都内徘徊 (5月26日)

 26日金曜日は、午前中歯医者でお茶の水に出る。それから丸の内の青嘉堂と東近美と美術館をハシゴした。その後、すぐに帰るのもなんだしということでもう少し歩いてみようかと思った。

 特にあてもなく、北の丸公園に入ってそのまま武道館を突っ切って田安門を出る。目の前には例の神社がある。靖国である。そして生まれて初めて中に入ってみる。

 都会のど真ん中にあるオアシス的な世界である。ああいうイデオロギー的な部分がなければまずまず良さ気なところなのにと思ったりもする。

 そして大村益次郎の像にご対面。

 

 判りにくいが益次郎の頭になぜかカラスが休憩している。

 大村益次郎は「日本陸軍の父」と呼ばれ、戊辰戦争を指揮した人物である。戊辰戦争で死んだ兵士たちを祀るために靖国神社の前身となる東京招魂社が作られることになったが、それを進めたのが益次郎だったということらしい。

 この銅像は日本初の西洋式銅像として1893年に完成したもの。制作者は皇居造営などに従事していた彫刻家大熊氏廣。

 大村益次郎のことは多分たいていの人がそうだと思うが司馬遼太郎の『花神』で知った。さらにいえばNHK大河ドラマも見ていた。NHK大河ドラマは今ではまったく見なくなってしまったけれど、当時はけっこう見ていたような気がする。といっても毎週かかさず見るみたいなことはなかった。

 『花神』はけっこう印象深く残っている。1977年だから多分大学生だったと思う。中村梅之助の村田雑六=大村益次郎はひょうひょうとしていて、それまでの大河の主役とはちょっと異なる感じがした。そして中村雅俊高杉晋作吉田松陰篠田三郎シーボルトの娘イネの浅丘ルリ子など、けっこう印象深く覚えている。

 個人的によく見た大河ドラマは『花神』、『国盗り物語』、『独眼竜政宗』あたりか。あとはもう本当に大昔だが北大路欣也の『竜馬がゆく』あたりか。つくづく思うが坂本龍馬司馬遼太郎が作り上げた「歴史上の人物」なんだろうなあと。

 話は脱線したが、靖国の参道を通って右に折れて白百合の右手にみて法政大学の裏側の細い道を歩く。これも大昔のことだが、この近辺で仕事をしていたことがある。二十代の前半の頃だが、その頃はもうぜんぜん余裕もなかったので、毎日職場と家の行き来だけ。あとは飲んだくれてたか。その頃にもう少し歴史とかそっちへの興味があれば、この周辺を仕事の帰りに散策するとかそういうことも出来ただろうに。

 歴史は学生時代からけっこう勉強していたけど、当時はというと歴史散歩みたいなものを小ばかにする頭でっかちな学生だった。歴史哲学とか歴史叙述とかそういうお堅いものばっかり読んでいたような。まあ若かったっていうことか。

 法政大の前のお堀端を市谷まで歩く。この桜並木は何度か花見をしたことがあった。酒好きの上司が場所取りと称して昼間から酒飲んだりとか、けっこういい加減な会社だったか。

 市谷からお堀をつっきって外堀通りを少し飯田橋方面に戻り、左にそれて牛込、神楽坂方面に坂を登っていく。右手に新潮社の本社が見えてくる。そういえばこの近辺には地方・小出版流通センターもあったような気がするが、まだ同じ場所でやっているのかどうか。あそこの社長もけっこうな歳になっているのだろうな。

 新潮社のビルは昔のまんまである。社屋を立て直すとか高層化するとかそういうことはどうもしないようである。ある意味堅実なんだろうな。本社の隣は書籍管理部だかの建物、多分昔は倉庫だったのだろうか。そのシャッターには村上春樹の新作が大きく表示してあった。

 神楽坂まで出てさてどうするかと思った。このまま池袋まで歩いてもいいが、ちょっと疲れてきてもいる。お茶の水から丸の内、その後東近美の中でも歩いている。美術館で絵を鑑賞していると、けっこうな歩数になったりもする。

 とりあえず江戸川橋まで歩いてそこから電車に乗ろうと決めて神楽坂から早稲田方面に少し歩く。それから右にそれてしばし歩くと江戸川橋に到着。そのまま帰るのもなんなんで、数少ない友人に連絡するとまだ仕事だという。8時くらいには終わるというので落ち合って軽く飲むことにする。

 お茶の水から丸の内経由して飯田橋、市谷、そして江戸川橋という話をすると、「暇だね」と一言。歩いた距離については「それは健康というよりも身体をこわす距離だ」と呆れられた。