通信制の大学に入学する

 通信制の大学に3年次編入することになった。

 よくネット広告などに出てくる「手のひら大学」というやつだ。

 志望した理由はといえば、ここ5~6年、いやもうちょっと前からか美術館巡りをするようになった。ここ2~3年は年に50回程度は首都圏近郊の美術館に行っている。その間、美術史や美術理論の入門書、概説書も何冊か読んだりもしている。まあ美術鑑賞が趣味になったということだ。その美術についての知識を増やしたいというのが一番の理由かもしれない。

 さらにいえば美術作品を鑑賞するにあたっても、その背景となる歴史や技法などへの知識も必要なってくる。西洋美術でいえばキリスト教への理解なども必要だ。要は芸術は奥が深いということだ。そうなると独習ではなかなか理解が深まらない。どこかでまとまった学習が出来ればいいと考えてもいた。

 子どもが学んだのは座学を中心とした芸術学科だった。その大学には聴講制度もあるというので検討したこともあったが、意外と費用がバカにならない額だった。検討したこともあるにあったが、コロナで事情が一変して、聴講制度自体が中止になってしまった。

 もう一つの理由、これが一番大きいか。2020年秋に仕事を辞めた。同じ業界とはいえ6度会社を代えてジャスト40年勤めあげた。最後の10年くらいは一応代表権のある役員をしたし、小さな会社とはいえ身分不相応というか、けっこう諸々削ってやてきた。おまけに15年前に妻が病気で障害者となってからは、子育てや介護も担ってきた。

 多分すべてにわたって中途半端だったような気もするが、なんとか凌いできた。

 仕事を辞めてすぐに同じく世話をしていた兄の病状が悪化し、その年の暮に急逝した。その後始末などもあり仕事を辞めてから半年くらいの間はけっこう忙しい時間を過ごした。もちろん家事だの介護だの、やらなくてはいけないはこなしつつ。

 ようやく落ち着いて再就職をと考えハローワークにも行ってみたが、特に手に職をもたない65歳の老人に用意される仕事といえば、警備や交通誘導などなど。シルバー人材で清掃やスーパーのカートの整理などもある。ハローワークの担当者からは、「あなたのようなキャリアは、雇う側からするとジャマなんですよね」と明言される始末だった。

 別に仕事の貴賤というか、元経営者だからそれ相応の仕事をなどと思ったことはない。別に清掃でもなんでも仕事は仕事だ。でもこうも思った。どこへ行っても仕事社会にはある種、経験によるカーストがある。その末端で多分仕事に慣れるまではそれ相応のストレスを抱える。そのうえで得られる収入はせいぜい月に5万程度のはずだ。

 正直なところ40年勤めてきて、仕事にはうんざりな部分もあった。たいていの仕事は人間関係の中にあり、そこでは常にマウントの取り合いが発生する。宮仕えってそういうことなのだ。フラットな同僚関係にあっても実は小さなマウントの取り合いが行われている。

 長く管理職をしてきたので、上と下との関係性みたいなことを常に考えていた。少なくとも出世=収入増をはかるならば、上から評価されなくてはならないし、上に上がれば上がるほど裁量の幅が広がる。それと同時に下に対しては、「動いてもらう」ために権威的な態度をとる、などなど。

 40年勤めてそういうのがもうほとほと嫌になっていた。

 いちおう本当にわずかではあるが、年金も出ている。借金というような借金はない。そうなるとわずかな日銭を得るためにまた神経をすり減らすようなことは、回避してもいいのではないかとも考えた。もちろん身体能力も落ちている。

 仕事をしない、積極的に求職活動をしないとなると、やることはといえば家事と妻の介護だけになる。まあそれでもけっこうやることはあるのだ。実際、仕事辞めたのだからいろいろなことをやりたいと思っていた。英語を勉強したい、ピアノを習いたい、などなど。でも何も手につかない。無職、専業主夫もけっこう忙しいのである。考えてみたら、仕事している頃の方が映画観ていたなと思ったりもする。

 とはいえこのまま老いていくのも淋しい。仕事を辞めて唯一増えたのは美術館巡りかもしれない。これはちょっと座学としての芸術教養をもう少し深めてもいいかなとも思った。それが今回の通信教育受講の理由。

 年齢的には今年66歳になる。3年次編入できちんと2年で卒業できれば68歳。多分、このへんが学習ということでいえばラストチャンスのような気もしないでもない。それでなくても日々、老いを実感してもいる。この先いつ病気が悪化するかとか、考えたくもないがいきなり認知症なんてこともありえる。老いは確率性の高い状況下での蓋然性に支配されている。

 生来飽きっぽい性格で、これまでにも様々な通信教育を受けたり、カルチャースクールなんてのにも通ったこともある。三日坊主で終わったりがほとんどだし、かなりいいとこまでいっても様々な要因で頓挫したことも多々ある。今回もその確率はかなり高い。まあ通信制の大学としてはけっこう割安とはいえ、年金暮らしからすれば安くない学費も払っている。「アハハ、今回も続かないわ」という訳にもいかない。

 まあ2年かもう少しか、けっこうな動画教材を視聴する機会を得たと、そのくらいで割り切って、あまり高望みしないところから初めていきたいとも思っている。とりあえず西洋、東洋、日本の美術史を学び、美術理論にあたりをつける。芸術的やデザインについて今よりも少しだけ俯瞰的にみることができるようになればと、そのくらいハードルを下げてやっていければと思っている。