌謡的なベスト盤が1枚。あの「哀愁のヨーロッパ」が入っているやつである。

 ようするに70年代からまったくアップデートされていない。こういうのが多くて正直困る。

 サンタナで一番好きなのは「キャラバンサライ」に入っている「Song of the Wind」。これはもう一時期ひっきりなしにずっと聴いてた。あとこのアルバムに入っている「Stone Flower」がアントニオ・カルロス・ジョビンの曲だと知ったのはずっと後のこと。

 ということで今回の「SHAMAN」はというとまったく予備知識なし。2002年の制作なのですでに21年も前のことである。しかしサンタナ保有アルバム2枚目が21年前のものっていうのもなんだな。

 とりあえず聴いてみる。まあ思い切りラテン・ポップスにふった曲ばかりという印象。3曲目の「THE GAME OF LOVE」がみょうに糸を引くというか、かなり良い感じである。で、一応通してざっと聴いてみたのだが、正直「THE GAME OF LOVE」だけでいいかなと、そんな感じである。

 さっそくウィキペディアでもろもろ確認する。CDのライナーは英語なので輸入盤のようだ。

シャーマン (アルバム) - Wikipedia  (閲覧:2023年12月6日)

 前作「スーパーナチュラル」(1999年)でグラミー賞9部門獲得の大ヒットを受けて制作したのが今回の「シャーマン」という。ふむふむ。ようは「スーパーナチュアル」というアルバムは、売れ線のボーカリストをゲストとしてフィーチャーしたコンセプトアルバムで大ヒットとなった。そうした売れ線狙いのコンセプトアルバムの第二弾がこの「シャーマン」というらしい。

 そして一番気にいった「THE GAME OF LOVE」はというと、シングルカットされて全米5位のヒットになり、グラミー賞ベスト・ポップ・コラボレーション部門を受賞しているという。やっぱりというか、まさにこの曲キラーチューンだったみたいだ。

 フィーチャーされたミシェル・ブランチ、この人もまったく知らない。

ミシェル・ブランチ - Wikipedia

 1983年生まれで現在40歳。とはいえ当時は19歳、17歳でインディーズデビューしてサンタナに抜擢されてスターになったということらしい。当時的にはギターのスーパースターがアイドル的な女の子をフィーチャーしたってことみたいだ。どんな感じかとYouTubeで見てみると、けっこうな美人。母方の血にオランダ、インドネシア、フランスが入っているということでちょっとだけエキゾチックな雰囲気をもっている。

 なんでもこういう若手の女性ボーカルのある意味走りみたいな存在で、この路線からアヴリル・ラヴィーンなどが出現したとウィキペディアにはある。なるほどと思ったり。可愛くて、美人で、生意気そうで、それでいて歌唱力もあり、スター性も兼ね備えてみたいな感じだろうか。

 ミシェル・ブランチはその後も確実にキャリアを積み重ねているが、残念ながらこの「THE GAME OF LOVE」を超えるヒットには恵まれていないみたいだ。

 しかし新しく知るような情報が全部20年以上前というのもちょっとなという気分でもある。かってブライアン・イーノがインタビューで語った言葉、これがすべてを物語っているようなきがしないでもない。

私の考えでは、もはや音楽に歴史というものはないと思う。つまり、すべてが現在に属している。これはデジタル化がもたらした結果のひとつで、すべての人がすべてを所有できるようになった。レコードのコレクションを蓄えたり、大事に保管しなくてもよくなった。私の娘たちはそれぞれ 50,000枚のアルバムを持っている。ドゥーワップから始まった全てのポップミュージック期のアルバムだ。それでも、彼女たちは何が現在のもので何が昔のものなのかよく知らないんだ。

例えば、数日前の夜、彼女たちがプログレッシブ・ロックか何かを聞いていて、私が「おや、これが出たときは皆すごくつまらないといっていたことを思い出したよ」と言うと、彼女は「え?じゃあこれって古いの?」と言ったんだ(笑)。彼女やあの世代の多くの人にとっては、すべてが現在に属していて「リバイバル」というのは同じ意味ではないんだ。

インタビュー:ブライアン・イーノ(タイムアウト東京)

(閲覧:2023年12月6日)

 デジタル化と音源アーカイブの進歩によって、音楽のすべてが現在に属している。まさにそのとおりである。高齢者の自分はというと、21年前の音楽を新しいものとして受容している。そういうものなのだ。