この世界の片隅に

この世界の片隅に [DVD]

この世界の片隅に [DVD]

  • 発売日: 2017/09/15
  • メディア: DVD
この世界の片隅に【映画】
この世界の片隅に (映画) - Wikipedia
 これもずっと観たかった映画だったが、ようやくDVD化されたのでやっと観ることできた。ミニシアター系の映画だったが、口コミから広がり累計公開館数は380を超え、累計観客動員数は200万人、興収26億円を超える異例のロングランヒットとなったアニメーション映画だ。さらにキネ旬の2016年度のベスト1位にも輝いている。
 一度いつだったかワカバウォークの映画館で予告編を観て気にはなっていた映画でもある。実は原作コミックも知らないでいた。映画がヒットしている昨年のどこか、あるいは今年の割と早い時期に原作コミックをまとめて一気読みして、その詩情豊かで静かな雰囲気の物語と作風に魅了されもした。なのでDVD化されたりすぐにでも観なくてはと思っていた。
 物語は広島から呉に嫁いだ18歳のすずが、戦時下の窮乏する生活の中で、健気に明るく暮らしていく姿を描いていく。じょじょに戦況は悪化し、空襲は頻度を増す中、投下され地面に穴を開け後から爆発する時限爆弾により、一緒にいた姪を失い、自らも右手を負傷して失う。絵が上手く、日常生活をマンガのようにして記録、表現することが大好きなすずにとって右手を失うということは、人生の半分以上を失うに等しい。
 さらに実家のある広島への原爆投下により父母をも失う。ラスト、数ヶ月してから訪れた広島でその被害の大きさを目の当たりにする。その中で戦争孤児の女の子と出会い、彼女を呉に連れて帰り、一緒に暮らそうとする。
 この映画は、戦火にあっても健気にたくましく生活する庶民を描いた作品だ。声高に反戦を叫ぶこともなく、ぼんやりとした主人公すずとその家族の生活を淡々と静かに描いている。次第に戦況が悪化すると共に食糧事情も悪くなり、道端の雑草さえも日々の食糧として食卓に上る。それを悲惨な風に描くのではなく、何か微笑ましくとでも言いたくなるようにほのぼのと描いている。それでいて戦争の悲惨さも十分に伝わってくる。
 結局のところ戦争というものはこういうことなのである。空襲により一夜にして呉の街が灰燼と帰す。それを眺め呆然とする人物たち。その燃え尽くされた見渡す限り何もない場所には、人々の生活があり、多くの者が爆死、焼死している。その姿が描かれなくてもそれは簡単に想起できる。
 ここで描かれる健気に日々を生きる庶民の暮らしは、常に死と背中合わせになっている。戦争は航空機による爆撃や機銃掃射といった俯瞰によって描かれるのではなく、被弾する側のミニマムな悲劇として描かれなくてはいけない。爆撃も艦砲射撃もそれによって直接的に被害を被るのは、たいていの場合非戦闘員、一般市民なのである。彼らは戦火の下、普通の生活を送っているのである。その彼らの生活が一瞬にして失われるのだ。
 今、北朝鮮の核実験やミサイルにより東アジアには一触即発めいた危機が勃発している。特に北とアメリカが挑発しあい、それに呼応しアメリカと共同するかのように過激な言動を発しているのが安倍自民党政権だ。安倍は国連で対話よりも圧力と声高に叫び、河野外務大臣は多くの国に北朝鮮との断交を求める演説もしている。
 国内でも北がミサイル実験をするたびに、成層圏を飛ぶというのに、Jアラートなる空襲警報を鳴らし、国民の危機を煽っている。外敵に対する避難や危機を訴えることで、国内の諸矛盾から目逸らしさせるのは、為政者のよくやる手口だが、こうもあからさまだとあざとさが眼に余る。
 こうした挑発や過激な発言による暴発的に戦闘行為が始まる可能性も高い。いったん戦争が始まれば、被害を被るのはたいていの場合、非戦闘員たる一般市民たちだ。
 いったん戦争が始まれば市民が戦火に晒されるのである。我々は自国の戦争被害だけでなく、例えば北朝鮮にあっても、『この世界の片隅に』の主人公すずさんのような市井の民がたくさんいること、いったん戦火をまみえれば、彼女たちが空爆が逃げ回り、甚大な被害を被ることを想像力として保持していなくちゃいけないと思う。
 戦争は避けなくてはいけない。いかに好戦的な相手方だったとしても、最後の最後まで外交交渉で戦闘行為を避ける努力を続けなくてはいけないと思う。静かなで淡々とした映画だが、この映画からは強烈な反戦への思いが伝わってくると思う。