ケイコ 目を澄ませて

映画『ケイコ 目を澄ませて』公式サイト (閲覧:2023年5月31日)

 これはAmazonプライムで観た。2022年12月に公開されたばかりの新作である。

生まれつき耳が聞こえないケイコは、下町の小さなボクシングジムで練習を続け、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。真っすぐな性格だが人付き合いが苦手な彼女には悩みも多いが、言葉に出来ない思いが日々溜まっていく。休まず続けるボクシングの練習もどこかで限界を感じていて、「しばくらく休みたい」という手紙をジムの会長宛てに書くものの、それを渡すこともできない。一方、ジムの会長は健康面で不安を抱え、ジムを閉鎖することを決める。そして最後の試合に臨むケイコは・・・・・・。

 女性ボクサーをテーマとした映画というとクリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』や安藤さくらが主演した『百円の恋』などを思い出す。いずれも暗く、これまでの人生に様々な問題を抱えた主人公がボクシングに打ち込む話だ。『ミリオンダラー~』では、主人公を演じたヒラリー・スワンクは最後に打ちのめされて、寝たきりの状態に陥るという悲劇が待っている。いい映画だが、二度と観たくない映画のリストの五指に入る絶望的な映画だ。

 『百円の恋』は30代引きこもりの女性が、男性ボクサーに恋してボクシングを始め、いつのまにか真剣にボクシングに取り組むようになる。そして懸命に練習をこなし、人生を変えようと試合に臨み、あえなくノックアウトを喰らう。そして何も変わらない日常が待っている。

 とにかく女性ボクサーを描いた映画は暗い、陰鬱というイメージがある。なのでこの映画もちょっとどうかと戸惑った部分もある。そして最後の試合の結果も・・・・・・。

 とはいえこの映画はどこか淡々と物語が進む。主人公の苦悩もきちんと描かれているが、とはいえ思いの外暗くない。とにかく淡々としている。そして聾唖者を描くという点でいえば、映画は靜的である。こういう靜的なのあったなと思ったが、同じく聾唖者を主人公にした北野武のサーフィン映画だったか。

 映画は主演の岸井ゆきのの演技、脇を固める役者陣の安定感でみせる。ボクシングジムの会長役の三浦友和は枯れた飄々とした演技が上手くはまっている。往年の二枚目俳優はかくも見事に老成した性格俳優となったものだ。彼も71歳、なのに同世代の自分らかすると、いつまでたっても百恵ちゃんの相手役というイメージがあるから彼には申し訳ないと思う部分もある。

 三浦友和の演技という点では、古くはNHK大河ドラマ独眼竜政宗』で伊達政宗の家臣を演じたあたりからけっこう注目していた。そして重厚さよりもどこか飄々とした軽みのある演技は例えば三木聡『転々』なんかでも注目していた。今回の映画でも感情の起伏のないどこか軽みのある演技で、耳の聞こえない女性ボクサーの指導を行う。二人でミットやシャドーを行っているとこでは、言葉がなくてもきちんと心の交流しあう様がスクリーンから伝わってくる。

 淡々としてあまり起伏のないストーリー、聴覚障害者が主人公ということで全体としてセリフも少ない。繰り返しになるが、とにかく淡々と始まり、淡々と物語が進み、淡々と終わる。ボクシング映画だが、観客が主人公やドラマに感情移入する部分は少ないかもしれない。観客もまた淡々と映画を観終える。

 良い映画だとは思う。等身大の女性を岸井ゆきのが好演している。でもこの映画を観てなんの感興もない。ハッピーエンドでもなくカタストロフィもない。正味1時間39分、これも繰り返しになるが淡々と聴覚障害の女性ボクサーの日常を目にし続ける。

 観終わって、特に破綻もないし多分良い映画だったんだろうなとちょっと思ってテレビの電源を切る。そういう感じだ。

 前述したように女性ボクサーをテーマにした映画はどれも暗い。今回の『ケイコ』は絶望的な暗さはないがとにかく地味だ。『ミリオン・ダラー~』のような極めつけのカタストロフィ、究極の絶望的ラストみたいなのは勘弁だが、もう少し明るい話題はないものかと思ったりもする。

 それを思うと同じボクシング映画で『ロッキー』がいかに素晴らしいハッピー感に満ちた映画だったかと改めて思ったりもする。その前後に『レイジング・ブル』みたいな暗い映画を見せられていた人々は『ロッキー』のアメリカン・ドリーム的なラストに狂喜したのだ。

 あそこまで絵にかいたようなハッピーエンドでなくても、例えば自転車レースをテーマにしたピーター・イェイツの『ヤング・ゼネレーション』みたいな映画もあった。うだつの上がらない、大学生たちに劣等感を抱く田舎町の高卒の若者たちの淡々とした日常を描いた映画。でも最後に自転車レースで高卒チームは大学生たちに勝ってしまう。あのとき映画を観ている観客もスクリーンに拍手喝采を贈ったのをよく覚えている。

 まあ極端な例だけど、そういうハッピーエンドな映画があってもいい。障害を抱え、人付き合いもうまくないワーキングクラスの女性。彼女が何かを変えたいとボクシングに打ち込む。だったらそれを成就させるような映画であっても良かったのではとちょっと思ったりもする。

 20世紀の日本映画、特に独立映画系、ATGとかそういうところで作られた映画は基本だいたいが暗かった。そしてたいていの場合、絶望的な終わり方だったか。リアリズムとかまあそういうもの重要視された時代。日本映画は暗い、そして映画館を出た後観客はうつむき深刻そうに映画を享受して深刻そうに俯きながら劇場を出る。まあ適当にいってるだけだけど、もうそういう暗さはもういいのではないかと思っている。

 今回の『ケイコ~』も前半、中盤は淡々と、なにも変わらないような日常を淡々を描く。聴覚障害のワーキングクラスの女性の日常は何も変わり映えせず、基本暗い。でも最後の試合で彼女は劇的な結果をおさめる。そして彼女の人生は変わるのではないかと、そう観客に思わせて(匂わせて)終わる。そういう映画であっても良かったかなと思ったりもする。

 『ケイコ 目を澄ませて』は良い映画だと思う。破綻なく観ることができた。でも、もう一度観るかといわれたら、ちょっと微妙と答えるかもしれない。